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漢字の意味の誤解

2007-07-17 22:53:08 | 言葉と文字

 漢字が読めているのに意味が誤解されているという例があります。
 政治家などの発言はマスコミで報道されるので、発言を飾ろうとして漢語を間違って使ったりすると目立ってしまいます。
 運動会の挨拶で「晴天に恵まれ」というところを「青天の霹靂に恵まれ」といってしまった政治家がいたそうですが、霹靂という言葉の意味を知らなかったのでしょう。
 「怒り心頭に発する」を「怒り心頭に達する」といってしまったりするのは、「心頭」の「頭」の意味の誤解で「頭にくる」と思っている例です。

 最近の新聞記事で「疑問が残る」というのを「疑心暗鬼を払拭できない」と表現してありましたが、「暗鬼」の意味を無視してしまっています。
 「暗鬼」は「不安、妄想による恐れ」で、記者は強く疑問が残ったというところを難しげな表現を使おうとしたので、おかしな表現となっています。
 「綺羅星のごとく」は良く例にあげられる誤解で、「綺羅」を「キラキラ」という形容詞と感じ「キラ星」と思っているという例です。
 辞書を引けばすぐにまちがいに気がつくもので、つぎの「憮然」も辞書を引かないで「ブスっと」した感じとして使われたりします。
 「言語道断」も辞書には「真理は言葉では説明できない」という意味が最初にあるのですが、「口でいえないほどとんでもない」という意味につかわれています。

 「慙愧に堪えない」「痛恨の極み」「忸怩たる思い」というのも最近の政治家の発言例ですが、談話の内容から、それぞれ「残念」「痛ましい」「後悔」というような意味で使っているらしいのですが、言葉の音感あるいは語の一文字の字面で判断しているようで、漢字が感字になっていると思われます。
 いずれも辞書を引いていれば間違えないのに、漢字の意味を確かめずにフィーリングで難しげな表現を使っているのです。
 日本人は漢字の表意性に頼っているといわれているけれども、案外そんなことはなく、結構難しい言葉も耳で覚える場合が多く、漢字の意味と関係ない解釈をしている例がかなり多くあるのです。

 「虎視眈々」という言葉を使っても「眈」はどんな意味かと考えても見なかったという人が多いでしょう。
 「絢爛」「炯炯」「齟齬」「爛漫」「揣摩」といった文字はどんな意味かと言われても、きちんと答えられる人はめったにいないでしょう。
 耳学問で言葉を覚えて、なんとなく意味が分かったような気がすれば、使われる漢字の意味など確かめようとはしないのです。
 


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