図の中央の縦線aと右側の縦線bを比べてみると、bのほうがよほど長く見えます。
これが実は同じ長さであるといわれても、実際に測って見なければなかなか納得できないでしょう。
この図は左上にあるA図で右側の縦線のほうが左側の縦線より長く見える、いわゆるミュラー.リヤー錯視の説明に使われているものです。
建物の角と隅に見られる形で、角のほうは隅のほうより手前に見えるので、短いと感じます。
現代人は四角い建物の角とか、部屋の中の隅を見る経験が多く、その結果A
のような図形を見ると左側は手前に見え、右側の図は奥まって見えるため、左側の縦線のほうが短く見えるというのです。
かつてのアフリカのズールー族は円形の家を作って住み、畑も円形だったのでこうした四角い建物にある形を見る経験がないため、Aのような図を見ても錯視が生じなかったといいます。
こうした説明があればとても納得して、A図の場合に左側の縦線のほうが長く見えるのは、生活経験から奥行き感と結びつけて、左側は手前に感じ、右側は奥に感じるためだと思ってしまいます。
この説明は類推法で、部分的な経験から全体を推測しているものです。
たとえばA図を横にしたB図の場合、やはり下のほうが長く見えますが、下のほうが奥まって見え、上のほうが手前に見えるというわけではありません。
また、心理学の調査実験では、この錯視は子供や老人の場合に強く、成年の場合は弱いので、文明生活の経験によって生ずる錯視だとする推測とは矛盾します。
aよりbのほうがはるかに長く感じるのは矢羽の形に奥行き感を感じるためなのかを確かめるためaとbの部分を抜き出して並べて比較したのが左下の図ですが、こうして見るとあれほど激しく差が感じられたのにここではほとんど差が感じられません。
先ほど差が激しく感じられたのは、全体の絵画表現が遠近法によっているので、遠近感が強く感じられたためです。
絵画表現から切り離して、図形だけを比較してしまうと差がほとんど感じられないということは、原因と結果を取り違えているのです。
そうしてみると、かつてのズールー族の錯視が少なかった原因が、円形の家に住んでいたからというのもコジツケではないのかなと思われてきます。
ズールー族は紙のような平面の上に描かれた画像に慣れていなかっただけで、
錯視が少なかったのは視力がよく、矢羽根の部分と軸線の部分を切り離して見る能力が文明人より優れていたためとも考えられます。
実際、ハエやミツバチもミュラーリヤーの錯視をするというのも、これらは視力が弱いためで、なにも遠近法に習熟していると言うわけではないでしょう。
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