CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

昨日のGigのあとつらつら考えていること・・・

2019-04-18 12:03:24 | 表現にからむ様々なこと
これは多分、ここ数年、自分が求めていることなのだと思うが、
昨日のGIgのあと、そのことをずっと思考している。

まず、15日、蜂谷真紀(voice・vocal・pf・その他)さんと
バリ舞踏の小泉ちづこさんのGigで、『庖丁お定のモリタート』を歌った。
これが、強烈面白かった。
まったく、新しい『お定』がそこにいた。
この歌を私は『生きて』いるわけだが、普段は出さない本心というか、
内面をちょっと、さらけ出すことになった日だった。
内面を見せるような空気を蜂谷さんがつくって、それを感じた私は、
感じたままに、ある瞬間、内面をさらけ出した。
実に面白かった。
私がどう転ぼうと、それを受け止めてくれる蜂谷さんがいてくれた。
そこに小泉ちづこさんが舞い空間に流れをもたらした。
楽しい時間だった。
お二人に感謝(^.^)









そして、昨日のGig。
まず、山口コーイチさんのピアノにやられた。
やられてばっかりの私だが(笑)、この一年間で
素晴らしいミュージシャンと出会えている。
ご挨拶で終わった方もあるけれど、ご挨拶できただけでも私には財産で、
そういった出会いを与えてくださる杉田さんに感謝である。
(なんども言っているけれど、なんど言っても足りないくらいだ)
この間、ふと、ペットボトルも買うことを控える経済の中で、それで大丈夫なの?
と聞かれたけれど、私は、ペットボトルより、
表現すること表現の場にいることの方が重要なわけで、
なにも買えなくても、表現できる身体と精神を維持できればそれでいいと思っている。
まぁ、そんな私を拾ってくれた杉田さんに本当に感謝なわけです。

で、本題。
昨日のGig。
小林里枝さんのサックスは、本当に語り掛けるように空気を支配する。
強さ、叫び、咆哮することもサックスの醍醐味だが、
語り掛けることで、観客との距離感、ピアノとの呼吸、
そういった妙をしっかりと刻んでくれるサックスだと思った。
感受性の強さを秘めた里枝さんのサックスは、これからも、
彼女自身の彩を放ちながら昇華していくことだろう。
すっごく、楽しみ(^.^)
そして、山口コーイチさんのピアノ。
やられたねぇ・・・
かれは、策略家であり、悪戯っ子であり、大人であった。
そういったたくさんの面白がり方を備えている素敵な音どもは、
コロコロと転がりながら、飛び跳ねながら、
穏やかな流れさえもともなって、空間を自由自在に遊ぶ。
そして、山口さんのピアノが里枝さんのサックスと会話し、互いに変化していく。
その世界は、本当に楽しめた。














サックスは歌い語る。
ピアノも歌い語る。
『コトバ』を持たない楽器たちは演奏者によって歌い語り始める。
さて、そこでvocalである。
歌唄いたちは、言葉に胡坐をかいてはいまいか?
歌唄いたちは、伴奏してもらっていい気になってはいないか?
そこなんだ、私がずっと考えているのは、そこなんだ。

昨年急逝した私の大切なパートナーだったPAはいつも言っていた。
『カラオケ文化が、vocalの概念を変えてしまった。』
つまり、彼は、vocalが楽器の音の中に半分くらい沈んた感じでの音作りをしたかった。
ところが、カラオケというのはvocalが気持ちよければいい文化なわけで、
vocalを前に前に出して、沈めることをしない。
つまり、フロントもフロント、どフロントにつねにvocalは在るもの。
そういった『歌』を聴き慣れた耳は、そういったvocalが素晴らしいと理解する。
そうではないんだ、楽器の音と混ざり合ってその中で生まれる『歌』が本来の歌だと。

『コトバ』という魔物を扱うvocalは、どうあるべきなのか・・・
『コトバ』が聞こえないと、
『なんていったんだろう?』と観客はそちらに意識を持っていかれる。
だから、言葉が明瞭に聞こえることは基本の基になる。
つまり、『音』に観客は意味を求めず、感じるわけで、
『コトバ』を感じてほしいがやはりそこには『意味』伴う。

そういったこともあるのだろう、
『伴奏』という概念も生まれるわけで『歌伴』ということが成立する。

が、しかし、私は、対等でありたいと思うのだ。
楽器と楽器が音を出し合い感じあうように・・・感じあいたい。
『コトバ』という魔物を手にしながら、抱え込みながら、
『意味』を明瞭に伝えつつそれを超える感情を感じてほしいわけだ。
どうしたら、それができるのだろう・・・いつも私はそのことを考えている。
魔物と向き合いながら、考えている。
メロディーやテンポに支配されることなく、
『コトバ』に縛られることなく自分を解放する。
そして、楽器が紡ぐ音と交わり昇華する・・・
そのために歌唄いは何をするべきなのか・・・考えている。

昨日、里枝さんの歌うサックスと
山口さんのピアノに魅了されながら考えた。
私には、なにができるのだろう・・・と。

そして、お二人の世界に乱入し、
『庖丁お定のモリタート』を歌う機会を得て、とても楽しかった(^.^)
なんとも、素敵な時間をいただいた、お二人に感謝。

というわけで、やっぱり私は、
これからも迷走しながら瞑想し、
リアルに具現化しては、闇に潜行し、
閃光を放てる瞬間を求めるのだろうなぁ。。。
とコトバ遊びをしながらつらつら考えている。

ずっと、ずっと・・・考えている。
『コトバ』を抱え込み、『コトバ』に縛られながら
『コトバ』からの解放を・・・
それは、楽器の奏者たちも超えてきた『なにか』なのかもしれない。