かつては「月食」と書かず、「月蝕」と書くのが普通でしたが、現在では常用漢字で「月食」とするのが優勢となっています。
「月食」ではいけないという人もいますが、「月食」ではまちがいということではありません。
「蝕」のほうは虫が食いかじるという意味に特化しているので、「日蝕」や「月蝕」にふさわしいような感じがします。
「食」は「たべる」が主な意味でそこから派生して「くらう」「やしなう」「食い欠ける」「(食べて)なくす」といった意味が出てきています。
「食禄」「朝食」「食客」「大臣の食言」「食い違い」「食指を動かす」など「食」は多義的です。
「蝕」という字が出てきたら「ゲッショク」はそちらに任せたほうが「食」の多義性が緩和されるのですが、「蝕」を常用漢字外として避けるとまた「食」を使うようになるのです。
「キダイのワル」などというときは「稀代」だったのですが、常用漢字外なので「希代」と書くようになっています。
「稀」は「まれ」というような意味しかないので「希代」と多義漢字を使わず、「稀代」としたほうがスッキリする感じです。
「母」も「母親」「酵母」「航空母艦」「母国」「母音」など多義的なので、「拇指「拇印」など「おやゆび」という意味しかない「拇」にまかせたほうが良いように見えます。
「委」も「委譲」「委棄」「委任」「委細」など「委」の意味が分からなくても組み合わせた文字の意味から熟語全体の意味がわかりますが、「委」がどうしてこれらの意味を持つのかはわかりにくいでしょう。
「萎」のほうは「なえる」という意味なので「萎縮」という熟語に適合的です。
「ヤマトコトバ」は数が少ないので、「あげる」とか「さげる」「とる」など、それぞれ漢字を何種類も当てることが出来るように多義的です。
漢字は何万種もあるので、多義的な文字など必要があまりないのではないかと予想されるのですが、実際はそうでもありません。
実用的にはあまりたくさんの文字を用意するより、類似の音とか意味の文字を兼用したほうが使い勝手が良いということもあります。
また言葉の意味はどうしても変化していくので、そのたびに文字を作るということも大変なことで、収拾がつかなくなります。
日本では以前はなるべく難しい漢字を使う傾向でしたが、このごろはなるべく使う漢字を少なくしようとしてきています。
使う漢字を少なくしようとすればどうしても、ひとつの漢字で多くの意味を表さなければいけなくなります。
漢字の種類を少なくしても、ひとつの漢字についていくつもの意味を覚えなくてはならないので、脳の負担が少なくなるとは限りません。
ひとつの漢字についてひとつの意味しか覚えていなければ、文字を読めても意味は分からないという状態になりかねないのです。
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