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字面を見て分る漢字の長所と短所

2008-08-28 23:17:16 | 言葉と文字

 子犬や子馬を「仔犬」「仔馬」と書くことがありますが、犬や馬なのになぜ人偏をつけた「仔」の字を使うのか気にかけていないようです。
 本来「仔」は人間の子供の意味だったはずですが、小さいとか細かいという意味にも使われ、仔細というような熟語も出来ています。
 「仔細」というような言葉になれば、「子供」という意味は消えていて、単に小さいという意味になっています。
 「仔犬」や「仔馬」の場合は、「小さい」という意味と「子供」という意味が残っていますが、「人間」の意味は残っていませんから、文字のなかの「ニンベン」という要素は無視されています。

 漢字は字面を見れば偏などによって何にかかわる言葉なのか見当がついて、意味が類推しやすいということになっていますが、そうとばかりはいえません。
 よく使われる漢字でも意味が分かっていても、あらためて文字の構成要素を見ると、かえってわけが分らなくなるものもあります。
 たとえば「黙る」という字でも、黒い犬とどういう関係があるのか辞書には説明があっても、納得のいく説明ではありません。
 「突」は新字体では穴に大ですが、旧字体では穴に犬で、穴から犬が跳びだしてくるという意味だなどと説明されていて、面白くはあってもご無理筋の感じです。
 たいていの人は黒犬とか穴から犬などと思わずに、単純に漢字を覚えていて読み書きしているはずです。
 
 図は人偏を使った漢字の例で、どれもよく目にするものですが、なぜニンベンかと、あらためて考えるとハテナということになり、合理的な結びつきが思い浮かびません。
 ニンベンは人の意味ですが、これが「変化」「化学」の「化」とどう結びつくのか、直感的には分りません。
 漢和辞典では、「物の代表としての牛と、牛を引く人からなる」というような説明ですが、意味不明で「件」の意味を知らなければ、字の説明を見ても意味が分かりません。
 「什」のように「ムカシの軍隊の十人一組の単位」ということから派生して「数多い物品」という意味だというのは一応納得できますが、現代では「什器」という場合の使われ方が主で「日常の器具、道具」の意味ですから、ニンベンとは結びついていません。
 
 「低」は背の低い人を示す文字ということになっていますが、現代では「低」だけで背の低い人を表わす用法はなく、ただ「ひくい」という意味ですから、ニンベンが付いていても「人」の意味が意識されることはありません。
 ニンベンに注意すればかえって戸惑うだけです。
 「併」は「并」が合わせるという意味で、これにわざわざニンベンがついているのですが、偏がついていることで意味が変るわけではありません。
 したがってニンベンが付いているからということで、「人」の意味が意識されるわけではないのです。
 
 漢字は一字で一単語となっていて、意味を持っているのですが、言葉の意味というものは別の意味に変化したり、拡大あるいは縮小したりします。
 意味が変化したり拡大あるいは縮小したからといって、それに応じて漢字の形が変化するわけにはいきません。
 漢字が意味を表わすような形で作られていれば、意味が変化したとき漢字の意味と形は
ズレを生じてくることになります。
 あまり使われない漢字であれば意味の変化も少ないので、形と意味のズレは少ないかもしれませんが、よく使われる漢字は多義的になったり、意味が広がったりするのです。
 「漢字は字面を見れば分る」というのは長所をいっているようですが、矛盾を含んでいることを表明しても入るのです。