真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

マインドコントロールとは何か より「情報処理過程をゆがめる情報」その1

2012-08-26 20:49:47 | カルト宗教
マインド・コントロールとは何か マインド・コントロールとは何か
価格:¥ 1,427(税込)
発売日:1995-08

第3章 マインド・コントロールとはいかなる技術なのか より

情報処理過程をゆがめる情報――感情の操作 (1)

 快あるいは不快な感情を喚起することが、人間の情報処理過程の論理性をゆがめることは、さまざまな形で明らかにされて生きている。このことは常識的理解でもわかるだろう。

~中略~

 ジャニスとフェッシュバックは、恐怖をアピールすることによって、行動を変化させようという実験をした。高校生二〇〇人を被験者として用い、二〇枚のスライドと十五分の録音テープによって虫歯などの歯科衛生についての講義を聞かせた。その際のグループ分けを、強度恐怖喚起グループ(虫歯末期の状態や間違った歯の手入れがもたらす悲惨な結果を示すスライド)、中程度恐怖喚起具グループ(あまり極端に悲惨でないスライド)、最小限度恐怖喚起グループ(不快な内容には一切ふれない、花の成長などのスライド)、そして対照群(歯とは関係のない講義)の四つに分けた。この実験結果では、最小恐怖喚起が高い説得効果を得られた。
 彼らはこの結果を、心理的な防御機制がはたらき、問題から逃避するためであると解釈した。そして多くの追試がなされ、恐怖アピールがマイナスの効果を示すというよりも、一般に、受け手が送り手の意図に疑問をもったり、
十分な対処行動を勧告されない場合には、恐怖アピールが逆効果になることがわかった。
 破壊的カルトのマインド・コントロールでは、罪悪感を植え付けたり、恐怖感を与えたり、外集団への怒りを喚起させたりして、常に否定的感情を喚起させる。メンバーに与えられる恐怖内容は、かなり強い。しかし、彼らは同時にその恐怖から逃れることのできる唯一の方法を教えられている。いうまでもなくその方法とは、組織にとどまり活動することである。よって、恐怖喚起のレベルは常にはあまり高くない。しかし、メンバーがひとたび組織から脱会するとか逃亡するとかを思考しようとすると、極端に恐怖を喚起してしまい、思考そのものをストップさせようとする。ハッサンはそれを「思考停止の技術」と呼んでいる。

ここで出てきました、「思考停止」です。

カルト宗教というものは、その宗教に所属する信者に対して強いストレス(罪悪感や恐怖)を与えます。そして、そのストレスから逃れられる、唯一無二の方法として信仰という道を示します。

けれどそもそもそのストレスを与えているのは、宗教団体そのものであるのです。

人間生きていく上で嫌なことやアンラッキーなことに見舞われることも、多々あります。人よりより不幸だ、不運な環境だ!と思うこともあるでしょうが、実際幸・不幸などは人と比べられるものではありません。

幸せに見える人だって、人には言えないどれほどの悩みを抱えているか、誰にも分かりません。

また、不幸に見える人だって、本人は全然まったく気にしていないかもしれない。

学会で言う「相対的幸福」というやつなんかもそうですね。

でもそうやって名前をつけて、幸福への願望を煽る(=不幸への恐怖を与える)ことが、カルト宗教のマインド・コントロールの一つなのです。

「何かをすれば〇〇になれる・なる」と言う輩ほど胡散臭いものはありません。

けれどそこに恐怖や不安の感情が入り込むと、縋りたくなるのが心情です。「〇〇」の部分には幸福も不幸も当てはまるでしょう。

この本では恐怖アピールについて言及していますが、幸福アピールも裏読みさせれば同様の効果を得られると思います。幸福を逃すのは不幸、ですからね。

思考停止する前に、そのストレス自体はどこから与えられているのか、ストレスを煽っているのは誰なのか、考えてみてほしいですね。

そもそもストレスを与えるのが宗教団体ってオカシイでしょう。

しかし既に思考停止してしまっている人に対しては、どうするのがいいのでしょうね…。

根気強く、思考が動き出すように説得したり、疑問をぶつけたりするしかないのでしょうか。何らかの恐怖を上回るきっかけで目覚めてくれると簡単なんですけどね。

上記のことから、学会は今後も宗門への攻撃や、脱会者や批判者を貶めることをやめることはできないでしょう。

元仲間の脱会者だって、容赦ないのはこのためでしょう。

「脱会すればお前もこういう目に遭うぞ」という恐怖アピールなのです。

恐怖アピールというストレスがなくなることは、思考停止の解除を示します。常に誰かを攻撃し、常に不幸に怯えなくてはならない。

厄介な宗教団体ですね…。


8 コメント

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昨年、知り合いに勧められて読んだ本に。。 (流れ星)
2012-08-27 02:11:03
昨年、知り合いに勧められて読んだ本に。。
「3つの真実」があります。。

ひとの誤った行動のその底にあるのは、大抵が、恐怖のこころ。。なんだそうです。。

自分の行動を深く見つめてみてもそうですね。。

その恐怖のこころに囚われて、執着することが、なかなか真実に辿りつけないことなんですね。。

わたしの好きな哲学者にクリシュナムルティがいますが、彼の言葉は、偏狭な思考を飛び越して、いまある概念をぶち壊してくれます。。

わたしは、特定の組織には一切属さず、特定の人も信望せず、特定の宗教やイデオロギーにも囚われなくなってから、他からの情報がストレートに入って来るようになりました。。

とにかく捨てて捨てて、こころの断舎利をして空っぽになることが、こんなに心地よいことだとは思いませんでした。。

たとえば、日蓮という教えをなにがなんでも正しいと思いこむと、それだけで思考が狭くなり、それでいっぱいいっぱいで他のものが入り込む余地がなくなるのですね。。

とても自由ではなくなります、それだけで。。

もし、創価学会の組織がヘンだぞと思ったら、そこからいったん離れて自分自身に立ち返ることがいいと思う。。

組織からの情報を常に受けているうちに、どんどんマインドコントロールは進み、お馬鹿になって行くだけだから。。

組織から離れることが怖いと感じる人は、もう救いようがないくらいにマインドコントロールのさなかだと思う。。

恐怖。。と、執着。。
これが、なかなか曲者なのです。。
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>破壊的カルトのマインド・コントロールでは、... (ミルキー)
2012-08-27 16:04:36
>破壊的カルトのマインド・コントロールでは、罪悪感を植え付けたり、恐怖感を与えたり、外集団への怒りを喚起させたりして、常に否定的感情を喚起させる

学会歌の中に「威風堂々」という歌がありました。メロディーは軍歌調で、歌詞は「邪悪のこの世行く、学会の行く手を阻むは、何奴なるぞ」
学会員の人がよく口にするのは、学会の中は清らかな世界だけれど、世間は汚い、世間の人達には、心を許せない、心を開くことができない、ということです。
学会の中で、人間関係をしっかり確立してしまった人は、このつながりを失いたくないために学会に居続けます。あまりに学会活動に時間を費やし過ぎたことで、学会の外での人間関係ができず友人があまりいませんから、学会の外に出ることができません。そうなると学会の問題には目を瞑り、耳をふさいで、学会にとどまるしかないのです。
複数の学会員の方をお話をして、このような人間関係のしがらみを感じました。

Milky(アドレスはi_bonnier)という名前でツイッターを始めました。真実を知りたい、そして大事な情報は記録しておきたいというのが動機です。学会問題は書いていません。井の中の蛙、灯台元暗しというように、(元)学会員の方が学会には無知なんですね。

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ミルキーさん、Twitterをfollowさせていただきまし... (流れ星)
2012-08-28 20:53:06
ミルキーさん、Twitterをfollowさせていただきました。。

わたしは不思議で、創価学会に疑問を抱いているのに、新聞も購読している、財務は参加している、会合に参加している。。

とてもとても不思議でしたが、結局は人間関係というしがらみがあるからなんですね。。
家族に熱心な活動家がいたらなおさらですよね。。
それに母のような年配者になったら、さらにそうですよね。。そのコミュニティから脱するのは、とてつもない勇気がいるものですね。。

でも、こころが納得していないのに、悶々としながら組織に居続けて、大切な自身の人生が。。。。・°°・(>_<)・°°・。

こんなことばかり言っていると、学会の人に魔とか思われても自分が損なだけなので、もう言うのはやめますが。。
わたしって、ほんとうに余計なお節介おばさん。。(。-_-。)


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稲荷です。 (稲荷)
2012-08-31 23:29:03
稲荷です。
こないだのコメントのお返事、
有り難う御座いました。

確かに、私とクロさん
家族構成が似てますね。
(プロフィール、拝見しました)
だからでしょうか、創価アンチブログで一番、共感&納得出来ます。(^^)

今回の 恐怖=詐欺 の方程式は
ビックリです。
自分は深読みが苦手なので、
全く気付きませんでした。(゜゜;)
幸せになれるという誘い文句もまた同じとは…
チラシによくある「宝くじが当たるブレスレット」の方が可愛く思えてきました。(デザインも何もかも思いっきり胡散臭いですが…笑)

ふと、気づいたのですが。
学会は「七つの大罪」を全部犯してるんじゃないかと。

池田氏の見た目→暴食
他の宗派を信じない→傲慢
名誉なんたら集め→嫉妬(他の著名人に)
財務、票集め→強欲
聖教新聞→憤怒
池田氏の過去の性犯罪問題、
幹部は旺盛らしい?→色欲
自分の手は汚さない、使わない→怠惰

題目を唱え敢えて魔を呼んで、その魔に打ち勝ち、強くなり幸せになるというやり方ですから、
キリスト圏から見たら単なる悪魔召還かもしれません。
(で、上記のようになってしまった)

自分も題目をしてた時と比べ、全くしてない今では、憑き物が取れた感じです。
ネサフで調べてみましたが、
霊感のある人は創価人は霊臭がするそうで、何か獣臭いのだそうです。
見える方だったら会館には何が見えてるのやら…(^^;)

迷惑詐欺行為だけでなく、
「召還魔法」まで使えてしまう。
学会って最早、黒魔術以上です。苦笑。
でも、“恐怖による詐欺や支配”に勝る恐怖は無いのかも。
(創価友人に産土神が好きだと言ったら、即、神様は諸天善神様しか居ないと反論されました。)
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流れ星さんへ (ミルキー)
2012-09-01 07:52:26
流れ星さんへ

私のような者のツイッターにフォローしてくださって、ありがとうございます。

> とにかく捨てて捨てて、こころの断舎利をして空っぽになることが、こんなに心地よいことだとは思いませんでした。

同感です。余分なものを捨てるというのは、日本人の侘びさびの美学にも通じるものかと思います。捨てるという行為は、なかなか難しくても、最初から持たないという生き方の選択もあると思います。

私は学会を通してできた友人がいましたが、友人を失っても、また一人ぼっちになっても、自由に生きたいと思いましたが・・・疑問はあるけれど、学会に残るという方の気持ちもわかります。実際にそういうことを言う方ともお話をしました。

私とネットの付き合いは、本当のことは何だろうと思って、情報を集めたことからでした。ただ単純に真実を知りたかったからです。追求していくと、ある時は絶望的な思いになることもありました。知らなければよかった、と思うようなこともありました。でも知らなければ、私は次の行動がとれなかったと思います。

ここのクロさんの掲示板のタイトルは、「真実と幻想と創価学会」ですが、最近、この世の中、幻想だらけに見えるのです。罪のない幻想もありますが、人を不幸に突き落とす幻想もあります。そこから醒めるには、一人一人の意志でしかないと思います。
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流れ星さんへ (クロ)
2012-09-02 16:19:22
流れ星さんへ

恐怖は人の判断を狂わせる・・・。
それは人間というか生物の持つ本能故のことでしょうね。
生命を守るという本能には逆らえませんから。
命を取って他の全てを捨てる、という選択を本能的にしてしまうのかもしれません。
その「他の全てを捨てる」という行動や心理が、恐怖に捉われていない心で見ると実に愚かしいものに映ったり。
本人は必死だったり、或いは無意識だったりするのでそのことには気づかないことも多いでしょう。
何か普通の出来事(アクシデント)ならば、後から落ち着いて振り返ってみて「バカなことしちゃったなー」と省みることもできるでしょう。
しかしMCで思考を誘導されている状態ですと常に恐怖の足音を背中に聞くことになりますから、振り返ることもできないんでしょうね。

恐くても勇気を出して振り返ってみたら、足音の正体が分かっちゃったりして「なーんだ」となることもあるでしょうに。
たとえ正体が見えなくとも、一度振り返ることに慣れたらその足音も恐怖でなくなるはず。
恐怖(ストレス)から逃れるための方法は、決して「誰かから示された唯一の道しかない」なんてことはないのだと気づいてほしいですね。

人間関係のしがらみから組織から離れられないというのも同様のことがいえるでしょう。
人間関係が壊れるのが恐怖なのですね。
婦人部や活動家の方は特に、学会以外に人間関係を築いていない人が多いですから、それこそ「世界」を失うに等しいんでしょう。
またその「世界」の居心地が良かったり(良いと思い込んでいたり)しますから、その「世界」から出るなんてことは考えもしないんでしょう。
その「世界」だけで生きてきた年配の方などは更にそうでしょう。
家族でその「世界」を共有していたりすると、これまた厄介ですし・・・。
組織のMCはその「世界」の場所を用意しますが、それを強固にしていくのは自分自身の心なのかもしれませんね。
勿論組織もそれを助けますが。
けれどインターネットの普及などで、情報を遮断することは難しくなりました。これからもっと難しくなるでしょう。
それだけはまだ救いだと思います。
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ミルキーさんへ (クロ)
2012-09-02 16:37:39
ミルキーさんへ

学会においての人間関係のしがらみ、まさにその通りだと思います。
私の母親も例に漏れず、学会員以外の友人らしい友人はいません。
そもそも学会員さんとの関係が友人関係ではあり得ないと私は見ていますがね。

「私の周りの学会員さんはいい人ばかり」という声もよくあります。
けれどどこかの掲示板で見たのですが、「そんなの市や区の市民サークルなんかに行ってもみんないい人ばかりだぞ」と。
だから思い切って学会の外に出てみろ、という意味の書き込みがなされていました。
学会員さんたちが「学会の人はいい人ばかり」という言葉の裏には、そこ以外には「いい人」はいないと思っているからなんですね。
学会の中は清らかな世界、というのは失笑ものです。中にいてそう思うのならばMCも極まれり、ですね。
とあるライトのベルで、シェルターの中に暮らす人びとがいて、そのシェルターの中ではみんなマスクをして手袋をして生活していて自分たちはとても衛生的で文化的な生活をしていると思っているんです。
そしてシェルターの外に暮らす人たちは素手でマスクもなく暮らしてなんて汚いんだろうと、馬鹿にしているんですね。
けれど実際は、そのシェルターの中の生活者たちというのは掃除を知らず虫が這い回り、風呂に入ることもなく病気が蔓延してみんな若くして死んでしまう。
マスクも手袋も、そうしなければならないほどの衛生環境だからなんです。
シェルターはその不衛生な状態を隔離するためのものでした。
なんかそういう情景をふと思い出してしまいました。


>追求していくと、ある時は絶望的な思いになることもありました。知らなければよかった、と思うようなこともありました。

私も同じでした。
学会問題は日本社会にも深く影響しているので、本当に深刻に落ち込みましたね。
でもそれがあったからこそ、今こうしてブログなんかやっているわけです。
今はやはり、知るべくして知った。知らなければならないことだったのだ、と思っています。


ツイッター、私も一応登録しているんですけどね・・・。
ほぼ使っていないのですよ^^;
Milkyさん見つけましたので、フォローさせて頂きました。
けれど、週一で見たらいいほうなんで・・・すいません。
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稲荷さんへ (クロ)
2012-09-02 17:06:49
稲荷さんへ

>創価アンチブログで一番、共感&納得出来ます。(^^)

ありがとうございます。
私のブログもここまで来たかぁ・・・と感慨深いものがあります。

学会家庭では父親が非学会員か非活(消極的活動家も含む)で母親が活動家、というパターンは少なくないと思いますね。
子供が活動家になるか否かは、私のような活動も信仰も全くないというのは少数かもしれません。
バリ活になる方も多くはないでしょうが、疑問を持ちつつある程度信仰や活動はしている(していた)という二世・三世が多いのかな、と感じています。

学会の「七つの大罪」うまく当てはまっていますね!
学会が、というより池田氏一人で全部背負ってるようにも思えますが…。

敢えて魔を呼ぶ、というのは「(学会が)正法だから魔が競う=魔が競うということは(学会は)正法」というやつですかね。
日蓮さんの時代から「正法だから魔が…」というのはあったようですが、私はこれは究極の思考停止、疑問封じだと思っています。
まあ日蓮さんがMCを意図していたとは思いませんが、今の学会ではMCの手法の一つとなっていますね。
悪魔召還とはちょっと笑ってしまいますが、実際日顕さんや批判者を呪う題目をあげたりしますから、黒魔術的なのは確かですね。


>霊感のある人は創価人は霊臭がするそうで、何か獣臭いのだそうです。

都市伝説かもしれませんが、題目をあげていたらご本尊から黒い幽霊(?)が出てきたって話、有名ですよね?
白い煙バージョンの話も聞いたことあります。
上記のように人の不幸を祈ったり呪いのようなことをしているのですから、不気味な現象が出ても不思議ではないとは思いますが、私は霊感ないのでなんとも言えませんがね…。
そんなことより私は呪いの題目なんかをしている人間の方がよほど恐ろしい…。

産土神を否定される創価友人さん、神社とか嫌いなんでしょうね。
もったいないことです。
日本に生まれて、この日本独特の宗教観に触れることを拒むとは。
神道の精神はとても心が豊かになるように感じます。本当に、もったいないことです。
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