最近・・・国会議員による秘書の方への暴言暴力がマスコミから流れてくる。
テレビから何度となく流される国会議員の声に、胸を痛めていた。
それは、私自身と重なったりするからだ。
もちろん、彼女を擁護するつもりはない。
しかし、私も仕事と子育てに追われ疲れ果てていた時・・・
一番弱者である最愛の子どもたちに、あたったことがある。
それは、事実だ。
そして、そのあと、ひどく自分を責めたが、
子どもたちの心の傷は、癒えたりしないだろう。
そんな時私は、保育士の方に必ず報告して、
園での子どもたちの様子をよく見ていてください・・・とお願いした。
わたしは『虐待』しているのではないかと・・・保育士に相談した。
わたしは保育士に話せるだけよかったのだと思う。
誰にも話せずに心を痛めているお母さんもたくさんいるだろう。
そのお母さんたちのつらさを思うと・・・ずんと心が重くなる。
保育士は私にいつも笑顔で話してくれた。
『大丈夫、お母さん・・・私もたまに家でやっちゃいます。』と。
コメンテーターの方たちが、「ありえないですよね・・・」と話され、
街頭インタビューでも、「ひどすぎますよね・・・」と異口同音に・・・
もう一度言うが、私は彼女を擁護するつもりはない。
でも、世の中全体で彼女の事、あきれ返ってる・・・そのことが怖い。
私も、子どもを怒鳴り飛ばした・・・絶対弱者の子どもを・・・
子育てしながら、そういった経験をされている母親はいるはずだ。
そして、そんな自分をどうしたらよいのかと、悩んでいる母親もいるはずだ。
『あの声』を何度も何度も流すのはやめてほしい。
彼女にもお子さんがいる・・・辛すぎる・・・お願いだから、やめてほしい。
国会議員という仕事をすることは、適さない方だと思う。
でも、彼女の心も安らかになってほしいと・・・
被害にあわれた方にきちんと謝罪をされ、
次にどうしていくか・・・を彼女自身が、ゆっくり考え選べるように・・・
そんな環境になれば・・・とそう思う。
先日、娘と食事をしたとき、
自分と違うということをもっと受け入れられるといいのにね・・・と話した。
あの国会議員の方はそれができなかったのだろう・・・
相手の在り方を認め受け入れ尊重すること。
それができなかったのだろう。
でも・・・
マスコミというのも大変恐ろしいもので、人心を誘導する力を持っている。
権力も、もちろん恐ろしい存在だが、マスコミもまた恐ろしい。
権力とは別の意味で、その存在は力がある。
だからこそ、自省し、自制できなければならない。
(報道の自由を権力が規制することは許してはならないが)
子どもを育てる大人も子どもにとって大きな絶対的な力を持っている。
失敗は、あるだろう。
間違えも犯すだろう。
私もたくさんの間違いを犯している。
だからこそ、自省し、自制できなければならない。
闇を持たぬ人などいない・・・私はそう思う。
闇を抱え込みながらも、良心を求め、良識を持たなければならないのだと思う。
そんなことを思う今日この頃・・・
先日、お芝居を観に行ったジロキチという高円寺の老舗ライブハウス。
その壁や天井が、『人間』をたくさん見つめてきた・・・そんな匂いがしていた。
とてつもなく・・・素敵な空間だった。
『贋作・一条さゆり』は特別なストリッパーではなく、
ひとりひとりの人間の中に住んでいるある種の『神様』なのかもしれない。
フツウの人達の中に住んでいる『神様』はたくさんいて、
どんな『神様』が姿を現しているかは人によって違うのだろう。
闇を持たぬ人などいない・・・
佳き人であることを押し付けてほしくない。
たくさんの命が、それぞれに懸命に生きているのだから。
彼女を擁護するつもりはないことを最後に重ねて書いておきます。
ただ、なんとなく、善は善、悪は悪とひとつ物差しで決めるようになった時・・・
それは、人間が自分を失い暴走するときなのだと・・・感じているのです。
私にとって、大切なのは小さな疑問を持ち続けること。
決めつけるのではなく、問いかけ、思考し、話し、発見すること・・・
私は、それが大切な気がするのです。
テレビから何度となく流される国会議員の声に、胸を痛めていた。
それは、私自身と重なったりするからだ。
もちろん、彼女を擁護するつもりはない。
しかし、私も仕事と子育てに追われ疲れ果てていた時・・・
一番弱者である最愛の子どもたちに、あたったことがある。
それは、事実だ。
そして、そのあと、ひどく自分を責めたが、
子どもたちの心の傷は、癒えたりしないだろう。
そんな時私は、保育士の方に必ず報告して、
園での子どもたちの様子をよく見ていてください・・・とお願いした。
わたしは『虐待』しているのではないかと・・・保育士に相談した。
わたしは保育士に話せるだけよかったのだと思う。
誰にも話せずに心を痛めているお母さんもたくさんいるだろう。
そのお母さんたちのつらさを思うと・・・ずんと心が重くなる。
保育士は私にいつも笑顔で話してくれた。
『大丈夫、お母さん・・・私もたまに家でやっちゃいます。』と。
コメンテーターの方たちが、「ありえないですよね・・・」と話され、
街頭インタビューでも、「ひどすぎますよね・・・」と異口同音に・・・
もう一度言うが、私は彼女を擁護するつもりはない。
でも、世の中全体で彼女の事、あきれ返ってる・・・そのことが怖い。
私も、子どもを怒鳴り飛ばした・・・絶対弱者の子どもを・・・
子育てしながら、そういった経験をされている母親はいるはずだ。
そして、そんな自分をどうしたらよいのかと、悩んでいる母親もいるはずだ。
『あの声』を何度も何度も流すのはやめてほしい。
彼女にもお子さんがいる・・・辛すぎる・・・お願いだから、やめてほしい。
国会議員という仕事をすることは、適さない方だと思う。
でも、彼女の心も安らかになってほしいと・・・
被害にあわれた方にきちんと謝罪をされ、
次にどうしていくか・・・を彼女自身が、ゆっくり考え選べるように・・・
そんな環境になれば・・・とそう思う。
先日、娘と食事をしたとき、
自分と違うということをもっと受け入れられるといいのにね・・・と話した。
あの国会議員の方はそれができなかったのだろう・・・
相手の在り方を認め受け入れ尊重すること。
それができなかったのだろう。
でも・・・
マスコミというのも大変恐ろしいもので、人心を誘導する力を持っている。
権力も、もちろん恐ろしい存在だが、マスコミもまた恐ろしい。
権力とは別の意味で、その存在は力がある。
だからこそ、自省し、自制できなければならない。
(報道の自由を権力が規制することは許してはならないが)
子どもを育てる大人も子どもにとって大きな絶対的な力を持っている。
失敗は、あるだろう。
間違えも犯すだろう。
私もたくさんの間違いを犯している。
だからこそ、自省し、自制できなければならない。
闇を持たぬ人などいない・・・私はそう思う。
闇を抱え込みながらも、良心を求め、良識を持たなければならないのだと思う。
そんなことを思う今日この頃・・・
先日、お芝居を観に行ったジロキチという高円寺の老舗ライブハウス。
その壁や天井が、『人間』をたくさん見つめてきた・・・そんな匂いがしていた。
とてつもなく・・・素敵な空間だった。
『贋作・一条さゆり』は特別なストリッパーではなく、
ひとりひとりの人間の中に住んでいるある種の『神様』なのかもしれない。
フツウの人達の中に住んでいる『神様』はたくさんいて、
どんな『神様』が姿を現しているかは人によって違うのだろう。
闇を持たぬ人などいない・・・
佳き人であることを押し付けてほしくない。
たくさんの命が、それぞれに懸命に生きているのだから。
彼女を擁護するつもりはないことを最後に重ねて書いておきます。
ただ、なんとなく、善は善、悪は悪とひとつ物差しで決めるようになった時・・・
それは、人間が自分を失い暴走するときなのだと・・・感じているのです。
私にとって、大切なのは小さな疑問を持ち続けること。
決めつけるのではなく、問いかけ、思考し、話し、発見すること・・・
私は、それが大切な気がするのです。
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