真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

マインドコントロールとは何か より「情報処理過程をゆがめる情報」その2

2012-09-02 18:07:16 | カルト宗教
マインド・コントロールとは何か マインド・コントロールとは何か
価格:¥ 1,427(税込)
発売日:1995-08

第3章 マインド・コントロールとはいかなる技術なのか より

情報処理過程をゆがめる情報――感情の操作 (2)

 また一方、快という感情を与えることは、説得にどういう効果をもたらすだろうか。ジャニスとクイとキルシュナーは、エール大学二一六人を実験の被験者とし、癌の治療性、軍隊の規模、月世界旅行、立体映画について説得的なメッセージを読ませた後、何年後に実現するかを評定させた。その際、実験条件群ではスナック菓子を食べながらメッセージを読んだ。また対照群の被験者は、何も口にすることなくメッセージを読んだ。その結果では、メッセージの内容とは明らかに関係ないが、スナック菓子を提供されたほうがそうでないほうよりも説得効果が高かった。つまり、快につながる状況をつくることで、説得効果が高くなる。
 破壊的カルトのマインド・コントロールでは、
入会決意の前や入会したてのときは、まるで特別な客人のように優しく手厚く接してくれるといわれている。ある破壊的カルトは勧誘の説得的メッセージを与えるときに食事を提供し、なごやかな雰囲気をつくろうとするという。また操作者は、自分たちの組織のメンバーであることが、他のどこの集団に属するよりも高い価値のある存在であると説得して、メンバーの自己愛を高める。つまり心地よい気持ちにさせることが説得をスムーズにさせることにつながる。

という小難しい表現になっていますが、ごく簡単にたとえるならば「接待」がそういうことでしょう。

美味しいお酒やご飯、きれいなおねえちゃんとのお喋り。そういう心地よい状況をつくって説得する(商談をまとめる)というのが、まさに今回言ってることですね。

また創価学会では熱心な活動家の方に限らずオルタナティブ派の方でさえ、「選民意識」が高いということもよく言われます。根底にあるのか、無意識的な発言にそういう意識が表れていることもしばしばです。

これは創価学会が「絶対正義」の言葉に示されるように、排他主義にあることからも伺えることです。

自分たちが唯一絶対の正義で、その他に正しいものはないとする考えは、前回の記事に出てきました「思考停止」の状況に持っていくにも、とても都合のいいものとなりますね。

「その他」というものは膨大な数にのぼりますがそれを一つ一つ考えていくことは大変です。それを一緒くたに「その他」にしてしまえるのが、「唯一正義」です。

またこれには「他のどこの集団に属するよりも高い価値のある存在」と思わせる効果もあります。

聖教新聞の論調などを見ていますと、創価学会以外にまともな平和活動をしている団体などこの世に存在しないかのような書きっぷりですからね。

そもそも、まともな平和活動をしている団体に創価学会は含まれないと思うわけですが。

また世界の知性が尊敬するという「池田(自称)博士」( ´,_ゝ`)プッ を師匠にできるというのも、優越感をくすぐる要因かもしれません。

学会員さんが思うほど、ほんとーに思ってるほど池田氏は有名ではなく、世間的には無関心の対象です。胡散臭いと思われているのがせいぜいです。アンチの言いがかりではないですよ。

ほぼ外部の感覚で育ってきた私の経験上の評価です。

私的にはもっとこの人物が注目されてほしいと思っている位です。

ネットの検索ランキング上位に入ってほしいと願ってやまない位ですが、なかなか関心が持たれないようで残念な限りです。

おそらくは池田氏や創価学会が最も有名になっていくのは、その存在の真の姿が公になる時なのでしょうね。

その時が今から待ち遠しいです。


20 コメント

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お褒めに預かり恐縮です。(^_^) (稲荷)
2012-09-03 05:14:32
お褒めに預かり恐縮です。(^_^)
「七つの大罪」は気付いた時、自分でも驚愕しました。
思いつきで当てはまるかな~と当てはめていくと、綺麗にマッチしてしまったので。

今回もズバーンと爽快な記事でした。

私は素晴らしい博士。
と、自称するのは「私は滑稽です」と言ってるのと同じですね。
本当に偉い人は自分は偉いだなんてちっとも思ってませんし、有名どころか周りの人だけが知ってるという極めて無名なパターンも多いと思います。

なぜ、覚醒出来ないかは、隔離や排他が大部分を占めてるな。
と、今まで勉強させて貰って改めて強く感じました。
本当の神様達が居て、もっと色々な面白い情報も溢れてるのに。仰る通り、もったいない。苦笑

私が覚醒出来たのには、
手塚治虫氏の漫画が二役も三役も買ってくれたと思います。
火の鳥・太陽編に宗教と権力の話が出てくるのですが。火の鳥の台詞の

「悪いのは宗教が
権力とむすばれた時だけです」

が、シンプルで力強く印象的でした。
その後、高校の時に政教分離を知り、初めてその真意を理解でき、学会に対して初めての疑問が生じました。
数年前にNHKでアニメ放送された太陽編はこの台詞が権力→欲望に変えられたと知った時は、学会を恐れたか、上からの圧力かな、と難しくない想像をしました。

手塚氏は学会を批判していた。
少なくとも、カルトは否定していた。
学会活動してた時から、自分は池田氏なんかよりもずっと彼を尊敬してました。
そして今、それがアンチに成ることへの後押しとなったと思っています。

手塚治虫氏の漫画は、良き覚醒アイテムかもしれません。(^^)
二世、三役→プライムローズもお勧め。
バリ活→火の鳥・太陽編、鳳凰編
が、いい具合かと。
返信する
稲荷さん (流れ星)
2012-09-03 08:42:44
稲荷さん
若いころ、その「火の鳥」を全巻、お友だちから借りて読んだことがあります。。
感動しました。。
哲学がありましたね。。
また、読んでみたいなあ。。
創価学会から離れて、いま読んだらどう感じるのだろう。。

クロさん
まさにそうです。。
わたしが、創価学会をやめる辺りからいろいろな人と交流する中で、まるっきり創価学会のことはなにも知らないという人が数人いて驚いたことがありました。。

創価学会を知っているというひとも、日頃お付き合いもないのに選挙になると連絡が来るくらいの印象しかない人が、ほとんどですね。。

学会員ですら、創価学会の本当のことは知らないのですから、信心していない人は尚更だし、さして関心もないようです。。

学会の中にいる人は、まさに井の中の蛙大海を知らず。。といったところでしょうね。。

そんなちいさな水たまりを怖がって抜け出すことができないのですから勿体ないです。。

前のところで、クロさんが日本の神道のことをおっしゃっていましたが、ほんとうに神道もすばらしいし、日本の文化だし、まだ威力がありますよね。。

神道を信仰する人のお話を聞くと、やはりそれぞれのこころの裡に神は宿るというようなことを言われますね。。
そして感謝のこころが大事だと。。

日蓮以外の宗教では、あまりこれこそが正しいとは言いませんね。。

これからの世界は、すべての宗教がひとつになってゆくというようなお話をされる方もいます。。

わたしは日曜日の早朝5時からNHKEテレの宗教の番組を毎回録画して観ているのですが。。
何故なら、創価学会にいながら、わたし、宗教のことをほとんど知らないことに気がついたからなんです。。

毎回、さまざまな宗派の方が出演されてお話しされますが、どのお話も興味深いです。。
知らないことだらけだと気づかされます。。

よくなにも知らないで他宗のことを批判していたなんて日蓮もガッカリでしょう。。

べつになにかの宗教をやろうと想って見ているのではなくて、自分の無知の隙間を埋めるためです。。

また、いまBSでは宿坊に泊まろう。。というような番組もあって、女優さんがいろいろな宗派の宿坊に泊まって修行をするところをドキュメンタリー形式で撮った番組も観ることもありますよ。。

このような番組を見ていくと、日本中には、真面目に修業されている僧侶や牧師がまだまだいます。。

誰も人の不幸を願ってお題目を上げたりしていません。。
我こそ偉し、という人もいません。。
やたらひとを批判する人もいないし、感謝のこころに満ち溢れています。。
謙虚に学び修業されています。。

なんだか、また長々とすみません。。
このあたりでやめておきます。。
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初めてお邪魔致します。 (秋月英介)
2012-09-03 15:56:52
初めてお邪魔致します。
私は入信15年を迎えた、下っ端学会員です。
入信前は野良犬みたいな生き様であったのが、御本尊に巡り合い、題目の力を体感したお陰で、宿命転換できたと確信しています。
しかし・・・

今は信仰より活動に偏り、宗教とかけ離れたように思えてなりません。
幹部の指導も、以前なら自身の体験を交えて心に刻まれたのが、最近では池田先生のスピーチ引用ばかりです。
これを組織で問題提起すると「惰性だ」「ブレている」「報恩感謝が無い」など、全く納得行かない答えばかりでした。

お題目の功力は感じているので、これからも学会員を続けますが、6月のブログ記事にもあるように、弁護士との懇談会で、勇気ある改革派がいたことに自信が湧きました。ただし現状では内部改革を起こそうとしても、忽ち粉砕され、広宣部が監視するのでしょう。

先日、ネットでは内部告発が多数あると
幹部に物申しても、「信心を惑わす悪知識」と一蹴されました。
ネットで告発しなければならない組織にしたのは、一体どこの誰なのか?
組織で喜ばれるのは従順な犬であり、疑問を感じても「三障四魔が競っている」と、言い聞かせるのが、バリ活の姿です。
ちっとも功徳や体験を語ることも出来ず、数字の報告ばかりの会合をやって楽しいかい?

本部活動者の会合では「全地区に地区リーダーを配置」などと、人間をモノ扱い。
その地区リーダーだって、隣の地区からの派遣で数合わせ。
一方、大幹部とやらは世間では友達がいないのか、組織で会合ばかり取って気合を入れています(爆
窓際族が「圏○○長」と呼ばれて、すっかり偉くなった気分になって、肩で風を切る姿は天然記念物です(爆
男子部の連中は、893みたいな目付きか、疲れ果てた表情のどちらかで、婦人部のオバハンは、金切り声でヒステリック。本当に御本尊を仰いでいるの?と疑問が湧きます。
「信ずる者は救われるゲキョゲキョ」でしょうか。

中には手本に出来る学会員もいますが、バリ活は組織の犬と化しています。
上層部の幹部は、池田先生に喜んでもらいたいとの英雄主義で、無理な打ち出しをしているとしか思えないのですが。
その結果、当地でも青年部は凋落の一途を辿り、男子部は組織の雑用係になっています。
そろそろ「大本営発表」はやめませんか?と信濃町に言いたいです。

約10年前には選挙態勢とやらで、組織に新婚生活を粉砕された恨みは忘れません。

最後に、2ちゃんねるに書きそうな文章で申し訳ありませんが、今後も不信を感じたら寄稿させて頂きます。
なお、HNの「秋月英介」は、「人間革命」でお馴染みの、あの御方です。
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失礼します。私は学会員ではありませんが、共感で... (たろう)
2012-09-06 16:34:46
失礼します。私は学会員ではありませんが、共感できる所が沢山ありましたので、一言申し上げます。
まず、信仰とは何だ?ということをよく考える必要があります。
人によって境涯が違うように、信仰に入る時期もきっかけも理解力も学ぶスピードも違います。
厳しく言えば、宗教指導者(または指導者)は悟った人でなければ指導者になってはいけません。現実にはそうではないのかもしれませんが、凡人、凡夫が「私が思う宗教はこれだ」とか、「これが正しい信仰だ」「これが幸せだ」などと言って教団を作れば、争いが起きたり、色々な問題が起きるでしょう。
つまり、宗教は価値観を信者に教えるものではないということです。

宗教(または信仰)は、「これが正しい」「これが好き」「嫌い」「これが平和だ」などと概念に過ぎないものに拘り、他人と争いも起こしてしまう「心」について教えるものです。
ですから、まともな宗教家が「これが正しい信仰だ」などということをいつまでも信者に言うことなどはありません。

だから、まともな宗教団体が創価学会と争うことはしないのです、彼らは、批判し合うようなことが悪い因縁を作ることを、知っているからです。

当然、宗教団体ごとに、違う価値観や違う正義感、違う「幸せ」(違う悟り)があるわけがありません。過去の経験から他と比べ、価値を作ってしまう「心」を知り、学ぶものなのですから。
そのような「宗教」「信仰」自体を拘りの対象としてしまう創価学会や似たような教団の指導は明らかに間違っていますし、指導者には値しません。

ですから、もし池田氏が指導者とするならば、その指導は信仰に入る前段階だ、という理解をするべきでしょう。絶望した人が生きる希望を持つために、「いつか幸せになれる」という希望を持つための指導です。
日蓮の説いた信仰とはそういうものではないでしょうか。

「この信仰で宿命が転換できる」とか「これが本物の仏教だ」と言ってしまえば、信者を騙すことになります。あくまでも希望を与えることが目的であり、それ以上でも以下でもないということです。
信者もその言葉を真に受けて、一生懸命、財務や勧誘をするわけですが、だから行き過ぎた行為で他人を不快にさせたり、嘘をついたり、優位な立場を利用してでも勧誘しようとしたりして、人間関係を壊すようなことが起きるわけです。しかし、それでも信者は「正しいことをしてるんだ」という価値観に支配され、この信仰の問題に気づくことはありません。

先にも書いたように宗教は、信者に価値観を植えつけるようなものではありません。勧誘も信仰には直接関係ありません。「この信仰は正しい」(と信じる)→「この信仰は人を幸せにする」(と信じる)→「勧誘は自分だけでなく、他人も救う」(と信じる)という勝手な解釈によるもので、全て信じるという域を出ていません。

信じることを否定しているのではなく、信じることが結局は学びとならなければ、その信仰は嘘です。人のためにある信仰が人を傷つけるならやはり偽の信仰なのです。(指導者が偽者ということです)

良いと思うものを他人に勧めることも、信仰ではありません。良いと思う「心」、他人に勧めてしまう「心」を学ぶものが「宗教」「信仰」であり、心の学びです。
以上、失礼しました。
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コメ、有難う御座います。 (稲荷)
2012-09-06 19:21:18
コメ、有難う御座います。
流れ星さん。
火の鳥は、手塚治虫先生の「命」に対する思いが凝縮された結晶のような作品ですからね。(^^)
今もきっと、色あせる事なく感動できると思います。
是非、読んでみてください。

前に流れ星さんのコメントにあった、
「心を空っぽに」が、私的ですが、私の最近の悩み事を解決に導く大きなヒントになりました。
本当に素敵な言葉だと思います。
私はこだわりが強い「こだわり人間」ですので…汗
(どの占いも、こだわりの強さだけは
全部当たります。^^;)
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たろうさん (流れ星)
2012-09-06 22:38:43
たろうさん
感動しました。。
わたしが、創価学会をやめて気づきをたくさん得ましたが、まさに、たろうさんがおっしゃるようなことでした。。

日本含め、世界中に真の信仰をされている方が多いと思いました。

反面、創価学会にいたら、真の信仰から遠ざかるばかりだと思うようになりました。。

>批判し合うようなことが悪い因縁を作ることを、知っているからです。

ほんとうに、ほんとうにそうですね。。
創価学会に染まると批判精神だけは鍛えられるようです。。

わたしもそうでした。。
まだ、そのいのちは抜け切れていません。。
少しづつよい縁をいただいて生きていきたいです。。

いいお話をありがとうございました。。

稲荷さんへ
そうでしたか。。よかったです。。
あの言葉は、いまのわたしの実感です。

きょう、ムーミンというアニメを子どもとみていたときにスナフキンの言った言葉が印象的でした。。

「誰かを信望すると、こころが自由でなくなるんだ」

すごい!と思わず思っちゃいました。。
スナフキンは、わたしが子どもの頃、アニメの中で初めて恋をした人です。。(笑)

すみません。。話しが飛んじゃいました。。





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昨日の衆議院本会議でACTA批准を可決し、日本はACT... (roco)
2012-09-07 20:53:03
昨日の衆議院本会議でACTA批准を可決し、日本はACTA最初の批准国になりました。
あと4ヶ国の批准がない限りACTAは発効されません。
EU諸国は否決、オーストラリアやメキシコも否決に動いています。
残るはカナダ、韓国、シンガポール、ニュージーランド、モロッコ・・・この5ヶ国のうち2つの国が否決すれば発効されないそうです。

いつの間にか勝手に可決されたこのACTA。
民主党の強行採決のようですが、ネットにどんな影響があるのか、私もよくわかっていません。

公明党の東順治議員が人権委員会設置法案(人権擁護救済法案)を要求しました。
公明党や民主党議員らによって提出されるこの法案は「日本人だけに言論の自由を奪う」法案とのこと。
この法案が成立すればクロさんも私もブログを閉鎖しないといけなくなりますね。

恐ろしい法案が反原発や竹島問題の裏で可決されようとしています。
MCされている信者さんたちは、もう仕方ないので日本を護りたい人が日本を護ればいいと思っています。
私は外国人参政権に次ぐバトルを両親としています。

今年も財務の季節がやってきますけど、
この時期になると、婦人部長の言葉に惑わされて家庭の全財産を財務した婦人部のことを思い出します。
病気のご主人を想っての財務だったのですが、金額がものすごい額でして、ご主人はそれを知らないんです。
その後どうなったのか知りませんが、今も心配でなりません。
高額財務をゲットさせた婦人部長はその後、昇格しました。
自分のくだらない欲求のために高額財務させるなんて・・・。
この人、私が未活動になった時、「学会員に余計なこと言うな」と怒鳴り込みにきた人です。

学会員のみなさま
間違ったものにお金を渡してはいけません。
間違ったことをすると、そのような現証が必ずでます。
少額でもお金は大事に使って下さいね。
返信する
稲荷さんへ (クロ)
2012-09-09 14:12:52
稲荷さんへ

こんにちは。丁寧なコメントありがとうございます。

池田氏を始めとした創価学会全体に言えることですが、自画自賛がすごすぎる。
池田氏を聖教新聞や公式HPで紹介するときも、「博士」や「Dr」の肩書きをつけることがあります。
これは明確な学位詐称になるんですね。
以前私のブログでリンクしています「実事求是」(蛍さんのブログ)の記事で痛快に指摘されていました。
http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/51805274.html(「実事求是の勝利」 博士号詐称を認めた創価学園)
↑の指摘を受けてかどうかは分かりませんが、創価学園英語版のHPでは「Dr.」の文字がことごとく削除されたとか。
「自称・博士」が滑稽で終わらないのはHPから「Dr.」の文字を削除した自分たちが一番良く分かっているのではないでしょうか。
バレなければ(気づかれなければ)何をしてもいいという、明らかな反社会性を露呈した一例だと思います。

手塚治虫の「火の鳥」、実は私は読んだことがないのですよ。
「ブラックジャック」は学校の図書室に置いてあったので読んだことがあるのですが^^;
でも手塚治虫のマンガは、とてもメッセージ性があって胸を打つことがあります。
「ブラックジャック」でさえそうなのですから、「火の鳥」や「ブッダ」などは尚のことでしょう。

しかしそれよりも前に、日蓮さんのこと(御書)、法華経のこと、仏教のことをしっかり学べば、創価学会はおかしいのだと分かりそうなものですがね・・・。
学会で教えているものは「創価学会用」の都合のいい切文ですから、そこにまず気づかないと学会員さんたちは自分が利用されているのだということにはなかなか辿りつかないかもしれませんね。
それにしてもNHKアニメの火の鳥、「宗教と権力」を結びつけると連想されるものに恐怖感を抱いたのですかねw
返信する
流れ星さんへ (クロ)
2012-09-09 14:52:18
流れ星さんへ

「白バラ」では大変ですね。
本当にお疲れ様です。
あまりお気にされませんよう。

創価学会の認知度というのは、学会員さんが自分たちで「すごい!」と思っているほど大したものではありませんね。
また詳しく知らずとも、好意的な感情を抱いている一般人は更に少ないでしょう。そんな方は極々希少です。
多くは「胡散臭い新興宗教」という感覚で学会を捉えています。
また聖教新聞を見ていますと海外でも相当の広がりのように思えますが、実際海外の方に「創価学会を知っているか?」と聞いても、ほとんどが知らないと答えます。
まー当然といえば当然なのですかがw
こういうのってあれに似てますね。
アーティストやアイドルとかをずっとファンでその情報ばかりに敏感になって収集していると、世間での人気や認知度というものが分からなくなってしまうというやつに。
ただの熱心なファン程度ならば、自分が世間の認知度を計れていないということも自覚しているでしょうが、そのことにすら気づかなくなってしまうとカルト的になって危険信号という感じがしますね。

神道の素晴らしさはまさに、万物に神性を見出し感謝するということにありますね。
全てのものというのは、たとえば到底神がかっていないようなモノをご神体にするということではなく、目に見えない、自分と直接関わっていないようなものでも、「どこかで繋がって巡りめぐって助け合っている」という感謝の心の現われだと思うんです。
はるか遠くの山の木々や、手の届かない空の雲の一片、果てない海の一滴も、全てが繋がってそのお陰で「自分がここに在る」ということに感謝することだと思います。
まさに「お陰さま」。お陰さまという言葉は、目には見えぬ「陰」となっているものにも感謝するという言葉です。
自然だけでなく、人間が作った道具や物達にもそうやって感謝する。
それが本来の日本人の国民性であると思います。
現代になってそういった心を忘れがちになり、自分のことだけ良ければと考える人もいますが、たとえそういう人たちでもこの「感謝の心」を理解はできると思うんです。
実際するかどうかは別としてもね。
やはり日本人にはそういう心が備わっていて、それが発揮できるかどうかということだと思います。
現代の教育がその発揮を阻止している気もしますがね・・・。
そしてその精神に真っ向から否定するのが「唯一絶対正義」の創価学会であることは言うまでもありません。

実際どうだったかは分かりませんが、日蓮さんの生い立ちを考えると彼は「自己愛性障害」だったという説もありますね。
これは自分に注目してほしい、自分を愛してほしい、自分が中心でないとイヤだー!という池田氏にも当てはまる症状なのですが。
日蓮さんの掲げる排他性の強さから、そういったことが言われるのかもしれません。
一方でそういった強力な指導で当時バラバラであった仏教観(宗教観?)を正しいものに統一したいということから、敢えて排他性を強めたのだとも言われていますが。
無論正解などは分かるはずもありませんが、そうやって日蓮さんの考えや生き方を紐解いていくというのも、別の観点から面白いと思うんですけどね。
残念ながら学会員さんたちは日蓮さんのことにはあまり興味がないようです。


>スナフキンは、わたしが子どもの頃、アニメの中で初めて恋をした人です。。(笑)

スナフキン、素敵ですよね~。
私も子供のときにテレビでムーミンを観てて、スナフキンを尊敬したことがあります。
ムーミン谷の運動会かなんかで綱引きがあり、けれどその綱の中心のリボンがずれていると言い合いになるんです。
綱はとても長く、見た目では判断できない。
そこへ現れたスナフキンが「こうすればいいんだよ」と綱を半分にたたむんです。そうするとその頂点が中心です。
私はこのシーンを見て、「スナフキン頭いい~!」と尊敬したものですw
「誰かを信望すると、こころが自由でなくなるんだ」
名言です。哲学者ですね、彼は。
ちなみに私も話逸れますが、ムーミン谷は核戦争後の人類が滅亡した地球でスナフキンは唯一の人間の生き残り、という都市伝説がありますね。
そう思って観るとまた興味深いかも・・・w
返信する
学会員あるある?話 (河童)
2012-09-09 17:52:37
学会員あるある?話

暑い中、昨日、先輩幹部が二人訪ねてきました。ご苦労なことです。
先輩A「座談会の入場券を持ってきました」ですと。入場券じゃなくてご案内でしょうが。細かいことですが私には癇にさわるんです。
学会本部からの打ち出しが良い方向に大きく変わったら喜んで参加します、と伝えたら、
先輩A「どんどん打ち出されていますよ」ですと。じゃなくて中身ね。
打ち出しを取捨選択できる組織にしないと衰退しますよ、と言うと、
先輩A「100%従うのが信心です」だそうです。
学会本部はいつもそんなに正しいのですか、と聞くと、
先輩A「そんなことはないでしょうが、疑問は祈りながらぶつかって行くのです」と。
おかしなことは皆で相談して是正しましょうよ、と提案すると、
先輩B「引っ込んでないで以前みたいにどんどん前に出て旗を振ってください」と。
それをしようとしたら上から潰されたんですけど、と答えると、
先輩A「そんなことをしてはいけません。組織の方針に従うのが幹部の責任です」と。
お二人の意見が正反対ですね。私はどうしたら良いのか分からないので冬眠してます。
話をまともに聞いてくれる大幹部、疑問を持った人たちが連携できる土壌が出来たら復活するかも知れませんのでよろしく、と言うと、
先輩A「人のせいにしていては何も変わりません。様々な疑問を自分の祈りで解決していくのが信心です」と刺激的なことを言うので、
信心のことは言っていません。組織活動がオカシイと言っているのです。組織活動が純粋な信心を妨害しているから問題だと言っているのです。
話が通じないところで旗を振れば“魔にやられている”と言われるのがオチでしょう。問題が顕在化しているのに見ようとせず、解決の努力もせずに信心で乗りきれなど、私に言わせたら小乗教です。時間が無駄なので気運が高まるまでお休みです。
先輩A「あなた題目あがってませんね」と来たもんだ。(えーあがってませんとも。だから覚醒したのかもね。文句あっか!)
余計なお世話です。信心の話はしていません。組織論、マネジメントの話をしているのです、と言うと、
先輩B「組織も信心も同じです」と言うので、
イヤ違うでしょ。組織が信頼に足るなら同じでもよいですが、根本的にオカシイから私は分けて考えています・・・
先輩A「確かに魔にやられていると言われますね」などとほざくので、ついプッツン。
Bさんとはお付き合いも長いので今後もお話ししますが、Aさん、あなたとお話しすることはもうありません。二度と来ないでください。(ドア、バタン)

この人達とのこんなやり取りは過去数回やっていて、いつも平行線なんですね。
「入場券」でロックオンしていたので「魔にやられた」で小ミサイル発射しちゃいました。

愚痴話ですみません。でも第三者には馬鹿馬鹿しくて面白いかなと。
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