真実と幻想と創価学会

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マインドコントロールとは何か より「特定の状況に作用するルール」その5

2013-01-14 21:25:58 | カルト宗教
マインド・コントロールとは何か マインド・コントロールとは何か
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第4章 一時的マインド・コントロールの原理と実際 より

特定の状況に作用するルール――⑤権威性

 人は権威者がいるとき、その人に行動の責任をあずけて、命令に自動的に服従しやすくなる。ミルグラムは、人が権威に盲目的に従ってしまう姿を、非常にセンセーショナルな実験で証明してみせた。その実験では、被験者は二〇歳から五〇歳までのアメリカ人男性二九六人であり、職業では労働者階級の人が四〇パーセントで、ホワイトカラー、セールスマン、ビジネスマンが四〇パーセント、専門職が二〇パーセントであった。つまり、ごくふつうの善良なる市民の代表というわけである。そして、その実験は、エール大学という非常に権威の高い大学の実験室で行われた。実験の表向きの目的は、「記憶に及ぼす罰の効果」というふう説明された。手続きは、二人の被験者がペアを組んで実験に参加し、一人が教師の役割で罰を与える役、そしてもうひとりが生徒の役割で記憶課題をおこなうというものであった。しかし、その生徒の役割というのは、実のところ、実験の共謀者である。よって、役割はくじで決めたのだが、それには細工がほどこされていて、真の被験者は、必ず教師の役割をすることになっていた。
 被験者が実験室に入り、教師の役割の人は問題を出し、もし生徒がまちがえたら、罰として電気ショックを与えることと説明された。電気ショック装置は、一五ボルトから四五〇ボルトまで一五ボルトずつ三〇段階あった。そのレバーには「かすかにショック」から電圧によって「中程度」「強烈」「危険、強烈なショック」という表示もついていた。そして、被験者には、四五ボルトを経験してもらって本物であることを信じこませた上で、生徒を椅子に縛りつけ、電極につなぎ、実験を開始した。そして被験者は、生徒の役割をしているペアの相手が課題にまちがうたびに、電気ショックをあたえるように言われる。しかも一段一段、電気ショックを強くするように求められる。被験者が躊躇した場合には、白衣を着た権威ある専門家とみえる実験者は「迷うことはありません、続けてください」と告げ、それでもなおかつ、被験者が実験の続行を拒んだとき、実験は終了することになっていた。
 さて、被験者は、どこまで、つまり何ボルトまであげたであろうか。電気ショックの威力は非常に強烈であり、強いショックでは相手を死亡させてしまう可能性があった。そのことを被験者は知っていた。もちろん、実際には電気ショックは与えられてはいなかったが、生徒の役割の人が仕組まれた芝居を演じていた。たとえばショックのレベルに応じて、「うっ」とか「痛い」とか「もうやめてくれ」とかというように、迫真の演技をするようになっていた。
 ところでミルグラムは実験に先立ち、精神科医四〇人にこの実験結果を予想させていた。彼らの予測では、被験者の多くは、一五〇ボルトまでにやめるだろうし、一〇〇〇人に一人くらいは、四五〇ボルトまでやるかもしれないと予想したのであった。
 しかし、実験結果は予想外なものであった。驚くべきことに、被験者は予想をはるかに上回るレベルの電気ショック与えた。しかも職業などにはかかわらず、六〇%を超える人が、最後の四五〇ボルトのレバーさえもあげてしまったという。
 実験が終わった被験者は面接を受け、なぜそうしたのかと聞かれると、
「私はあなたに命令されただけだ、私のせいではない」などと答えた。

~中略~

 破壊的カルトの勧誘でもこれを用いる。たとえば、組織のメンバーには有名な大学や大学院の出身者や関係者である人がいると伝える。組織のトップや一部のメンバーは、世界中の著名人と親交が深いことを伝える。あるいは、政界や経済界、学術界の大物、権威ある機関や著名な人物が、自分たちの組織やその活動を高く評価していると吹聴する。まだ何も組織のことを理解していない被勧誘者は、それらの評価に自動的に反応してとりあえず足を向けてみようとする。

この実験はテレビでも紹介されたりする有名な実験なのでご存知の方も多いのではないでしょうか?

電気ショック中に、「私は心臓が弱いんだ」などと生徒役が訴えても背後から白衣の人に命令されると、手を震わせながらでも電圧のレバーを上げてしまった、などというパターンもあったようです。

センセーショナルというか怖い実験ですが、命令に従ってしまう人間の心理というのがよく分かるものだと思います。

この実験のキモは表題にもありますように、単に「命令に従ってしまう」というものではなく、「権威あるものに従ってしまう」ということです。

実際カルト宗教で「寄付をしろ!」などと命令されることは少ないでしょう。

あくまでも信者たちが自分から進んで差し出す、という形が必要なのです。

そして「自ら」という方向に信者を向けるのがこの「権威性」ということです。

権威あるもの、たとえば「ガンジー・キング・イケダ」などというように世界の偉人と肩を並べているのだから、本物の平和の体現者だ!だからセンセーに間違いはない!みたいなことだと思います。

書いてて「ガンジー・キング・イケダ」ってなんとも、こっぱずかしいものですわw

しかしこういった隷属性って、やはり根底に「自己責任」の意識の薄さがあるのかな、と考えてしまいます。

「誰々が言っているから」というように、自分の考えを持てない人たちがカルトにドハマリしているような気がします。


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