真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

自由の砦 より「私は見た!池田創価学会の実態を」 その6

2014-03-23 22:05:54 | 創価学会問題

一連のポーリー女史の手記については、もうご存知の方も多いでしょうが「創価学会による被害者の会・自由の砦」というサイトで全文が掲載されています。

私が記事にしてきた「池田大作の品格PART2」という本にはその中からの抜粋と言うことで、全文は載っていないんですよね。

ですので今回はその載っていない文から、特にご紹介したい箇所をお届けします。

「とりとめもない、内容薄い本」 より

 日本に着くまでの長い時間、私は祖父の死後に出版された本『生命の選択』 (※邦題『21世紀への対話』)を読みました。この本は祖父と、池田大作という日本の仏教指導者との対談を収録したものです。
 この対談がなされた時期は、歴史家だった祖父アーノルド・トインビーが85歳の時で、脳出血で倒れる少し前でした。この本は、祖父の著作の中でも最も忘れ去られたような本で、性教育から始まって、汚染、戦争などに至るまで、とりとめもなく長々とした、二人のおしゃべりを収録したものです。

ポーリー女史は、池田氏に招待されなければ生涯この本を手に取ることはなかったのかもしれません。孫娘に「最も忘れ去れたような本」とまで言われてしまうとは、この対談本の価値が創価学会で宣揚されているものと実際とではどれだけ乖離しているかが如実に表れている一場面といっていいでしょう。

池田の虚像崇める会員達 より

 なお、後で、彼の写真の撮り方を見ることができましたが、彼は、側近がフィルム入りのカメラを渡すと、腕を伸ばしてカメラを構え、ファインダーも覗かないまま、適当にシャッターを切っていくのです。
 その撮り方について質問をすると、側近は「先生は、写真を目で撮るのではなく、心で撮るんですよ」とささやきました。

更にその後ろで、同じアングルでカメラを構えた人がいなかったか要チェックですw

“対談集”続編の出版狙う より

「私の使命は、彼の作品を全世界の人に読んでもらうようにすることです。そのために、あなたも協力してくれるでしょうね」と言われ、私は「ノー」とは言えませんでした。
「約束しますね? 約束してくれますね?」と言われ、彼が私に何を期待しているのか、不安に思いました。
「そこで突然、彼は“トインビー・池田会談で、まだ出版されていない部分があり、近いうちに出版にこぎつけられる”という事を明かしました。
 この旅行の目的の一部が、ここで明らかになった訳です。

何だか脅しに近いような雰囲気に読み取れます。実際にどのような口調だったのかは分かりませんが、少なくともポーリー女史ご自身がどのように感じておられたかは容易に察することができます。

池田の表情が突如一変 より

 また、食事が進む中で、気まずい思いをする瞬間がありました。
 彼は私達に、「トインビー博士は別れ際に、私にどんな戒めの言葉を与えてくれたとおもいますか?」と質問してきました。
 考え抜いたあげく、夫が少しヤケ気味に
「貪欲(どんよく)であってはならない、ということでしょう」と答えてしまいました。
 すると池田氏の大きな顔は、氷のように冷たい表情に一変したのです。あたかも武士達でも召集して、私達を外へ引っ張り出すのではないか、とすら思えました。

ポーリー女史の旦那さん(ピーター氏)に何か賞でもあげたい気分ですw英雄と称するにも等しいひと言を発してくれました。

対してその発言を受けて顔色を変える辺り、池田氏の器の小ささが浮き彫りになっていますね。これもある意味、何らかの賞を与えてあげたい気分ですw

これが池田創価学会の実態だ より

 また、まったく民主主義的な要素のない、階級支配的な団体であり、池田氏が絶対的権力を手中に握っている組織です。会員には、1日に2度の勤行以外に、ほとんど宗教的かつ倫理的な修行を課してはいませんが、一方、組織内では、ほとんど絶対的な服従のもとで活動に参加することが求められています。
 池田氏が政党である公明党を作ったことにより、彼がこの権力をどのように使っていくのかを警戒する声をが聞かれはじめました。この警戒感をほぐすため、表向きは、党と創価学会とは分離されましたが、しかし、党の議員は全て創価学会員なのです。

ポーリー女史は創価学会のことを調べられたのですね。そしてそれは簡潔ながらも実に客観的に実態を捉えられていると思います。

民主主義的要素がないというのは、議員のほとんどが学会員である(確か一人だけ非学会員でしたね)公明党においてもそうです。党の代表は今まで一度たりとも選挙によって選ばれておらず、どのように選出されて決定されているかは明らかにされていません。

また党と学会が分離されていることが「表向き」であり、中身が学会そのものであることを指摘することで池田氏の政治に関する権力の警戒感が薄れる要素になっていないということも、重要な指摘の一つであるかと思います。

・・・というように、とても豪華な歓待を受けた海外のお客様が抱いた感想がこれでは、創価学会としては仏敵にでもしたい気分かもしれませんね。

でもそんなネガキャンをしてしまうとこの手記の存在やトインビー対談の重要性、信憑性に至るまで学会員さんたちの目に触れる危険性があります。ですから無かったことにするしか学会には手がないのでしょう。

以前親しく交流させて頂いていたみるさんの「意味のないことなんて起こらない」というブログでも、このポーリー女史の手記が紹介されています。

よろしければ併せてご覧になってみてください。

「偉人の七光[トインビー編1]」(意味のないことなんて起こらない)

「偉人の七光[トインビー編2]」(意味のないことなんて起こらない)

「偉人の七光[トインビー編おまけ]」(意味のないことなんて起こらない)


5 コメント

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クロさんこんばんは (そら)
2014-03-23 23:11:30
クロさんこんばんは

今回も興味深い記事をありがとうございます。
覚醒してから池田氏に纏わる様々な逸話wに触れ…その小者っぷりに落胆するばかりです。もう本当にガッカリ。
「この命 広宣流布に 捧げます 見ていてください!センセー!!」と熱く燃えていた過去の私に教えてあげたい。
どんなに純粋に頑張っても、待っているのは円形脱毛と鬱になってしまう自分だよ…と。
しかし、人生を懸けようとまでしたこの組織の頂きに立つ人物が、こんな胡散臭いとは…。
新興宗教の教祖はこの次元からは抜け出せないのでしょうね。
欲望に支配された人間のおぞましい姿を見て学べよとの天からのリアル教材なのでしょうか…

しかし
覚醒し、「離れてよかった……ホンマによかった」と思うことがあっても、「やっぱり組織に戻りたい」と微塵も思わせないこの組織には苦笑します。
15年間、ピッタリとその全ての月日が創価ライフだったのに。


記事を読みながら、トインビー博士と池田氏のモノクロ写真が頭を過りました。
繰り返し繰り返し研究発表の題材になったトインビー博士との対談。
トインビー博士のちょんちょん(ズボンの裾短し)が婦人部の話題に上がっていました。「トインビー博士はあんなに有名やのに、ズボンの裾、そのまんまやねんて~質素な人らしいわ~」
長身な博士は既製品のズボンて召されていて、短くてもそのまま履かれていたのですね。
その傍ら、全身オーダーメイドであろうスーツに身を包み、自身のこれからの飛躍を決定付けるであろう対談に挑む池田氏。

冷静になった今、あのモノクロの写真を見るとトインビー博士を支えながら散歩する池田氏が、残念に見えてなりませんでした。



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何故、ポーリー女史の憤りを通訳しなかったのでし... (マリーナ)
2014-03-26 21:11:20
何故、ポーリー女史の憤りを通訳しなかったのでしょう?女史に対する失礼より池田氏の逆鱗に触れることがそんなに恐ろしいのでしょうか。
是非とも通訳してほしかったし、仮に言葉がわからなくても雰囲気で何か感じなかったのかしら。
「何でもわかってる」センセイなのにw
この一事からも、己の名誉のために著名人を利用している姿が露見していると思います。
数々の対談も押して知るべしですね。
池田氏の写真ですが…ある婦人の、「ファインダーを覗かずによく綺麗に撮れるわね」との発言に壮年部の写真屋さんが、「センセイはカメラを熟知されているので」と答えていました。これには内心、「おいおい!本当にプロかい!?」と毒づいてしまいましたw
以前も記しましたが、覚醒とは別の次元で写真には疑念を抱いていました。
特に、写真展で襖絵大に引き伸ばされた作品を見た時はプロの仕事だと確信しました。素人でも分かるのに世間をバカにしてますね。

かなり前の同中で、池田氏が唐突に(と言っても編集されているので本番は脈絡があったかもしれません)日本人なら知らない人はいないある方の名前をさも親しげに口にしたのです。
当時はMC中でしたが驚きつつも総体革命の賜物か?と思ったのと同時に一抹の嫌らしさも感じました。
この話には後日談があって(半ば忘れかけていたこの発言が)高倉教授の白バラ通信~の記述でピンときたのです。
きっと裁判の関係もおありなのでしょう。
詳細には触れず一言だけでしたが読んだ瞬間、巷間噂されていることは真実かもしれないと感じました。
何とも曖昧な表現で申し訳ないのですが、教授に敬意を表する意味でも何卒ご勘弁ください。

ひろかずさん、はじめまして。二世のマリーナと申します。クロさん始め皆さんに助けられています。
よろしくお願いします。
ひろかずさんのご意見、その通りだと思います。
数年前の選挙で比例区のある候補が危ないと連絡が入り、地区婦が候補の訴えを会合で報告しました。
曰く、「家族が事故にあった時にセンセイに激励をいただき立ち直れた。どうか御恩返しさせて下さい」と。覚醒後でしたから唖然とし更に非活へと拍車がかかりましたw
公明議員にとっての政治って何なんでしょうね。
いくら内部の会合とはいえ、特に新人候補の演説は政治理念そっちのけでセンセイとのエピソードや弟子として決意発表の様相です。尤も皆さん政治家を目指していたわけでもなく、ある日突然指令を受けて…なのでしょう。ある意味、気の毒ではありますが。
斯く言う私も長い間、違和感を押しやって組織に踊らされていましたw
まさに政教一致そのものだと思います。
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おはようございます。 語句の訂正をさせてくださ... (マリーナ)
2014-03-27 08:25:04
おはようございます。 語句の訂正をさせてください(^^ゞ
押して知るべし→推して知るべし、でしたね(汗)
確認せずに送信してしまい、失礼しました\(__)
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そらさんへ (クロ)
2014-03-30 17:36:57
そらさんへ

こんばんは。コメントありがとうございます。

池田氏って偉大なのか小者なのか、分からないですよねw
ある意味においては偉大であることは間違いないと思うんですけど、偉業を為したからと言って大物の器とも限らないという話でしょうか。
池田氏は特に晩年から現在においては組織の求心力として周囲から「永遠の虚像」として祀り上げられている感もあります。
無論ご本人がそれを全く望んでいないという話でもないでしょう。
組織が大きくなりすぎて、祀り上げている側ももしかしたら池田氏ご本人さえも、その虚像を壊すなんて恐ろしくてできないのかもしれませんね。

トインビー博士が質素な生活、身なりであったことはポーリー女史の手記でも触れられていますね。
その上で、あの祖父とこの目が眩むような贅沢な空間を支配する池田氏が意気投合していたなどとは信じがたいという論調でした。
ポーリー女史の手記を知らないにしても、未だに池田氏が質素な生活をしていると信じている学会員さんたちも結構いますよね。
このブログにも以前、池田氏は雨漏りのする平屋で質素に今も暮らしているのが好感が持てると書き込まれた方がいましたがw
池田氏のことが好きな割にはあんまりよく見てないよね、って思います。
人間って不思議なもので、好きな人のことより嫌いな人のことの方をよく考えるものなんですよね。
好きになると、その好意的な感情を覆すのが勿体無かったり自分の観察眼の否定にも繋がったりするので、否定的な情報は無意識にシャットアウトしてしまうのかもしれません。

何事においてもですが、客観的な視点を意識しないと思わぬ思考にはまり込んでしまうことがあるのでしょう。
一番客観的に見たいのは自分の心ですね。
私はよく何か判断するとき、10年後の自分が納得できるかどうか、と考えます。
一時の感情に走ってないか~?と疑問を投げかけるわけですね。その分若さは失われますがw
でも大事なのは、気づいた後どうするかですね。決して自分を苦しめるのではなく、自分が幸せになることで自分の大事な人たちも幸せになれるよう、意識を向けていたいと思います。
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マリーナさんへ (クロ)
2014-03-30 17:57:12
マリーナさんへ

>何故、ポーリー女史の憤りを通訳しなかったのでしょう?

なんででしょうね?
考えられる可能性はいくつかありますが、やはり池田氏の怒りが恐ろしかったというのが大きいでしょうか。
池田氏の写真の話しにしてもそうです。
池田氏が写真撮るの上手かったら何だっていうの?っていう話じゃないですか。
学会員さんたちになんか関係ある?って思いませんか。
功徳とか福運とか世界平和とか、そういうものに惹かれてやってんじゃないの?って。
なぜ一切合財を褒め称えなければならず、明らかな欺瞞・偽装まで目を瞑るのか。
その姿勢が、創価学会の不健全な体質を如実に現していますね。

公明党候補の政治に対する原動力が「センセイ」って、分かってますけど、だけどねぇ~。
「対話を求めて」のコメント欄でしたか、創価のホームページには財務や法戦、新聞啓蒙(折伏だったかな?)に関する記述が全くと言っていいほど載っていないと。
この3つこそが創価の柱であり実態であるのに、表看板には一切それを匂わせないのは如何なものかということでしたね。
公明党の候補も、街頭演説で同じ事を言えばいいんですよ。
私は支持母体の名誉会長の恩に報いるために議員になり、創価学会のために仕事をしたい!とね。
立候補せよと指名される方も本意ではない方は気の毒ですが、それでも受けるのはやはり上記の原動力が心の底におありだからでしょう。
マリーナさんのように、少なからずの疑問・違和感を覚えながら周囲に流されて・・・という方もいらっしゃるでしょう。
集団心理を上手く利用する創価学会ですが、それでも周囲の流れから一歩抜け出るにはどうすればいいんでしょうね・・・。
違和感を覚えている脱会予備軍の人たちは結構いると思うのですが、その一歩がなかなか悩ましいところです。

誤字はお気になさらず^^
私もよく過去記事を読んで自分の文章に発見しますw
次からはこっそり教えてくだされば、こちらでこっそり修正しますよ~。
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