先日、春日大社のお土産を渡しに父方の親戚のおばさんと会う機会がありました。
その際うちの母親の話から学会の話になり、おばさんは「学会だけじゃないけど宗教やってる人ってなんで、ああ『ガーッ』となれるか(信じ込めるか)分からんわぁ~」と言うので、私は「マインド・コントロールされてるからやで」と簡単に説明。
しかしブログで散々書籍からの引用で説明していたにも関わらず、いざ人に面と向かって説明するとなると上手く言葉が出てこず・・・。なんて言うか、あまり先鋭的になると一般人には理解されず逆に引かれ、簡単すぎると根本的な理解をしてもらえず・・・のような空気もありまして。
「マインド・コントロール」という言葉自体がやはりオウム事件で認識が広まったこともあり、何か特殊な宗教儀式のように捉えられている感も否めません。
今回はバカバカしくも簡単にふわっと理解できるマインド・コントロール(M・C)の説明を試みてみたいと思います。
M・Cの記事で紹介していた「マインド・コントロールとは何か」(西田公昭 著)という本の中で、「こころ(マインド)」の操作は究極的に情報の操作によって行われる、という一文があります。
「何かの料理をつくる」という意思決定をさせるのに、「料理の材料」と「料理道具セット」、ともに指定したものを使わせておいて、「自由に好きな料理をつくればよい」と、言っているようなものである。
~中略~
もしも新鮮な鯛が食材として選ばされて、使える道具が包丁だけしかなかったなら、まずほとんどの日本人なら、だれかに命令されなくても刺身を造るであろう。しかも「自分の頭で考えた」結果によってである。
との説明があります。鯛なんかそうそう誰もが捌けないよ、というツッコミは置いておいてw
以前同書の中から「弁別性」「一貫性」「合意性」のそれぞれ高い情報を選択的に重視するという話を記事にしました。詳しくは以下のリンクからご覧下さい。
マインド・コントロールとは何か より「注目されやすい情報」その1
ということを踏まえ、鯛の刺身より分かりやすく考えてみたいと思います。
とある人にカレーを作らせようとする場合。
とある人はスーパーに夕食の買出しに出かけます。
するとスーパーではカレー材料の特売で、入り口すぐの売り場に目玉商品としてカレー材料が山積みになっており、沢山の買い物客がそれらを買い求めています。
設置されたテレビでは芸能人の〇〇やスポーツ選手の△△が出演しているカレールーのCMがエンドレスで流れています。
美味しいカレーの作り方のレシピが無料で配布されていたりもします。
そしてその人は、自分の考えで、誰に命令されるでもなく、夕食のメニューをカレーにしてしまうことでしょう。
この人に「何故カレーにしたのか?」と質問してみましょう。きっとこう答えるはずです。「だって宣伝してたから」と。
ここまですると、さすがに宣伝されていると気付かれてしまいますね。気付かれるようではこのスーパーは売り上げが上がったとしてもM・C使いとしては三流です。
では一流のM・Cとは?
宣伝を宣伝と気付かせないのです。
その人の周辺でカレーの話をその人に聞こえるように別々の人が話します。
「カレーって栄養価が高くって、辛いものを食べると汗をかいて新陳代謝もアップするんだって~」
「芸能人の〇〇やスポーツ選手の△△ってカレーが大好物なんだって」
「・・・無性にカレーが食べたくなる時ってあるよね」
さらにはカレールーの棚の前で、「グ〇コとハ〇スのカレールーをブレンドするとビックリするくらい美味しいんだよね~」などと呟かせますw
すれ違った親子連れの子供が「ママ、今日カレーが食べたい~」と駄々をこねます。
キモはスーパーとは関係ないと思われる人物、組織からカレーの情報を発信させることです。
その人は宣伝されたという意識もないまま、カレーの材料を買ってしまう確率が相当高まったことでしょう。
たとえこの一回の買い物でカレーにしなくても、じわじわとカレーに対する意識が高まります。
そうしてカレー材料が特売でなくても、有名人がCMしていなくても、この人はカレー材料を買って夕食のメニューをカレーにしてしまいます。
カレー教信者の入り口に立ったわけです。
そのうちカレー好きと称する仲間がその人の周りに集まってきます。カレーの有用性を語り、その美味を競い、カレーの歴史を学び、周囲にカレーが如何に素晴らしい料理か広める努力を讃え合います。
信仰が深まれば、その人は噂話を耳にすることがなくとも、完全に自発的に自分の考えで、頼まれもしないのに毎日カレーの材料を、しかもより価格の高いものを買い求め、家に腐るほど余っていても余分に余分にと買い込んでしまうようになります。
カレーを至高の料理と信じてやまない、立派なカレー教信者の誕生です。
スーパーの陰謀とも気付かず、カレーしか考えられなくなったこの人は、カレーに賭ける情熱こそ生き甲斐と感じて生きていきます。
スーパーはコスト>売り上げとなってしまったかもしれませんが、M・C使いとしては一流と言えましょう。
しかし宣伝による一度きりのカレー調理ではなく、信者になると後は意識を継続させるための少しの手間で勝手に信者たちがカレー調理を求めてくるようになります。そして自らが熱心に宣伝してくれるわけです。
毎度バカバカしい内容と相成りましたが、M・Cが特別な宗教儀式ではなく一過性の宣伝から長期的な刷り込みまでを含む、人間心理の方向性の操作であるということが少しは伝わりましたでしょうか。
カレー=学会みたいに書いてしまいましたが、カレーに一切恨みはありませんw
私は大好きだぜ、カレー!今日の晩御飯はカレーうどんだしな!
今回の喩えは私の素人考えによるものですので、心理学やM・Cの専門的観点から見るとツッコミ所が多々あるかもしれませんが、そもそもそういうものであるという前提でご理解ください。
さて、ではカレー教信者がカレーから抜け出すにはどうしたらいいでしょうか?
カレーから離れることです。一気にカレー断ちは無理でも、たまにカレーとは違うものを食べたり、メニューを見たり考えたりするだけでもいい。徐々に距離を取り、カレー熱を冷ましていくことです。
人によって熱の冷まし方は色々です。家族が「カレーばっかり食べてたら栄養が偏るよ」と心配してくれたり、カレーのネガティブな情報を意識的に取り入れたり、カレー教信者仲間の押し付けに嫌気が差して「何でカレーが好きになったんだったっけ?」と我に返ってみたり。
大事なのは、M・Cされているという事実に気付くこと。そして操作された情報以外の信用に足る情報に触れることです。
M・Cは使い方によっては恐ろしい現象をもたらしますが、特別な技術ではありません。
一般の多くの人々が身近にあることかもしれないと、予備知識を得ることが重要ではないかと思います。
簡単な説明にしようとしたのに、この長文w
長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
遅すぎて大変恐縮ですが、
あけましておめでとうございます。
身近にあるM・Cを例にとっての解説、ありがとうございます。
たいへんわかりやすかったです。
金儲けとかではなく、それこそ真の意味での世界平和に使えば、いいんじゃないかとも思いました。
本年も宜しくお願いいたします。
明日からカレー断ちします。
って、もう言ったような気もしますがw
今回の記事はとてもわかり易くて参考になりました。
マインドコントロールってコントロールされてる事、ぐらいの認識しかなくて説明してみろと言われるとどう説明したら良いかわかりませんでした。
この説明ならわかりやすい!!
とか言って、いざ説明しようとしたらきっと『カレーを食べたくなるようにコントロールされること・・・だったっけ?あれ違ったっけかな?』なんて言いそうですが。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
M・Cの説明って難しいですよね。
不運なことに、日本ではオウム事件を発端としてのイメージが定着していますから。
ビジネスシーンなどでは当たり前に使われているノウハウのようなものなんですが。
それを学会をはじめとしたカルト宗教が悪用している、という図式が一般に認識されれば現役の学会員さんたちの覚醒のきっかけにも成り得るものではないかと思っています。
大勝利さんのブログ、1/24の記事での感想を拝見して、とても共感しました。
聖教新聞記事を読んで受ける違和感を、下手に学会のアンチ的な知識があると常識的な感想がスッと出てこない時があるんですよね。
けれど大勝利さんの言わばアンチ素人的な感想が、とてもストレートに本質を捉えていると感じました。
「そうそう、言いたかったのはこういうこと!」と頷かせてもらいました。
これからも大勝利さんの素直な感性でブログ運営されていって下さい。応援しています。
M・Cって人に説明しようとすると、難しいですよね。
論文的にダラダラ長く詳しく説明するわけにもいかず、簡単に言おうとすると本質が理解されず。
いや、それは説明する側の理解不足もあるのでしょうけれど(汗)。
特に「洗脳」と一緒にされがちなのも足枷になっている気がします。
あたかも自分で考え自分の判断で行ったように思っている・・・が、実はその考えも判断も特定の方向へ誘導されているものである、ということなのですが。
この誘導を誘導と気付かせないことが、M・Cの力量の評価になるのでしょうね。
めがねさんも人に説明するならどうするか?と考えてみると面白いかもしれませんよ。
その試行錯誤こそ、M・Cにかかりにくい意識を鍛えることに繋がると思いますし、学会の運営方針に新たな発見ができるかもしれません。