まだ全然問題が解決していないので皆さんの印象にも強く残っているかと思われますが、世間を騒がせている「偽ベートーベン」の話題がありますよね。
きっと学会問題について少しでも知っている方は脳裏を掠めたはずです。
ゴーストライターって、あのベストセラー本wもじゃん・・・ってね。
ええ、小説「人間革命」でおなじみの篠原善太郎(故人)という方ですね。今は聖教新聞社で数人が力を合わせて書いている、というもっぱらの噂です。
しかし「偽ベートーベン」が告発されたようにもしも篠原氏が自分が書いていたのだと告白していたら、著者として名前が書かれた池田大作氏はやはり言うのでしょうか。「名誉毀損で訴える」と・・・。
どんな名誉だ!?
興味深いサイト記事があったのでご紹介します。
弁護士ドットコムというサイトで本物の弁護士が質問に答える形式なのですが。
「実話のように語られた『創作の物語』真実と思った読者は『慰謝料』をもらえる?」というものです。
ええ、脳裏を掠めますよね。「実話のように語られた『創作の物語』」って、私にはアレしか思い浮かびませんw
記事の内容はネット掲示板に書かれた感動の実話に見せかけた物語が実は創作であったとバレたことによる質問で、実話と思って感動して読んだ人は慰謝料を請求できるのか?というものです。
弁護士の方の回答では「読者はなんの権利も侵害されていないので、(慰謝料請求は)できない」となっています。
じゃああのゴーストライターに書かせた小説も、違法性はないのか~?と思って説明を読むと、ちょっと引っかかる部分もありました。
「道徳の問題はともかく、『実話でないことをさも実話であるかのように話を広めた』という行為が、詐欺に当たるような場合でない限り、違法ではありません。
このエピソードの場合、作者は『特定の人から不当な対価を得ようとした』目的があるとは言えませんので詐欺にはあたらず、この点からも違法とは考えられません」
「さらにいうならば、このエピソードの場合、それを聞いた人は『話の内容』を聞いて『勝手に感動した』のであって、それが実話かどうかは問題ではありません。
もし、この話がフィクションであるとしても『感動する人は感動する』こともあるからです。
したがって、社会通念上も、この程度の『うそ』は容認されます」
つまり、他人のプライバシーや名誉、財産など、法的権利に被害を及ぼさない限り、この程度の「演出」は許されるということだろう。
小説「人間革命」って、一応フィクションとは謳っていても学会員さんの間では事実を基にしているということは共通の前提としてあります。「現代の御書」というくらいですから。
つまり登場人物の名前や細かな台詞回しなど、事実とは異なる部分があるにせよ、そこに書かれている山本伸一のストーリー自体は「事実」であるという前提なのは疑いようもないことでしょう。学会の指導がそうなんですから当然でしょう。
で、学会員さんたちは山本伸一ストーリーが本当のことじゃないと分かっていたら買いますかね?上からのノルマがあるにせよ、それでも購読しますかね?
これって「特定の人からの不当な対価」になる?なんて思ったんですけど。
また、「特定の人(学会員)からの不当な対価(賞賛と尊敬)」という形にも取れますよね。
何故不当か?事実でないことを事実としているからです。事実でなければ得られない対価(賞賛と尊敬)ですよね。
ネット上に書き込まれた創作の感動物語と違い、この小説「人間革命」シリーズは「感動的ないい話だったね~」で終らないのが厄介なところです。
特に実際の池田氏にほとんど触れてこなかった3世や4世の若い世代の学会員さんたちの間では、池田大作というのはそのまま「人間革命」の中の山本伸一であり、山本伸一に抱く尊敬や思慕をそのまま池田氏にスライドさせているのです。
だからよけいに池田大作という人物は完全無欠のスーパーヒーローになっているのです。
これって「勝手に感動した」っていう話じゃないですよね。
その虚像によって得ている創価学会の利益って、本自体の収益だけではなく膨大なものがあります。「信仰心」これに尽きるでしょう。
実際のところはゴーストライターが公にされなければ、違法性も何も言える話ではないのが残念なところです。
心ある聖教新聞社の職員はいないのかな・・・。
ところで、冒頭「偽ベートーベン」の話題から入りましたが、この方学会員であるという噂がありますが本当なんですかね?
所属事務所の筆頭株主が池田氏だということは知っていますが、そこに所属している人はみんな学会員さんなのかな?あんまりちゃんと調べてなくてスイマセンw
知っている人がいたら情報お待ちしています。
ようやく春らしくなって桜の開花が待ち遠しいです。
最近はゴーストライターの話題もスッカリ影をひそめましたね。
「実話のように語られた『創作の物語』」と言えば、私もクロさん同様 アレしか思い浮かびません(笑)
学会員は全て事実だと信じきって読んでるはず。
バリ活時代の私も「山本伸一=池田先生」なんだと思い描きながら読んでましたもん。
学会の歴史が綴られているからしっかり学べと言われ 『人間革命を学ぶ人材グループ』に属して月1回集まり順番に感想発表したりしてましたね。
そういえば新聞の切り抜きを挟める横長のバインダーみたいなのをみんなが活動に持ち歩いてましたっけ。
今も新聞連載は続いてるけど、バインダー持ってる人は見かけないような?
どうせそのうち本になれば買わなきゃいけないからと、いちいち切り抜いたりしないのかも知れませんね。
今日の1面にきのう行われた戸田第2代会長の追善法要の記事が。
次のようにありました。
「池田名誉会長、また原田会長は、東京・新宿区の創価学会恩師記念会館で、各部の代表と勤行・唱題し、世界平和のために戦い抜いた恩師の崇高な生涯を偲んだ」と。
例年、名誉会長と原田会長は別々に追善法要していて原田会長のほうだけ写真掲載してましたよね。
今回は名誉会長と原田会長が一緒に追善法要したから写真は出せなかった?(笑)
でもなんだか今日の文章に違和感あったんですよ。
ふつう一緒にやったなら
「池田名誉会長は、原田会長をはじめ各部の代表と勤行・唱題し……」でいいんじゃないのかなと。
それが
「池田名誉会長、また原田会長は、東京・新宿区の…」ってあるから
「また」が妙に気になって(笑)
そういえばつまらない話ですが 週刊誌の見出しに【創価学会あるある本】がどうのこうのとあったので、外部の人が書いた批判本かと思ったらそうでもないような…
著者は「創価学会ルール研究所」とあり、一説によると現役学会員が書いたらしい?
目次に『池田先生と学会員の絆』や『池田先生のすごいところ』なんてのがあったり
「巨大教団・創価学会員の日常、行事、秘めた思いに迫る異色あるある」本だと紹介してました。
実際読んでないので目次や紹介だけでは正直どうこう言えませんけどね。
きのうの創価大・短大の入学式にも名誉会長は長文のメッセージ贈ってますね。
そして和歌も。
「わが命 創大城に 厳とあり 君の未来の 勝利を見つめて」
「わが命」が創価大にあると言ってるわりには影も形も現さないお師匠さまですわね(笑)
人間革命ゴーストライター説にも驚きましたが、それよりも話の中身に嘘偽りがあると知ったときは衝撃でした。
ちょwwwどーいうことよwみたいな(^^;)
フィクションだと思って話半分に読んでいる活動家なんているでしょうか?そんな読み方してたら活動家にはなっていないかと。
たいていの人は、山本伸一に池田氏を重ねて、やっぱり先生は偉大だ!自分もこうあらねば!一人立つ精神だ!って読んでますよ。
現代の御書、学会の真実と勝利の歴史書という扱いですし、フィクションだよーん、なんて逃げられるレベルの話じゃないと思いますが、どうなんでしょう。
まあ知ったところでどうにもなりませんし、わかった以上は捨てるのみでしたw
聖教新聞社にお勤めだった友人も近くにいるんですが、怖くて聞けない私です。ヘタレ…
たぶん、本部職員や外郭団体職員といっても、大部分の方々は磨き抜かれたバリ活といった程度で、そんな悪の中枢の実態は知らないか、耳にしても都合よく変換されているんだろうな、と思います。
佐村河内氏学会員説もあちこちで聞かれますね。本当のところはどうなんでしょうか。
活動家の頃から、著名人や芸能人の学会員情報には疎くて(というか興味がなくて)あまり知らなかった私です。アンチの方のほうがよっぽどご存じだなぁと思ってました。
会合で「この人もあの人も学会員なんですよー」という幹部の話も、勝手にバラされたら困ったりしないのかと余計な心配をしてましたw
もっとも今の芸能界は創価であることが得になったりするらしいので、あえてバラしたり、リップサービスしている策士もいるんでしょうね…
桜も満開、素敵な季節がやってまいりました♪
まず残念なお知らせ。
庭のにゃんこご飯ですが、このところまさかのカラス襲来で(ToT)
にゃんこご飯を置くことが出来なくなっちゃいました。
カラス対策、いいアイデアが浮かばなくて。
Oh・・・にゃんこさん許しておくれ・・・。
では本題。
『人間革命』『新・人間革命』は完璧に『創価学会史』のテキストでしたね。
全て真実という前提でしたから、とんだ騙しです。
内心、誰が書いてるのかは分かったものではない・・・
とは思いつつも、まさか内容そのものが嘘とは思い至りませんでした。
売り方も酷かった(-_-;)
なんでしたっけ・・・
「財産となる本だから。家宝だと思って。」とかなんとか言って家族の頭数は買えと。
「将来、子供達が独立する時には全巻持たせてあげられるように。それくらいの値打ちはあるから。」と。
子供がひとりの時はまともに3冊買っていましたが、直に馬鹿馬鹿しくなりやめました。
それでもずっと2冊ずつ買っていましたが。
偽ベートーベン氏もですが、某コピペ女史とか、熊手コレクターの政治家とか、
嘘はダメですね。
コミュニケーションのためのちょっとしたお世辞や社交辞令は大切ですが、
我欲や保身のために人を騙すのはダメです。
自分自身を振り返っても
学会活動しながら、当時は良かれと思ってついた小さな嘘は数知れず。
結集のため、何かの推進のため、誰かを励ますため。
創価学会の中でしか通用しない大義名分のもと。
嘘はつき続けないといけなくなるし、だんだん大きな嘘になってくるし、嘘吐き本人の良心がマヒしてくるようです。
上に上げる報告の類いにしろ、誤魔化しと辻褄合わせに終われている感じ。
はっきり言えば、嘘がちりばめられたような報告内容。
さすがに「こんなことして意味はあるのか?」とふと感じている学会員さん、今もいらっしゃることと思います。
学会の報告ほど意味のないものはありませんよ。
よくわからない『広宣流布』の実現にもまったく関係ありませんし、世界平和にはかすりもしません。
私も、当時は多忙さの中で何が本当で何が嘘かもぐちゃぐちゃになっていました。
『嘘つきは泥棒の始まり』
って本当にそうだと思います。
人様のものと自分のものの区別がつかなくなる、という意味でです。
他人の家計、時間、家族、ひいては人生にまで、我が物顔で介入し・奪う。
やっていることは泥棒と変わりません。
創価学会で役職がつくと、もれなくこのような詐欺行為と泥棒行為の片棒を担ぐことになり、
始末の悪いことに、当の本人は「法華経の行者として一歩も退かない勇気ある行い」とか思って使命感にすり替えてしまう。
でも、どこかで立ち止まらないと。
KY街道まっしぐらで、しまいには使命感をこじらせてKY行為が快感の変態みたいになってしまったり。
そういう人に、ホント、泣かされました・・・。
もちろん、そんな人ばかりではありませんが。
どちらにしても、
日常的に嘘と搾取の繰り返しでは、自分でも気付かないうちに心が荒んで来るのは当然ですよね。
組織から離れて、やけにサッパリした心境になれるのは、なるほどこういう理由もあるのだなあと改めて思った次第です。
私ついに聖教新聞やめましてん。
なので今まで以上にミルフィーユさんの聖教ツッコミレポート、楽しみに読ませていただきますね。
いつもありがとうございます(^^)v
年末に新聞を止めてから、毎朝ポストに行くことがなくなりまして、今朝も数日ぶりに覗いたら!
なぜか3日と4日の聖教が(||゜Д゜)
入れ間違い?それとも何かの罠w?
色々考えてしまいました…
せっかくだから一面だけちらっと見ましたが、相変わらずですね。
このままずっと行くのかな、と思うと、なんとなく哀れな気もします。
カノンさんのお話、納得です。
白ゆり長になったばかりの頃、報告についてそれはそれは厳格に考えていたんです。
数字ひとつ取っても正確に、そして誠実にあらねばならない、と。
特に新聞の報告は、すごく息が詰まりました。
でも選挙が始まるとそんな几帳面なことは言ってられず、辻褄合わせに翻弄されました。
次第にそのやり方が当たり前になるんですよね。要領よくこなそうとして…
あと、もしかしたら前にも話したかもしれませんが、ヤングで毎月ご報告書を出すのが本当にイヤでした。
元々「先生にお手紙を書く」というのが苦手だったのに、毎月です。地獄でした。
先生は全てのお手紙に目を通されていると思っていたので、貴重な時間を割いていただくのに結果も出してない手紙をお見せするわけにはいかない、と。
でもある日、バリ活の友人に「全部読まれてるわけないでしょ~。第一庶務が目を通して、これはというお手紙だけ先生にお渡ししてるんだよ」と言われて、愕然としました。
毎月、胃がキリキリする思いで書いているのに、読んでないって…
翌月にハンコ押してもらってそれを有り難がって受け取ってる私って…
それからはほんとに手抜きの手紙になりました。それらしいこと書いて、それらしく決意しておけばいいんだって。
そしてそんな適当に書いている自分がまた嫌だし、そもそも書きたくもない手紙を書かされていること、それが訓練だとか鍛えだとか言われることに、すごくバカらしさを感じました。
何の意味があるのかと。
訓練とか薫陶とかいうなら、もっと世のため人のためになる活動が山ほどあると思います。
最後はもうやりたくない!やってられるか!という気分で、黙って非提出でした。
大事なご報告書を出さなかったんですから、上の幹部から何かしら音沙汰があるだろうと思っていたら何もなくて、私が毎月胃を痛めていたあれは何だったんだと、すごく虚しくなりました。
はい、立派な非活の誕生ですw
信じていた自分がアホなんですけど、こんなアホは私でおしまいにしてほしいと思いますよ、ほんと。
つまらない私の聖教レポなんぞでも カノンさんやまるさんが楽しみにされてるとのコメントに、つい嬉しくなってツッコミどころを探してしまう私です(笑)
きのうの3面にはオーストリアの女性声楽家サイフェルト博士との対談が載ってました。
面白い箇所がありました。
「尊厳ある死」について述べてるんですが
「…だからこそ、生ある間の生き方が問われるのだともいえます。
それは、生前の名声や財産などとは別問題です。
人それぞれに悔いのない、最高に価値ある人生を歩んだことこそが、その人の死を荘厳なものにすると思います。」な~んてありましたよ。
おやおや『名声』『財産』とは別問題と言ってるわりには、1面には韓国のどこぞの区から名誉区民証授与の記事が(笑)
池田夫妻に贈られた記念牌の写真が載ってますが まあ要するに皿ですわ皿。
サイフェルトさんとの対談に戻りますが、いつものことながら現在元気でリアルタイムの対談であるかのように
「今、東京では爛漫の桜の花が、柔らかな風に舞い、惜しまれながら散っていきます」とありましたねえ。
今日の1面に今度はフィリピンの国立イサベラ大学から『名誉人文学博士号』授与決定の記事。
決定通知書に
「哲学者、平和建設者、教育者、数多くの著作を出版してこられた文筆家、詩人としての傑出した業績を讃え、池田大作氏への名誉人文学博士号の授与を決議する」と記されていたと。
「傑出した業績」ですか? お金が傑出していたんじゃないでしょうか?(笑)
そうそう今日の社説は大見出しが 「新たな創造を生む『新聞の力』」とあり、 なにやら来月8日付聖教から紙面の刷新・充実を図るそうですわ。
1面の題字やレイアウトを刷新したり、12面がカラー紙面となり女性や青年にエールを送る記事が入り、また新企画にも力を注ぐんだとか。
「人間の機関紙の誇りも高く、紙面の質を向上させ読者の期待に応えていきたい」と締めくくってましたが 所詮宗教団体の機関紙でしかないわけで。
意外と活動家のほうが読んでないんですよね。
マイ聖教で何部も取ってるのに「積ん読」だったりね。
まあ何と申しましょうか…
代わり映えしない内容なんだし聖教新聞は日刊である必要はないと私は思いま~す(笑)
こんばんは~。
私もいつもミルフィーユさんの聖教レポート、興味深く拝見していますよ!
関西では桜は満開でこの週末はお花見日和!になるはずだったんですが、雨は降るわ冬の寒さだわで、ちょっと残念です。
とはいえ私に花見の予定はなかったんですけどねw
>学会員は全て事実だと信じきって読んでるはず。
ですよねー。
事実と異なります、という建前の説明すら学会は放棄していますよね。
勘違いするほうが悪い、という逃げ道作りでしょうが。
それにしてもミルフィーユさん、ここにレポートを書くせいか分かりませんが、チェックが鋭い!
確かに「また」って言われると、別々にいたような感じを受けますよね。
場所は一緒だけど時間は別々だったんじゃないですかね。正直には書くにかけないという、変な癖が聖教新聞記者にはあるのかもw
アマゾンで「創価学会あるある本」のレビューを見てみると、学会員によるヨイショ本のようですね。
前にもタイトル忘れましたがそういう本ありましたよ。ちょっと学会から距離を取っている人に批判のように書かせて実は擁護してるっていう本が。
さわりを読むだけでもすぐその意図は分かるんですが、全くの学会素人・外部の人には有効とでも思っているのか・・・。
まあ、一番の目的は内部の人間に対して、学会がこれだけ理解されて評価されているよ、という安心感を提供することだと思うんですけどね。
芸が細かいことです。それがあってこの巨大組織ってことかもしれませんが。
>きのうの3面にはオーストリアの女性声楽家サイフェルト博士との対談が載ってました。
声楽家なのに「博士」ですか?何らかの学位を持ってらっしゃるということでしょうかね。
対談とはいいつつ、これも手紙かメールかのやり取りでしょう。
そして池田氏側の文章は本人が書いていないということは、多くの告発から事実であることでしょう。
もしも本当に対面してのお話ならば、ポーリー女史が感じられたような殺気をこの方も味あわれたことに・・・w
聖教の刷新・充実とのことですが、値上げはしないんですかね?
赤旗は増税前に値上がったようですけど。
読者の期待に応えたいならば、すべきことは他に色々あるんじゃないかと思うんですけど、所詮向こうが押し付ける「期待」ですからねぇ。
とにかくいつもいつも勝手に「人間の機関紙」と、全人類を巻き込むような表現だけは辞めてほしいと思います。
こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
ふむふむ、書いたのは別人でも内容は本物だったと。なるほど、二段階での気づきがあるんですね。
そうですね。音楽ならば作曲が誰でも作品そのものの評価というものは変わりがありませんが、事実に基づいた小説、歴史書とまで言ってしまうとここは大きな問題ですね。
実際の歴史だって戦争の勝者の解釈によって云々と言い出したらきりがないですが、ここまで意図的だと分かっているのだからいずれけじめをつけてもらいたいものですよね。
印税の返還とかなったら、凄い額でしょうw
そういう事態には、ならないんでしょうけれどね。法的にも難しいでしょうし。
聖教新聞社にお勤めの人をご存知とは!
今は聞けなくても、いずれ何らかの形で中の情報を漏れ聞く機会があるといいですね。
そういえば聖教新聞社って新入社員の募集をしていないのでしょうかね。少なくともホームページ上には求人のお知らせはありませんでしたが。
外部の人間が入社することがあるのか・・・?
創大には外部の入学者が僅かなりともいるという話ですが、さすがに聖教職員とかはいないかな。
いたら仕事できなさそうですしw
>会合で「この人もあの人も学会員なんですよー」という幹部の話も、勝手にバラされたら困ったりしないのかと余計な心配をしてましたw
最近このブログのアクセス解析で、「石神国子」(石原さとみの本名)という検索ワードが1位になってて「なんで?」という感じなんですけど、学会芸能人て興味ある人多いんですね。
この方は創価高校卒なので確実でしょうが、このような学会芸能人と仕事上の関わりがあっただけで「学会員認定」されてしまっているお気の毒な芸能人も多数いるとのこと。
どうして認定されるかというと、まるさんのお話にあるように会合などで願望や推測にしか過ぎない話から広まってしまうというのが多いみたいです。
タッキー(石原さとみと共演で)や中居くん(久本雅美と仲良しで)なども噂の域を出ませんからねぇ。
でも学会員でも売れない芸人や事件沙汰になった芸能人、有名人などは決して噂に上ることはないというw
表に出る芸能人よりも、裏にいるテレビ局の職員の方が実は学会員である影響は大きい気がしますけどね。
先生への報告書・お手紙の話、笑うには悲しすぎるお話ですね。
もう過去のこととして笑い話にするのがいいのかもしれませんが、まるさんのかつてのお気持ちを考えると、創価学会の敷いたMCの環境は罪深い。
たぶん「これはというお手紙だけ先生にお渡している」というのも一般の活動家のものではなく、上層幹部の重要な報告のことですね。
しかし聞く話によると、未来部とかの子供も、先生にとお手紙を書かされることがあるとか。
子供の純粋な気持ちを利用するとか、人間として終ってるんですけどね・・・。
真面目で純粋な子供ほど、やっぱり餌食にされていくようで・・・。
こうして育った2世とか3世のバリ活さんて、どのような道を辿っても生き辛いような感じですしね。大きなお世話でしょうが。
でも今の時代は気づくことにはハードルが下がっていますから、立派な非活は増えていくことだと思います。
いつしか立派とは言わずに非活であることが当たり前な世になるといいですね。
順調に非活の道を駆け抜けていますね~。
聖教購読中止、春の新しい季節に相応しい明るい報告で嬉しいです。
資源の無駄もここに一つ減りましたね^^
これからは聖教代の分、ちょびリッチなご褒美を自分にあげたり、家族と楽しんだり、不愉快な新聞を目にしないだけでなく楽しみも増しますね。
購読中止に際して引止めとか大丈夫でしたか?
スムーズに中止され、これからも地域のバリ活さんに変な探りとか入れられないよう、平穏な非活の道が歩めるように願っています。
お庭のにゃんこご飯、困ったものですね。
うーん。決まった時間にだけ出してみるとか?その時間をカラスが覚えてしまったら一緒かもしれませんが・・・。
お水だけでもいいかもしれませんね。
「人間革命」シリーズは学会員さんにとっては、勝手に事実だと勘違いしたんでしょ、とは切り捨ててしまえないものがありますよね。
売り方・・・。
財産となる?子供に全巻持たせる?アホな・・・。
古本屋で何円買取か知ってるのかw
でもそう信じている人は、信じているんですよね。いくらゴーストライターだ、捏造だと言っても聞く耳を持たないでしょう。
信じていた、熱心だった人ほど、気づいてしまったときのショックはでかいはずです。
ギャップがでかすぎるんですから。
学会の報告にも誤魔化しがあるということ、それはまず打ち出し・ノルマ自体に無理があるのですから当然出てくることでしょう。
ギャグみたいな話で、全国のF票の報告数を合わせると有権者の人数を超えるとかw
あと、どなたかが言っていたのですが、会合への参加人数も声を掛けただけの人もカウントしてノルマ達成とするとか。
そうして積み上げたエア報告で結局、次々容赦ないノルマが課せられてしまう。
正直な数を報告し、ノルマ達成ならずの現実を受け入れないから、常に厳しい数を迫られてしまうのでしょう。
達成できないことを認めない組織に責任がありますが、末端の人ももう少し正直に現実を突きつけてやってほしいです。
とても勇気がいることで難しいでしょうけど、某市長の言葉ではありませんが宗教の前に人間としてどうなのかって話ですよね。
人間性を大事にすれば、きっと人生違った楽しさを見つけることができることかと思います。
アイデンティティの在りどころが変わってくると思います。
そこにしかないと思い込んでいるから、難しく見えてしまうんですよね。
別の道を歩みだしたカノンさんのような方の背中を見て、自分の思い込みに気づかされる人もきっといると思います。
そういう人が増えて欲しいですね。