携帯メールなどで使われる顔文字は、文字遊びとしては面白いらしく、今どれだけの種類があるか分からないほど沢山つくられています。
正高信男「考えないヒト」によれば、こういう絵文字(アイコン)を使うのも、日本の若者がサル化している証拠だといいます。
どういうことかというと、アイコンというのは、表示通りの意味でしか理解されないからだというのです。
人間の会話ならたとえば、「わるかったね」という言葉でも「ごめんね」という意味の場合もあれば、「うまくいかなかった」とか「文句を言うな」という意味だったりします。
状況や話者によって意味が異なり、字面だけでは判断できないときがあります。
なるほど、サルは同じ叫び声でいくつもの意味を表すことがないだろうから、決まった意味しか表さないアイコンのようなものを使うのは、サル化しているということかな、と同調しそうになります。
しかし、顔文字のようなものは、ある程度頭が柔軟でないと出来そうにないので、サルには無理ではないかと思いますが、アイコンの意味が誰でも間違いなく分かるというのは誤りです。 顔文字のようなアイコンではなく、一般的に使われているもので、ナイフとフォークを並べて飲食施設を示すものがありますが、100年前ならほとんどの日本人には理解されなかったでしょう。
郵便マークなど外国人には通用しません。
顔文字にしたところで外国人にもすべて同じ意味に理解されるかどうか疑問です。
また、笑うとか怒るとかいった顔文字も、実はそれぞれ一種類ではなく沢山の種類があって、意味がハッキリしているわけでもありません。
見る人によっては「どういう意味なんだ」と首をかしげる場合もあるでしょうし、誤解することもありえます。
この絵文字はこういう意味だと、一般的に認められているとは限らず、イメージを伝えているだけなので、受け取り方は相手次第です。
顔文字は顔の表情から始まったのですが、適用範囲がどんどん広がって、仕種とか顔以外のものの形にまで広がって、象形文字のようなものまであります。
顔文字のような絵文字というのは、単に文字で意味を表すだけでなく感覚的なイメージを伝えようとするので、擬音語のような性質も持っています。
サルはたとえば仲間にライオンがいるということを伝えるのに「ウォー!」と声を似せたりはしません。
視角イメージや聴覚イメージを伝えようとするのは人間だけで、サルには見られないことなので、絵文字を使うからサルに近いというのはヘンです。
また絵文字だから文字通りの意味しか伝わらないというのも誤解で、書き手の意図しだいで逆の意味を表すことも出来ますし、受け取り手が勘ぐるということもあるので、そういう点では普通の文字と変わることはありません。
絵文字であっても普通文字の言葉であっても、人間が使う以上、表示どおりの意味とは別の意味に使われたり、解釈されるることはあるのです。
現代の若い者は未熟でだらしがないと思えば、サル化していると感じるかもしれませんが、言葉や表現がサル化しているとしてそれを証拠とするのどうかと思います。
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