joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

学力テスト

2008年10月01日 | 日記
学力テストに関する議論が続いています。


子どもたちにとっては、自分たちの成績が低いことで大人同士がいがみ合い、中傷し合っているのですから、健全な状況とは言えません。




学力を上げるために、学校に塾の先生を呼んだり、いろいろと行政は試みています。


しかし、学校で学ぶ内容が本当に子どもたちの将来に役に立つのかという議論はなされません。その点については疑いの余地がなしとされています。


もし私たちが生きていく上で学校の5教科を習得することが必要であるなら、わたしたちは大人になってもそれらでいい点を取ることができなければなりません。


しかし実際には、学校の教科の内容を全部忘れてしまっていても、私たちの大部分は仕事をしていくのに困らないはずです。



この「学力」という幻想にいつまでわたしたちはとらわれ続けるでしょうか。


大人になったときに必要なことは、問題に対して自分の力で対処していく癖を身につけていることです。


しかし、子どもたちに勉強を教えている人は誰でも知っています。


「勉強」を教えられてきた子どもたちは、人から指示されなければ動くことができないし、同時に人の指示をちゃんと聞くこともできない人間に育っているのです。


これがどれほど恐ろしいことか分かりますか。


全国の小学生の子どもは、学校、塾でこういう言葉を言い続けています。


「今黒板に書いたことはノートに書かなければいけませんか?」


大切なことは自分が理解しているかどうかであるのに、すべての動作を教師の指示に合わせなければならないと思っているのです。


もともとある学科に興味をもっている一部の子どもは、教師の指示にとらわれずに自分の興味で学びを進めていきます。


しかしその他の大部分の子どもは、自分のしたくないことを「しなければならない」と思い込み、本当はしたくないことをしているために、ぼーっとして教師の話を聞いていません。


まだ教師や大人に刃向う子どもはいいでしょう。


もっとも深刻なのは、やりたくないことをするために、自分の好奇心や興味を殺して、ひたすら大人の言うことに合わせようとする子どもたちです。


つまり、私たちの子ども時代のことであり、今の子供の大部分のことです。


彼らは自分の興味のないことをしているのですから、その教科の内容について自分で考えることなどしません。


また教師の話の内容を深く理解しようともしません。


とにかく、教師の言葉の表面的な部分だけをなぞろうとします。


結果的に、教師の話に合わせようとして、まったく的外れのことしかできないようになります。


こうして、既存の教育は、人の指示に従おうとしながら、人の指示の内容を理解することができない人間を大量に生み出しているのです。


彼らは、組織の中でしか生きていけないにもかかわらず、組織に必要な仕事もできない人間へと育っていきます。


わたしたちの社会の大部分はそのような人材で構成されており、今の教育もそのような人材を再生産しています。


でも、学力テストの点数などは教育にとって重要でも何でもないということに、多くの人は気づき始めています。