CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

アメリカ大統領選挙で感じたこと書いてみた・・・

2016-11-10 10:56:03 | 日記
たぶん人間は、一人として、すべてが一致することはない。
というより、同じでないことが当たり前なわけで・・・
だから、古代ギリシャ人たちは、よく議論した、哲学をした。
人はどうあるべきかを自らに、そして人に問い続けた。

たぶん人間は、地球上で一番わがままで傲慢で自分勝手で破壊を好む動物だ。
だからこそ、自省し自制できなければ・・・とても危険な動物だ。

いろんな国、その国の中にもたくさんの民族、いろいろな宗教・・・
それらが、ともに在ること・・・そのためには、イメージすることがとても大事。

そして・・・自分の思いをなんでもぶちまけるのではなく、
そこには、『理性』というブレーキを持ち合わせなければ、共存はできない。

理想ばっかり言いやがって・・・と言われるかもしれない。
理想を語らなくなったら、
理想を追い求めなくなったら・・・人間は破滅への道を驀進するだろう。

理想と現実の乖離・・・
それは、私自身の中にもあり、そのことに苦悩する。
人間だものね・・・シェークスピアだって、チェーホフだって、ブレヒトだって書いている。

その苦悩があってこその秩序であり、共生であり、社会である。

『隠れ何とか』という人たちが話題になった。
自分がいえないことを言ってくれる人。
その人を応援していると表明すると、恥ずかしいし、そしりを受ける。
だから、表明はしない。
匿名でなら表明するけど、表立って言えない。
そんな『隠れ何とか』さんたちが話題になった。

例えば、家庭で夫婦が、街角でカップルが、
すべての自分の赤裸々な思いをぶつけていたら、
巷には争い、喧嘩、暴力が横行する。

だから、我慢するし、自制するし、調和するために
また、意見が違った場合議論するし、解決できない時には司法にゆだねる時もある。

『隠れ何とか』さんたちは、恐ろしいことをしてしまったようだ。

小さな小さな集団でさえしている自制。
理想と現実の乖離に対する苦悩や葛藤。
人として、それは永遠の課題であるであろうことを、
いとも簡単に投げ出してしまった・・・

『人』としてとても大切なものを・・・

権力の側に回ったら、満面の笑みでいうのだろうか「僕は初めから支持していたんだ」と。
なんと、恐ろしいことだろう。
それが、どんなに恥ずかしいことか・・・そんな感覚さえ失ってしまったのだろうか。

資本主義という経済の仕組みが限界にきていることは確かで、
どっちへ向かうのだろう・・・と思いながら、
『人』の愚かさや、弱さをつくづく感じる・・・
でも、だからこそ、人間なのかもしれない。

私は人間をあきらめない。

誰一人、同じ人はいない。
だからこそ、協調し、協力し、共生するための道を今模索するときなのだ・・・と私は思っている。
そして、その根本は、人類愛であり、すべて命を尊ぶこと、暴力を排除することだ。
自己愛、自国愛、というような狭い意味での愛ではない・・・

理想主義者と言われても、私は人として『理想』を掲げ、
自分の弱さや愚かさ罪も抱え込みながら、人間をやっていこうと思うわけだ。

と、珍しく世の中のタイムリーな話題に、触れてみた。

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