たぶん人間は、一人として、すべてが一致することはない。
というより、同じでないことが当たり前なわけで・・・
だから、古代ギリシャ人たちは、よく議論した、哲学をした。
人はどうあるべきかを自らに、そして人に問い続けた。
たぶん人間は、地球上で一番わがままで傲慢で自分勝手で破壊を好む動物だ。
だからこそ、自省し自制できなければ・・・とても危険な動物だ。
いろんな国、その国の中にもたくさんの民族、いろいろな宗教・・・
それらが、ともに在ること・・・そのためには、イメージすることがとても大事。
そして・・・自分の思いをなんでもぶちまけるのではなく、
そこには、『理性』というブレーキを持ち合わせなければ、共存はできない。
理想ばっかり言いやがって・・・と言われるかもしれない。
理想を語らなくなったら、
理想を追い求めなくなったら・・・人間は破滅への道を驀進するだろう。
理想と現実の乖離・・・
それは、私自身の中にもあり、そのことに苦悩する。
人間だものね・・・シェークスピアだって、チェーホフだって、ブレヒトだって書いている。
その苦悩があってこその秩序であり、共生であり、社会である。
『隠れ何とか』という人たちが話題になった。
自分がいえないことを言ってくれる人。
その人を応援していると表明すると、恥ずかしいし、そしりを受ける。
だから、表明はしない。
匿名でなら表明するけど、表立って言えない。
そんな『隠れ何とか』さんたちが話題になった。
例えば、家庭で夫婦が、街角でカップルが、
すべての自分の赤裸々な思いをぶつけていたら、
巷には争い、喧嘩、暴力が横行する。
だから、我慢するし、自制するし、調和するために
また、意見が違った場合議論するし、解決できない時には司法にゆだねる時もある。
『隠れ何とか』さんたちは、恐ろしいことをしてしまったようだ。
小さな小さな集団でさえしている自制。
理想と現実の乖離に対する苦悩や葛藤。
人として、それは永遠の課題であるであろうことを、
いとも簡単に投げ出してしまった・・・
『人』としてとても大切なものを・・・
権力の側に回ったら、満面の笑みでいうのだろうか「僕は初めから支持していたんだ」と。
なんと、恐ろしいことだろう。
それが、どんなに恥ずかしいことか・・・そんな感覚さえ失ってしまったのだろうか。
資本主義という経済の仕組みが限界にきていることは確かで、
どっちへ向かうのだろう・・・と思いながら、
『人』の愚かさや、弱さをつくづく感じる・・・
でも、だからこそ、人間なのかもしれない。
私は人間をあきらめない。
誰一人、同じ人はいない。
だからこそ、協調し、協力し、共生するための道を今模索するときなのだ・・・と私は思っている。
そして、その根本は、人類愛であり、すべて命を尊ぶこと、暴力を排除することだ。
自己愛、自国愛、というような狭い意味での愛ではない・・・
理想主義者と言われても、私は人として『理想』を掲げ、
自分の弱さや愚かさ罪も抱え込みながら、人間をやっていこうと思うわけだ。
と、珍しく世の中のタイムリーな話題に、触れてみた。
というより、同じでないことが当たり前なわけで・・・
だから、古代ギリシャ人たちは、よく議論した、哲学をした。
人はどうあるべきかを自らに、そして人に問い続けた。
たぶん人間は、地球上で一番わがままで傲慢で自分勝手で破壊を好む動物だ。
だからこそ、自省し自制できなければ・・・とても危険な動物だ。
いろんな国、その国の中にもたくさんの民族、いろいろな宗教・・・
それらが、ともに在ること・・・そのためには、イメージすることがとても大事。
そして・・・自分の思いをなんでもぶちまけるのではなく、
そこには、『理性』というブレーキを持ち合わせなければ、共存はできない。
理想ばっかり言いやがって・・・と言われるかもしれない。
理想を語らなくなったら、
理想を追い求めなくなったら・・・人間は破滅への道を驀進するだろう。
理想と現実の乖離・・・
それは、私自身の中にもあり、そのことに苦悩する。
人間だものね・・・シェークスピアだって、チェーホフだって、ブレヒトだって書いている。
その苦悩があってこその秩序であり、共生であり、社会である。
『隠れ何とか』という人たちが話題になった。
自分がいえないことを言ってくれる人。
その人を応援していると表明すると、恥ずかしいし、そしりを受ける。
だから、表明はしない。
匿名でなら表明するけど、表立って言えない。
そんな『隠れ何とか』さんたちが話題になった。
例えば、家庭で夫婦が、街角でカップルが、
すべての自分の赤裸々な思いをぶつけていたら、
巷には争い、喧嘩、暴力が横行する。
だから、我慢するし、自制するし、調和するために
また、意見が違った場合議論するし、解決できない時には司法にゆだねる時もある。
『隠れ何とか』さんたちは、恐ろしいことをしてしまったようだ。
小さな小さな集団でさえしている自制。
理想と現実の乖離に対する苦悩や葛藤。
人として、それは永遠の課題であるであろうことを、
いとも簡単に投げ出してしまった・・・
『人』としてとても大切なものを・・・
権力の側に回ったら、満面の笑みでいうのだろうか「僕は初めから支持していたんだ」と。
なんと、恐ろしいことだろう。
それが、どんなに恥ずかしいことか・・・そんな感覚さえ失ってしまったのだろうか。
資本主義という経済の仕組みが限界にきていることは確かで、
どっちへ向かうのだろう・・・と思いながら、
『人』の愚かさや、弱さをつくづく感じる・・・
でも、だからこそ、人間なのかもしれない。
私は人間をあきらめない。
誰一人、同じ人はいない。
だからこそ、協調し、協力し、共生するための道を今模索するときなのだ・・・と私は思っている。
そして、その根本は、人類愛であり、すべて命を尊ぶこと、暴力を排除することだ。
自己愛、自国愛、というような狭い意味での愛ではない・・・
理想主義者と言われても、私は人として『理想』を掲げ、
自分の弱さや愚かさ罪も抱え込みながら、人間をやっていこうと思うわけだ。
と、珍しく世の中のタイムリーな話題に、触れてみた。
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