今日、ネットを徘徊していて、池田晶子さんがお亡くなりになっていたことを偶然に知りました。
かつて私が、問題の答えを探し求めるというより、何を考えればいいかすら分からなくて焦燥感をもっていたときに貪り読んだ本の一つが、池田晶子さんの一連の著作でした。
私は彼女のベストセラー『14歳からの哲学―考えるための教科書 』は読んでいませんが、それ以前に出たものはほぼ目を通していると思います。
私は彼女の考えには納得できなかったのですが、それでも彼女の何かに惹きつけられるように、その著書を読んでいきました。意見には首肯できず、その語り方に反発を覚えても、それでもまったく無視することができない何かが彼女の文章にはあったのだと思います。
彼女の考えには納得できなくても、彼女の表現スタイルに、どこか憧れに似たものをもっていたのかもしれません。
アカデミズムの世界の規則には従わず、自分の考えを直接的に文章として原稿にぶつける彼女のスタイルは、誰もがそうしたいと思っている文筆の仕方です。
ただ、それを本当にやってのけている点で、彼女の中には彼女なりの動かしがたい確信があったのだと思います。
彼女の文章は、その確信の中で、もはや他者の意見によっては左右されない境地に至っていたのだと思います。
彼女にとっては、自分が正しいかどうかについて考える必要もなくなっていたようでした。自分の確信の中にいることにより、その確信の強さで彼女の文章は一つの芸術のようになっていました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
かつて私が、問題の答えを探し求めるというより、何を考えればいいかすら分からなくて焦燥感をもっていたときに貪り読んだ本の一つが、池田晶子さんの一連の著作でした。
私は彼女のベストセラー『14歳からの哲学―考えるための教科書 』は読んでいませんが、それ以前に出たものはほぼ目を通していると思います。
私は彼女の考えには納得できなかったのですが、それでも彼女の何かに惹きつけられるように、その著書を読んでいきました。意見には首肯できず、その語り方に反発を覚えても、それでもまったく無視することができない何かが彼女の文章にはあったのだと思います。
彼女の考えには納得できなくても、彼女の表現スタイルに、どこか憧れに似たものをもっていたのかもしれません。
アカデミズムの世界の規則には従わず、自分の考えを直接的に文章として原稿にぶつける彼女のスタイルは、誰もがそうしたいと思っている文筆の仕方です。
ただ、それを本当にやってのけている点で、彼女の中には彼女なりの動かしがたい確信があったのだと思います。
彼女の文章は、その確信の中で、もはや他者の意見によっては左右されない境地に至っていたのだと思います。
彼女にとっては、自分が正しいかどうかについて考える必要もなくなっていたようでした。自分の確信の中にいることにより、その確信の強さで彼女の文章は一つの芸術のようになっていました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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