『ありのままの自分』であることは、なかなか難しい。
というのも、『自分』はたった一人で、
他の人たちは、他の人たちで『自分』ではない。
その絶対多数の『他者』の中に埋もれているわけだ。
私は小さな頃、「邦子ちゃんは良い子ね。」
「邦子ちゃんは、賢い子ね。」と言われ続けた。
それは、嬉しいことではなかった。
子どもだったけど、私は、そう言われることが、
なんとなく嬉しくは、なかった。
かといって、お前はダメだ馬鹿だと言われたいわけでもないんだけど(笑)
フツウにしているだけなのに、褒められたり、
フツウにしているだけなのに、貶されたり、馬鹿にされたり。
他者の目、評価ってやつが付いて回る。
世間体や無駄な常識に縛られる。
とかく社会ってやつは、厄介だ。。。
半世紀以上生きてみて、『ありのままの自分』でいることって、
やっぱり、難儀やなぁ。。。と思うことが、ある。
『自分』を理解してほしいなどと思うからいけないんだ。
わからない人は、わからないんだ。
そう、自分は、自分の他には存在しないのだから。
わからなくても良いから、ほっといてくれれば、それで良い。
逆に相手を理解できるとか、分かっていると思うことも
これまた不遜な態度と言える。
自分なりに理解することはできるが、
それは、あくまで『自分なり』にであって、全てを理解しているわけではない。
どんなに親しい間柄でも、愛し合っているとしても、親子でも。
だから、相手を尊重する。
それが大切。
迎合するのではなく、無視するのでもなく、尊重する。
また、ありのままで居る・・・というのは、他者から自分を隔離することでもない。
他者の中に『自分』をおくことで、初めて『自分』が確立できる。
そんな気がする。
あえて、仲良くする必要もないし、拒絶する必要もない。
どんな状況であれ、『ありのまま自分』ある。。。ってのが、理想なんだけど。
こんなこと書いてるってことは、これだけやりたいことやっているようで、
まだまだ、足りないよ、私が私を生きるってことは、もっともっとなんだ。
と、どっかで思っているからなのだろうなぁ。。。
というのも、『自分』はたった一人で、
他の人たちは、他の人たちで『自分』ではない。
その絶対多数の『他者』の中に埋もれているわけだ。
私は小さな頃、「邦子ちゃんは良い子ね。」
「邦子ちゃんは、賢い子ね。」と言われ続けた。
それは、嬉しいことではなかった。
子どもだったけど、私は、そう言われることが、
なんとなく嬉しくは、なかった。
かといって、お前はダメだ馬鹿だと言われたいわけでもないんだけど(笑)
フツウにしているだけなのに、褒められたり、
フツウにしているだけなのに、貶されたり、馬鹿にされたり。
他者の目、評価ってやつが付いて回る。
世間体や無駄な常識に縛られる。
とかく社会ってやつは、厄介だ。。。
半世紀以上生きてみて、『ありのままの自分』でいることって、
やっぱり、難儀やなぁ。。。と思うことが、ある。
『自分』を理解してほしいなどと思うからいけないんだ。
わからない人は、わからないんだ。
そう、自分は、自分の他には存在しないのだから。
わからなくても良いから、ほっといてくれれば、それで良い。
逆に相手を理解できるとか、分かっていると思うことも
これまた不遜な態度と言える。
自分なりに理解することはできるが、
それは、あくまで『自分なり』にであって、全てを理解しているわけではない。
どんなに親しい間柄でも、愛し合っているとしても、親子でも。
だから、相手を尊重する。
それが大切。
迎合するのではなく、無視するのでもなく、尊重する。
また、ありのままで居る・・・というのは、他者から自分を隔離することでもない。
他者の中に『自分』をおくことで、初めて『自分』が確立できる。
そんな気がする。
あえて、仲良くする必要もないし、拒絶する必要もない。
どんな状況であれ、『ありのまま自分』ある。。。ってのが、理想なんだけど。
こんなこと書いてるってことは、これだけやりたいことやっているようで、
まだまだ、足りないよ、私が私を生きるってことは、もっともっとなんだ。
と、どっかで思っているからなのだろうなぁ。。。
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