10.意見が合わない時には、フェアに戦うこと。相手を罵倒しないこと。
この「罵倒」というもには、僕の経験ではいわゆる“論理的”な議論も場合によっては含まれるんじゃないかなぁ、という気がする。
もちろん論理的なことが悪いのではなく、論理によって相手をねじ伏せようと言うエゴが入り込む危険があるという意味です。
議論は“論理的”に行われるからこそ、その論理に自分のエゴ・相手をやっつけたいというエゴが入りこむ危険があるし、それはつねにチェックしなければなりません。そしてそのチェックをできるのは本人だけだからこそ、議論には高い倫理が要求されます。
どんなに内心で「相手を破壊しよう」というエゴをもっていても、論理的に議論している間は、「中立に議論している」とごまかし切ることができます。でも、それは他人をごまかしているだけでなく、自分をもごまかしてしまうことになります。
どうしても議論しなければならないときは、自分に誠実になること。また相手と自分との間に感情的な闘いがあると感じられるときは、たとえ表面上は中立でも、それは無駄な議論になること。
一番いいのは、お互いが自分を疑うために議論をすることかもしれません。自分の正しさを証明するために議論をすると、自分に都合のいい証拠だけを見るようになります。
涼風
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