うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

中川右介 グレン・グールド

2012年12月09日 | 本と雑誌

中川氏の著作、前回は二十世紀の十大ピアニストだった。
今回は出版社が朝日新聞出版に移る。グールドは先の十大ピアニストのひとりなので、内容は一部重なっている。

これまでの中川氏の作品と同じように、複数の登場人物を平行して描きながら時系列でその足跡を追っていく。ここで出てくるのはジェームズ・ディーンとエルビス・プレスリーだ。同じ時期に北米に生まれ、活躍した若者達、という点では共通するが、彼らがどこかでクロスオーバーするというわけでもなく、それによって世相が立体的に浮かび上がるというわけでもないので、何となく登場の必然性が低い気もする。

コンサート記録を淡々と追っていく手法も従来通りだが、グールドは64年頃からコンサートをしなくなる。そのこと自体に特にドラマがあるわけでもないので、なんとなく、尻切れトンボに終わってしまい、あとは後日談というかたちで軽く触れられているだけというのも、どうも消化不良な感じだ。

率直な言い方をすれば、材料と中川氏の文章力は良いのだが、全体のまとまり自体はちょっと弱い感じがしないでもない。もう少し練り込めば、素晴らしい作品になったような気もする。もちろん、読んでいる間はとても楽しかっただけど。

僕が音楽に関心を持った頃、既にグールドは鬼籍に入っていて、現役の時代を知らない。メディアや、様々な人の著作から、全盛期の人々の関心の高さを想像するだけだ。一応、新盤の「ゴルドベルク」は、ずっと前から持っていたが、グールドはそれほど僕の関心を引くピアニストではなかった。

今年はグールドの没後30年だそうで、CDショップには特設コーナーも設けられている。この本を読んだことをきっかけに、いくつかCDを買ってみた。

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平均律はCD4枚で1,400円足らず。

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フランス組曲は昔から大好きだが、演奏法には多少くせがあるようだ。

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昨年販売チャート1位になったそうだが、そんなことは知らなかった。

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リヒテルのシューベルト。グールドがリサイタルに行って、聞き入ってしまったという。ので、買ってみたが、たしかにゆっくりしたテンポで雰囲気が違う。個人的にはブレンデルの演奏も好きだけど。

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このほか、最初のゴルドベルクも買って、新旧聞き比べてみた。これもいい演奏だ。

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こちらはずっと前から持っていた、新盤。考えて見ると、いままであまり真剣に聞いていなかった気がする。

*12/9一部写真の入替と、追加をしました。

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しょうわちゃん

2012年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

しょうわちゃんはもちろん本名ではなく、会社の子がつけた名前だ。同じフロアの別のオフィスで働いている子のようだった。廊下でよく見かける人は他にもいるが、この子のことはちょっと気になっていて、時々会社の子と話していた。

おかっぱ(なんていったらいいの?ボブ)の、おとなしい感じで、普通なら全く目立たない子なのだが、さいしょの頃は毎日中原淳一の絵みたいな、ちょっと古風な感じのワンピースを着ていた。着こなしとしては普通でも、オフィスではちょっと異質だ。それも、たまにだったらすぐ忘れちゃうが、頻繁に見かけるので、印象に残ってしまう。全体的には、今風ではないとは言え良く似合っていたのだと思う。だから印象的だったのだろう。

その後、服装が替わり、裾の広いベルボトム風の上下になった。何となく、70年代初期のモードを思わせるものがあり、レトロな雰囲気は変わらなかった。どちらもとてもいい着こなしだが、周りとはちょっと異質なのだ。それで、会社の子に「さっき昭和の子と会った」というと、さっと通じた。

しょうわちゃんの独特なファッションはどこからきたのか。もしかしたら、お母さんが娘に色々買ってきてくれているものを着ているのではないか、と話したことがある。
「しょうわ、今度はこんなの買ってきたわよ。まあ、私の若い頃にそつくり」などといったりして。
しょうわちゃんと廊下ですれ違うと、よく目を伏せられた。きらわれてんじゃない、とからかわれたが、考えて見ると、僕がじろじろ見ていたのかもしれない。そのつもりはなくても、つい見てしまいたくなるのだ。

しょうわちゃんは一時期外で電話しているのを良くみかけたが、さいきんは全く見なくなってしまった。

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落ち葉

2012年12月05日 | まち歩き

欅の木の落ち葉が、道いっぱいに落ちている。街路樹のイチョウも、落ち葉で歩道をまっ黄色にしている。自転車で通ったが、ブレーキをかけると滑ってしまいそうでちょっと怖かった。
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アスファルトの道に枯れ葉が落ちると、掃除をしてゴミとして捨てられてしまう。
森の中や、土の道であればそのまま朽ちていって、やがて土に帰っていくのだが。

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ジュリア(1977年米)

2012年12月01日 | 映画

 秋が深まると、この映画をおもいだす。
映画の中心となるのが、主人公が滞在先のパリからロシアに向かうシーンであり、晩秋のパリの町並み、ベルリンに向かう列車内外の様子がとても印象的だからだ。

 初めて見たのは10年ほど前だ。他の番組を録画していて、録画ボタンを切り忘れてしまい、そのときに放映していたのが「ジュリア」だった。いったん録画を切ったが、見ているうちに引き込まれてしまい、再び録画ボタンを押した。

 幼友達のジュリアは、成長に伴い社会意識に目覚め、大学卒業後は市民運動に参加するようになった。一方リリアンは出版社につとめながら劇作家を目指し、やがて高名な作家、ダシール・ハメットと生活を共にするようになる。

 1934年、欧州では既にファシスト政権が誕生しており、緊迫の度合いを高めていた。創作に行き詰まり、パリに滞在するリリアンにもその邪悪な空気は伝わり、仕事ははかどらない。ジュリアはひどい怪我をし、リリアンは見舞いに行くがジュリアは病院からいずこへか連れ去れてしまう。

 アメリカに戻り、戯曲を完成させたリリアンは、ハリウッドで大成功を収める。有名になったリリアンはモスクワの演劇祭に招かれ、再びヨーロッパの土を踏む。パリでセレブリティたちのパーティに招かれ、朝帰りして戻ったホテルで、リリアンはジュリアからのメッセージを持った男に声をかけられる。男は反ヒトラーの組織で、政治犯などを救うための資金を、ベルリンに運んで欲しいという・・。

 早朝のホテル、午前の日差しが美しいチェイルリー公園、依頼を受けるかどうか悩みながら、落ち葉を踏むリリアン、夕闇のなか、慌ただしく駅に駆けつけ、列車に乗るシーン。

更に、発車直後の落ち着かない列車通路、車窓に打ち付ける雨、対向列車の汽笛にはっとするリリアン。列車が国境に達したときの、寒々しい駅構内、通関後のほっとした車内・・。

これらのシーンが、リリアンの揺れ動く心、行く先への不安感を上手に表現していて、本当に見事だ。同時に、ぼくらが自分たちの人生の中でどこかで経験した迷いや不安感、旅先の街や移動中の心細さなの記憶などを呼び覚ましてくれる。この空気感だけで、この映画を見る価値がある。

 午後のパリの街を歩きながら、リリアンは少女時代のジュリアとのことを思い出している。そこをマントを着た少女達が楽しそうにかけていく。また、ドイツ国内に入った列車に、制服(ヒトラーユーゲント?)を着た少女達が乗り込んできて、笑いながら通路を歩いたり、駅に着くと窓に鈴なりになって手を振ったりしている。不安と悩みを抱えるリリアンと、コントラストを作りたかったのだろう。

 リリアン(ジェーン・フォンダ)の演技は素晴らしい。ダシールや、友人達の間では気の強い女で、友人のために危険も厭わず活動する勇気、けなげさも持ち合わせている。しかし、ジュリアのような政治意識、社会意識は持っていない。ジュリアの読む、ダーウィン、エンゲルス、ヘーゲルなどはわからない。リリアンのジュリアに対する心は、いつまでも少女時代のままだ。名声を得ながら、筆を絶ち泰然としているパートナー、ダシールに対しても、時に怒りをぶつけながらも、畏敬の念を抱いている。
こういう、大人の女のかわいらしさというのは、誰でも表現できるものではないという気がする。

 ジュリア役のヴァネッサ・レッドグレイブ、ダシールのジェイソン・ロバーヅも素晴らしい。メリル・ストリープが、ちょい役で映画デビューした作品でもある。

 暗い時代のヨーロッパが舞台だが、とても好きな映画だ。

「ジュリア」は、作者リリアンヘルマンの自伝的な作品だ。JuliaはPentimentという短編集に収められている。映画冒頭でも、その冒頭の記述が、作者のモノローグの形で語られる。
 以前は時々洋書屋をさがして、見つけられなかったが、さいきんはamazonなどで検索するとでてくる。買おうかな?でも、最近洋書を読むのがおっくうで・・。

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