CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

音を借りて『コトバ』を伝えること・・・その三

2014-08-02 06:51:26 | 表現にからむ様々なこと
昨夜は家人の元に泊まり客三人。
夕方帰宅後、大慌てで準備する・・・
遠慮のない、気心知れた三人とはいっても、
少しは片付けたり、掃除したり、いつもよりつまみ多く作ったり、
で、今朝、早くに駅まで送った。
門前仲町から、船に乗り、木更津沖で釣りをするらしい。
海の風に吹かれて、気持ちいいだろうなぁ・・・

さて、歌ってなんだろう。

花ってなんだろう・・・と問われたら、それぞれ答えが違うように
それぞれのひとにとっての『歌』や『音楽』があるんだろうな。。。

私が『歌』ってなに?
と問われた時、すでに、いまや、
それは表現の『ツール』として思考する。

つい口ずさんでしまうものとか
悲しい時に励ましてくれるものとか
心癒されるものとか
聴く側の立場での思考より、
表現のひとつの方法として考えるってこと。

ピーター・ブルックという人がオペラとは何ぞやと問われた時
「人類が初めて洞窟から出た時のささやき」と答えたことが忘れられない。

歌も、音楽もそれが存在するだけの理由がある。
『伝えたいもの』がそこには存在する。

舞台で役者が『怒り』を表現する時に、

フォルムだけで、『怒り』が見えたりもする。
関係性や物語から『怒り』が見えたりもする。
台詞の内容から、『怒り』が見えたりもする。

そこには、『心』がともなっている事が重要だ。
フレームが整っていると、それだけで伝わってしまうから、恐ろしい。
伝えた気になってしまうから、恐ろしい。

芝居の稽古の時・・・『怒る』ことを繰り返しした。
演出家は、「心が動くまで、動くな!」と言った。
役者なら、当たり前の心を動かすということ・・・
これを確実にできるように。
条件反射ではなく、意図的に動かせるように・・・

心が動かなければ動作(身体)からヒントをもらう。
心が動かなければ声を出して、心の動きを感じることもありだ。

そして、実際に演じるときにまず『心を動かす』
心があるから、初めて動作になり声になる。

「心が動くまで、動くな!」

表現する人間の心が動かなければ、表現は生まれない。

伝えたいことがあること・・・それがとても重要なんだ。

歌は、伝えること、伝えたい心がなければ、歌えない。

喜び、怒り、哀しみ、楽しさ・・・
小さな漠然とした種でもいい。
最初にそれを持つことだ・・・

音を借りて『コトバ』を伝えること・・・
それは、さらにいえば、
『コトバ』を借りて、心・感情を伝えること・・・
『ものがたり』を語ることなんだ。。。

歌が上手か下手かではなく
そこに『伝えたいこと』があるかどうかが大切な気がする。

旋律やリズムや言葉に甘えて、伝えた気になっていては、いけない。

書けば書くほど、自分がまだまだだと自覚する。

歌が苦手で、音楽が好きではなかった私が、
歌や音楽に意識的に触れるようになって、まだ4年。

私の旅は、始まったばかりだ。

いくら思考しても、身体や技術が追い付かない。

基本の基・・・ストレッチと発声練習をしっかりしよう。

歌うためではなく、伝えるために・・・

もちろん、設計図(楽譜)通りに、
しかも豊かに表現することで伝えることもありだ。

音楽一般の定義ではなく、私が表現するための『ある思考』にすぎない。
私の思考は、あちらこちらに自由飛び回っている。
小さな哲学を繰り返している。。。

そうこうするうちに、あさって、月曜シャンソンコンサート。
初めて出会う方々もたくさんいらっしゃる。
他の歌い手さんの表現に触れることもできる。
さぁ・・・楽しまなくっちゃ・・・

ちなみに座席は自由席。
私のチケットまだありますので、ぶらっと立ち寄って、
理屈ばかりこねくり回す私の歌がどんなもんか・・・覗いてくださいませ。

お待ちしております。

さてさて、今日も洗濯機てもまわし始めるとしましょう(^_^)v


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