石原千秋さんの中学入試の国語と大学入試の国語関連の本を読んで現代文の入試傾向を見ていると、私にとっては、大学入試の現代文のほうが圧倒的に読みやすい。
なんというか、問題文を作った人の意図も設問を作った人の意図も容易に読めてしまいます。
これは、わたしが多少なりともアカデミズムの人の物の考え方を知っているからです。
それに比べると、中学入試の現代文のほうが、著者や問題作成者の意図を読むのに苦労します。
もちろん中学入試の問題にもある程度はなれます。
ただ、もし私が(私立)中学の先生と日常的に付き合い、一緒に働き、飲み会などにも出席していたら、もっとはるかに中学入試の問題も理解できるでしょう。
国語というのは、それぐらい、問題作成者と同じ文化に触れているかいなかが重要なのです。
国語という科目は、他の科目以上に、学校という文化に左右されています。アカデミズムの空気が合う子どもは大学の現代国語の問題に苦労しないでしょうし、道徳的な意図をもつ中学国語に波長の合う子どももいるでしょう。
ただ同時に、そのどちらにも興味のない人だって世界には山ほどいます。
なんというか、問題文を作った人の意図も設問を作った人の意図も容易に読めてしまいます。
これは、わたしが多少なりともアカデミズムの人の物の考え方を知っているからです。
それに比べると、中学入試の現代文のほうが、著者や問題作成者の意図を読むのに苦労します。
もちろん中学入試の問題にもある程度はなれます。
ただ、もし私が(私立)中学の先生と日常的に付き合い、一緒に働き、飲み会などにも出席していたら、もっとはるかに中学入試の問題も理解できるでしょう。
国語というのは、それぐらい、問題作成者と同じ文化に触れているかいなかが重要なのです。
国語という科目は、他の科目以上に、学校という文化に左右されています。アカデミズムの空気が合う子どもは大学の現代国語の問題に苦労しないでしょうし、道徳的な意図をもつ中学国語に波長の合う子どももいるでしょう。
ただ同時に、そのどちらにも興味のない人だって世界には山ほどいます。