こうやってブログを書いていると、他の人のブログもたまに見るように当然なります。それで感じたのは、ブログが登場したことで社会には鋭い洞察力をもった人がとても多いのだという印象。
何かを論じるという仕事は、これまでは学者や評論家、政治家、ジャーナリストなどの一部が新聞や雑誌ですることという印象がありました。でも、最初はホームページの登場で、そしてブログの登場で、実は世の中には上記の人たちに劣らない論客が沢山いるのだということが分かってきます。
よく考えれば当たり前ですね。どの分野でもそこでトップにいる人たちは頭を使って論理的に考える作業をしていることが多いだろう。そういう人たち、たとえばビジネスマンなんかにはこれまで発言できる媒体がなかったわけだけれども、ITの登場で誰もが自分の頭にある知識を外に出せるようになった。
このことは、「専門家」と「大衆」という概念の区別をますます危うくしていますね。
ただ、そこから、ブログを通じて一気に健全な民主主義が醸成されるかというとそれも疑問です。誰もが何でも言えるようになった分、罵詈雑言を並べる人も増えたわけだから。僕もそういうことをネットでしたことがあります。
鷲田小夜太さんは、どの分野でもトップ10%がしっかりした仕事をしているのなら、その分野は正常に機能をしている、と言っていました。つまり、世の中でしっかりものを考えることのできるのは、10パーセントいればいい方だということです。
でも、いずれにせよ、その世の中全体の10パーセントがその気になれば発言できるチャンスが急激に増えたことは事実です。それはやはりいいことなんだと思います。
涼風
reference:
鷲田小夜太著『大学教授になる方法』
何かを論じるという仕事は、これまでは学者や評論家、政治家、ジャーナリストなどの一部が新聞や雑誌ですることという印象がありました。でも、最初はホームページの登場で、そしてブログの登場で、実は世の中には上記の人たちに劣らない論客が沢山いるのだということが分かってきます。
よく考えれば当たり前ですね。どの分野でもそこでトップにいる人たちは頭を使って論理的に考える作業をしていることが多いだろう。そういう人たち、たとえばビジネスマンなんかにはこれまで発言できる媒体がなかったわけだけれども、ITの登場で誰もが自分の頭にある知識を外に出せるようになった。
このことは、「専門家」と「大衆」という概念の区別をますます危うくしていますね。
ただ、そこから、ブログを通じて一気に健全な民主主義が醸成されるかというとそれも疑問です。誰もが何でも言えるようになった分、罵詈雑言を並べる人も増えたわけだから。僕もそういうことをネットでしたことがあります。
鷲田小夜太さんは、どの分野でもトップ10%がしっかりした仕事をしているのなら、その分野は正常に機能をしている、と言っていました。つまり、世の中でしっかりものを考えることのできるのは、10パーセントいればいい方だということです。
でも、いずれにせよ、その世の中全体の10パーセントがその気になれば発言できるチャンスが急激に増えたことは事実です。それはやはりいいことなんだと思います。
涼風
reference:
鷲田小夜太著『大学教授になる方法』
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