ピクトグラムは見て直感的に理解できるので、言葉の違いを乗り越えて理解しあえるとされています。
視覚的なコミュニケーションの手段として、期待されているのですが、言語に代わることが出来るというわけではありません。
音声言語を使わなくても見れば意味がパッと分かるので、言葉の通じない人間同士でも意思を伝えることが出来るというのですが、本当にそうなのでしょうか。
上の図は日本の安全標識の例で、下はECの安全標識の例です。
ECの場合は丸に斜めの線は禁止を表していますが、これは否定を表すNをデザインしたものだそうで、斜めの線が左上から右下に向かっているのはNのためです。
日本ではNで禁止を表現するという感覚がなかったので、右上から左下へ切る感覚で否定を表現しています。
つまり、直観に訴えるといっても共通の文化的な基礎がないと意味が通じるとは限らないのです。
立ち入り禁止のサインの人の形でも日欧共に男子になっていますが、人間を男性で代表させるのはヨーロッパの習慣で、本来日本のものではありません。
英語などでは人間をmanと男で代表させる表現になりますが、日本語では人は男という形で表現はしないのです。
ヨーロッパでは人を視覚的に表現すれば男になりますが、日本ではそういう感覚ではなので、男性のマークに禁止のマークを重ねれば、男性の出入り禁止の意味になりかねません。
禁煙にしても、シガレットがタバコを代表するのは、現代の欧米中心の風俗で、いつの時代でも、どの文化でも共通というわけではありません。
注意記号についてはECの場合は三角が注意を表し、「!」は強調を示してい手、特に危険という意味はありません。
日本の「!」が危険となっているのは、ECの三角に意味を見ないで、単なるフレームと思って、「!」が意味の本体と思ってしまったからかもしれません。
要するに、直観的な理解は必ずしも共通の理解にはなっていないのです。
絵だから言葉の説明抜きで理解しあえると思い込んでしまうと、誤解があるということに気づかなくなってしまうのです。
言葉が分からなくても理解できるということであれば、チンパンジーでも説明抜きで理解できてもよさそうなものですが、そうした例は聞きません。
チンパンジーに言葉を教える場合に、絵文字のようなものを使いますが、チンパンジーはどんな絵文字にせよ、見たら直ちに意味を理解するということはありません。
少しの単語でも大変な忍耐を持って(人もチンパンジーも)長い時間をかけて繰り返し訓練してやっと覚えているのです。
現在開発されているピクトグラムはほとんどが、現代の欧米の産業社会の文化を基礎としたもので、直観的に理解できるというのは、欧米風の生活に慣れ親しんでいる人の場合なのです。
ピクトグラムを普及させて、言葉の壁を乗り越えて世界中のコミュニケーションを可能にしようというのは、理想的に聞こえますが、英語を共通語にしようという主張に似て、いわゆるグローバリゼーション推進の後押しになりかねません。
ピクトグラムでは言語のような複雑な情報伝達は出来ないので、限られた範囲のコミュニケーション手段だと割り切ればよいのですが、それでも欧米風に偏りすぎるということには注意するべきです。
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