働き出して間もない頃、会社の社長に一冊の本を頂きました。私だけでなく新しく入る人には配っている本です。大掃除で久しぶりに開いてみたw
「社会人になって嫌なことや辛いこともあるだろうけれど、これを読んで気楽に頑張れるように」というようなことで渡されたと記憶しています。
その本は「元気をつくる『吉本流』コーチング」(大谷由里子 著)という本です。
かつて吉本興業で故・横山やすしさんや漫才師の宮川大助・花子さんらのマネージャーを勤めた女性が吉本を退職後ベンチャー企業を立ち上げ、その後社長業を後輩に譲りまた吉本の業務委託プロデューサーに戻って「コーチング」というものに出会って書かれた本です。
吉本時代と企業家時代の色々な、主にアクシデントを乗り越えるための発想の転換みたいなものが紹介されています。
まえがきより抜粋。
自分のココロが元気じゃないのに、人の面倒をみたり、マネジメントしたりできるわけなどない。自分を正当化することにばかりエネルギーを使っている人間に、良い仕事も企画もできるはずなんかない。人のせいにばかりしている人が、本当に幸せなれるはずなんてない。わたしもかつては、世の中の悪いことを全て人のせいにばかりしていた。
大切なのは、「まず、自分が自分らしく生きること」。
自分らしく生きているから、ココロが元気になりエネルギーが余ってくるんだ。
自分が幸せだから人の幸せも願うことができるんだ。
という当たり前のことですが、現実に不幸な出来事やアクシデントにぶつかった際、そうそう簡単にこれらの意識を保てないのも事実。
それを「コーチング」という理論によって「ココロの元気」を取り戻そうという、吉本ではマネージャー教育の一環として勉強されているスキルのようです。
創価学会では功徳・福運と称して「幸せしかない」人生を勝ち取るということを掲げていますが(少なくとも私にはそう見える)、果たしてそれが目指すべき幸せな人生なのか?
多くの日本人は特定の宗教に頼らず生きているわけですが、どのように望ましくない状況と対峙し乗り越えたり回避したり、受けた傷を癒していくのか。
その片鱗に触れるということで、こちらの本からご紹介したいと思います。
3章 壁にぶち当たった!どないしょう・・・ より
「20 不幸は必ずやってくる!」
私の人生は、「なんで!」っと思うくらい、しょっちゅう壁にぶち当たっている。
会社をつくって五年目、売上も毎年倍倍ゲームで伸びて、「これから!」と思っていたら、阪神大震災でほとんど売上はゼロになるし、信じていた人にお金を払ってもらえなかったり、仕事をこっそり持っていかれたりもされた。それだけじゃない。情にほだされて、しなくてもいい借金をしたり、自分を見失ってボロボロになったり・・・。
でもそんなときに月亭八方さんに教えてもらった。
「人は、安心を求めるから不安になるんや。人生に安心なんてないと思ったら心が安らぐんや。開き直ったらええんや」。
なるほど。ほんまや。考えたら、不幸になるのも生きてる証拠や。死ぬことを思ったら、不幸があっても生きてるだけ幸せなんや。
そのときから、「生きてるからには、不幸は絶対やってくる」という発想に変わった。何が起こっても、一瞬パニックになっても、「さて、次にどうしょう」という発想ができるようになった。
~中略~
ONE POINT COACHING 状況をありのまま受け入れ、そこからどうするかを考えよう
不幸は必ずやってくる。当たり前。
普通、意識的に考えていなくても、いざ不幸が訪れて「なんで!?」「どうして自分だけ!?」と思うことがあっても、そのようなことがあるのは事実としてどこか当たり前のことに受け入れているのが大半だと思います。
起こってしまったことは仕方がない、とそこからまた新しく歩き出すことができる。これが人間の強さであり、それを繰り返すことで人間としての成長を得ることもできます。
そして成功の階段を登るよりも、失敗から積み上げていくことの方が遥かな高みにいけるということも、誰から学ぶでもなく何故か知っているのです。
ですから誰に言われるでもなく、今ある状況からの展望を考える。・・・というのが無宗教の人の大抵の考え方、ではないかと思います。
そりゃあ誰しも幸せになりたい、不幸には見舞われたくない、と思います。
ですがその為に例えば毎日勤行をすればいいとか、特定の政党を応援したりすればいいとか、そんな突拍子もない超理論には辿り着かないわけです。
幸せも不幸も表裏一体の場面があります。
不幸は必ずやってくる。だからその不幸に負けない心身を養う。或いは自分の力で回避できる技量や知恵を身につける。不幸を幸福にひっくり返せる努力をする。
生き方として健やかなことは、他人から見ても美しいものです。
少なくとも私には、学会員さんたちの生き方に美しさは感じません。個人として良い人はいるでしょうがね。
私自身健やかな生き方を実践できているかは自信がありませんが、そうあろうとする意識は持っていたいと思います。
大事なのはその心掛け、なのではないでしょうか。
今回の記事を読んで座右の銘といいますか、一生を通して身近に置いておこうと思ったこの言葉を思い出しました。
なんかの小説のセリフだったと思うんですけど、何かを始めるときは、必ず上手くいくことばかりではないのだから、最悪の場合の心と現実の準備もしておいて、最善に進める努力をしよう。という言葉なのですが、初めて聞いた時にはじんわりと心が温まった記憶があります。
働き出して間もない頃にそういう良書を勧めてくれる社長に巡り会えるなんて、ちょっと羨ましいです。
私は失敗に失敗を重ねてから、この言葉に出会いましたから。苦笑
若いうちに良書に触れるのは本当に大切ですね。
人間として、いい生き方をされておられるのだろうなぁ・・と思います。
この記事もまた素敵で、とても素晴らしいですね。
大谷由里子さんも月亭八方さんも、そしてその話に共感し自らの気持ちを綴るクロさんも、みなさん同じ人間的ステージにいらっしゃる気がします。
>幸せも不幸も表裏一体の場面があります。
クロさんの仰るとうりだと思います。
幸せは、さもキラキラした姿で『幸せですよ~♪』といういでたちでやって来るとは限りません。
むしろ一見不幸な姿で登場することも多いです。
ボクは倉先生と同世代なので、多分貴ブログの閲覧者の中でこの二人は最高齢なのだろうなぁと思っています。
倉先生は素晴らしい方ですが、ボクはただの飲んだくれオヤジです。w
ただ今までの人生を振り返ると、幸せってそのままの姿で来る時もありましたが、もちろんそれは嬉しいことですが小さな幸せでした。
不幸の姿で来た時、もちろんこの時は幸せ感は皆無で不幸100%なのですが、やがて突拍子もなくいい事に変化したりしました。
予想もしなかった幸せ200%です。♪
なのでボクは今、起こった出来事にレッテルを貼らないようにしています。
素直に受け入れ、良い・悪いの判断をしないのです。
もちろん嫌な出来事は嫌ですし・不幸感も覚えますが、その感情を後に引かないと言いますか・・・・「いやいや、これはきっと幸せの前ぶれ、これで未来はうまくいく!♪」
そんなふうに思い、密かにほくそ笑む。
五日市氏の『ツキを呼ぶ魔法の言葉』にあったように、「ありがとう」と呟いてみる。
自分の人生は自分が王様、自分が主人公です。
自分の人生で起こったことに、主人公の自分がわざわざ『不幸事だ!』って決めつけることないと思うんですよね。
むしろ『幸せの種』って決めたほうが、そうなると思うんです。
いい歳のオヤジが随分と綺麗ごとを言ってるみたいですが、何十年と生きてきた人生を振り返ると、やっぱりそんなふうに思えてなりません。
夜空にきらめく星たちも、ボクたちがそれらを眺めてる時にはもう消滅してるかもしれません。
何億光年も前の光がボクたちの瞳に届いてるわけで、過去を見てるわけですから・・・。
光的速度で言えば、現実に起こったことも、それらは全て過去のこと。
過去に起こった出来事。
ならばそれらを『不幸』と位置づけず、やたらこねくり回さず、ただ真摯に対応すればそれでいい。
カルト団体が叫ぶ「今こそ、この不幸を宿命転換だ!」という言葉を鵜呑みにし、選挙運動や寄付をする必要もない。
むしろ今の現実を『幸運の種』と位置づければ、やがて幸せの芽が顔を出す。
だって人生の主人公がそう位置づければ、そう決めれば、主人公の現実はそうならざるを得ないでしょう!^^
ボクはそんなふうに思います。
素敵なお話のブログ
いつもありがとうございます。m(_ _)m{/hakushu
改めて「アズラ」と名乗らせて頂くことになりましたm(__)m
産まれた時から創価の内側にいた私は、幼い頃から
良いことがあれば「祈ったから」
悪いことがあれば「祈りが足りないから」
と言われ続けてきました。
20年ほど前から疑問を感じ始め、1年ほど前に覚醒しましたが
最初の頃は、ちょっと包丁で手を切っただけで、
創価に背いたからではないか…などと思っていました。
罰が当たったのではないか…と。
ばかげた話なのですが、幼い頃から創価の中で育ってしまい
そういった思考がこびりついていたんです。
徐々にそういった考えも薄れ始め、創価の信仰せずとも
良いことも起きる。悪いことも起きる。
人生山あり谷あり。
そう思えるようになってきました。
私の母を見ていると、何かあれば必死に祈り、眠れず、
体調を壊し、解決しないと、さらに祈り続け…。
全く健やかではありません。
今日はやること放りだして散歩しにいこう!
美味しい物食べよう!今日は寝ちゃおう!
…と思った方が、明らかに健やかだと感じます。
社会人になって、こういったアドバイスを頂ける先輩に
出会えるって素敵ですね。私が就職した会社では
ありませんでした(汗)
私事で恐縮なのですが、覚醒した自分を振り返るブログを
公開致しました。
こちらのサイトをリンクさせて頂きたいのですが
よろしいでしょうか?
これ入会時、結構インパクトがありました。でもそれには30年信心してやっと本物になるとか言われましたよ。
周りにいる30年超えの人たちを見れば・・・絶対的空腹で功徳~功徳~って言ってますけど。
>不幸は必ずやってくる。当たり前。
「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて…」というナイスな教えがあるのに悟れない学会員多すぎ。辛さや不安等から現実逃避するためだけに、新聞・選挙・財務に熱中しているようにしか見えない。永遠の福徳に包まれるならお安い御用、地位も名誉も財産もいらないよーって、人の迷惑顧みず動き回るんですよね。
今、聖教新聞が面白いです。ちょっと長文になりますがご勘弁を。
ビルトイン バイアス スタビライザー プラットフォーム
んーなんかカッコイイ。でも90歳に近い英語の不得意な老人がこんなカタカナを使ったらぶっ飛びますよね。
例えば「極端なバイアスがかかった価値観を思考のプラットフォームにビルトインする宗教は精神的スタビライザーとしての役割を担えない」とかなんとか言ったとしたら、分かる婦人部はどんだけいるのかな?
今週26(月)、27(火)の新聞に「SGIの日 記念提言」が出てました。その中で上記の4つのカタカナが登場するんですが、強い場違い感を持ちます。工学系の人の発言なら全然スルーしますけど。
何が言いたいかって? 虚ろな目をした誰かさんがまさかこれを書いたと信じろとでも? 過去の本幹でもこんなカタカナは聞いたことがないってモンです。
でね、毎年思うのですが、この提言は一体誰に向けて言っていて、誰がいつまでにどの程度進捗させるのか全く分からないんですよ。きれい事を並べただけの言いっ放し。だから「提言」なんだと言われればそうなんですが。
くやしいので本文からこれまで何がなされたのか、いくつか拾ってみました。
「…提唱してきた、…友情の絆を幾重にも広げてきた、…『人道の連帯』を広げる挑戦を重ねてきた、…『エンパワーメントの連鎖』を信仰を通して広げてきた、…提案を行いたい、…UNHCRの活動支援に取り組んだ(しかし難民問題は一段と深刻化した)、…核兵器廃絶の道を探る討議を行った…」
で、なにか成果はあったのかい?って話なんですけどね。
更に、文中に引用された主な人物は・・・
戸田会長、牧口会長、マーチン・ルーサー・キング博士、釈尊、マハトマ・ガンジー、中村元博士、エリース・ボールディング博士、マーサ・ヌスバウム博士、エリク・エリクソン、マンデラ元大統領、ワヒド元大統領、アーノルド・J・トインビー博士、ハベル元大統領、ダグ・ハマーショルド第2代事務総長、ジャック・マリタン、ハンナ・アレント、ウォレ・ショインカ、ワンガリ・マータイ博士、ジョセフ・ロートブラット博士、周総理、吉野作造・・・こんなに大勢の弁を借りないと語れない提言って、もしかして凄いのかも知れない?
ワシの出番はいつなのじゃ? by 日蓮
で、引用経は・・・
「原始仏典」「維摩経」・・・と来たモンだ。 ♪ホーホケキョ
一方、29(木)、30(金)の新聞では会則の教義条項改正に関する解説が出ているではありませんか。発表から3ヶ月近くも経ってるのに今更。
去年の会則改正では呆れると同時に腹が立ったものですが、昨日、今日の内容は読むほどに笑いがこみ上げてきて、教学部がこれほど面白いことを真面目な顔で言えるなら、久本を指導してやって欲しいくらいです。
ワタシ的にウケたところ。
・「教義の変更ではなく、教義の解釈の変更」・・・とか言っちゃってます。憲法と集団的自衛権のデジャブ?
・「『本門の本尊』としては『弘安2年の御本尊』も含まれるが、それのみが『本門の本尊』だとするものではない」・・・反発が大きかったんでしょうね。御本尊は全て「本門の本尊」として大御本尊を同列に据え直した。
・「日寛上人の教学を見直していくという立場をとったとしても『日寛上人書写の御本尊』を受持することには何の問題もない」・・・教学を見直すって、教義の変更じゃん。学会本部の無節操さは大問題でしょうが。
・「なぜ『日寛上人書写の御本尊』を受持しながら、『弘安2年の御本尊』を受持しないかといえば、『日寛上人書写の御本尊』も『弘安2年の御本尊』も等しく『本門の本尊』であるが、『弘安2年の御本尊』は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としない」・・・そんなのほっとけよ。学会本部の都合でしょ。名画が泥棒に盗まれたけどレプリカも等しく名画だよ、悪い環境では本物の素晴らしさが失われているので思いを馳せることは認めません、って聞こえる。
・「創価学会は、受持の対象としての御本尊を認定する権能を有する」・・・そりゃそうでしょ、今から新興宗教を始めるのなら。でも破門時にこう言ったんだよね、 「教義は変わってない、宗門が逸脱したのだ」お忘れか?
(破門時)日蓮正宗の教義はAである。宗門はA’だから間違い。学会こそがAを実践している。
(今)A’が間違いなのに加えてAも解釈を変更する必要が生じた。学会はA’’ で行く。何か文句あっか?
「いや、それBだろ」by 外野
一度解散してからやってください。思考力の一部を奪われた大勢の人たちを自動的に巻き込むのは卑怯です。
他にも色々笑えるので皆さん是非読んでみて下さいねー。
このへんは夕方くらいからうっすらと雪化粧。
2月ですものね。
これからが寒さも本番。
クロさんも皆さまもどうぞお風邪を召されませんように。
折伏の時なんかには
「創価学会は新興宗教ではないのよ!日蓮大聖人の正統な血脈のドウタラコウタラダカラコレシカナイ!」とか自信満々で言ってましたけど、
河童さんのコメント読んだりしますと、
堂々の新興カルト宣言!!・・・てなかんじですね。
ところで、
某一般紙で池田センセーの新連載が始まるとか?
噂なのでなんともいえませんけど。
いろいろとやらかし続けて部数激減の某紙と
センセーの健在をアピールしたい創価の利害の一致だとか。
一部地域では、この某紙購読の大号令が発せられたとか。
「広宣流布の大きな前進だ!」
とかなんとか興奮してとんちんかんな事言ってる幹部のアホな姿を想像してしまいます。
ただの噂だとしても、創価学会なんて世間からいじられ放題の笑い物素材でしかないのがよく分かる噂ですよね。
個人的には、
是非ともこの茶番を実現していただき、ギリギリのところで辛抱している学会員さんの堪忍袋の緒がキレて創価から離れていきますように・・・
と期待しています。
不幸は必ずやってくる、というので、てっきり高橋ジョージと三船ネタかと勘違いして舞い戻ってきました(笑)。
いぜんバンドのメンバーが言っていたんです。「確かにトニーに書く歌詞はいい。でも単に技術があるだけではダメなんだ。音には人間性が必ず反映される。たとえどんなに技術があっても、人間性が乏しければ本当の意味で人を感動させられる音楽は出来ないんだ」。・・・高橋ジョージを引用して(笑)。
今の一連の報道を見聞きした彼らが一体何を感じ、どう語るのか。もう連絡すらつかない、かつての仲間たちを想う今日この頃です。
悲観するのとは違い、現実的な対処に努めようという前向きな言葉だと思います。
楽観的に生きるのが長生きの秘訣だそうですが、こうして最悪の場合の心構えがあってこそ、真に楽観的にもなれるのではと思います。
無謀なのと楽観的なのとは違いますからね。
昨今は我慢のできないというか、ちょっとしたことですぐに仕事を辞めていく若者も多いようで、社長も色々苦心されているようですw
バイトじゃないのに1週間で辞めちゃった新入社員の男の子とかほんとにいて、びっくりします。
別にうち、ブラックでも何でもない・・・というかユルイ系の職場だと思うんですけどね。
それ以上にユルイ環境で育ってきている人が多いんだろうなぁと思います。
ある意味、平和なことですw
ありがとうございます。
このブログを始めて間もなく、実家を出て暮らし始めました。
実家にいた頃の方が時間の余裕や貯金できる額も多かったですが、心身ともに環境に於いては比べ物にならない快適さを満喫しております。
酒臭くもタバコ臭くない空気、酔っ払いの諍い声の聞こえない静寂、平穏な空間。
ふとした瞬間に「ここは天国か」とすら思うくらいですw
>不幸の姿で来た時、もちろんこの時は幸せ感は皆無で不幸100%なのですが、やがて突拍子もなくいい事に変化したりしました。
「人間万事、塞翁が馬」という言葉もあるくらいですからね。
この故事にあるが如く、遥か昔から人の営みの中で自然と根付いていた考え方なのだと思います。
だから特別なことではなく、日常生活の中で自然に体感しているようなことなんだと思います。
けれど学会をはじめとするカルト宗教は、この当たり前に学ぶはずの感性を歪め、閉ざしてしまう。
そして自分たちの教え、教義だけが正しくて、それでなければ救われないと、全く別の不自然な感性でもって上書きしていく。
その感性に染まってしまうことこそ、MCに侵されるということなのでしょう。
kanさんこそ、いつもステキなコメントをありがとうございます。
今の現実に起こることが全て『幸せの種』。
kanさんの名言がまた一つ増えましたね。とても考え方だと思います。
また、相互リンクして頂きありがとうございます。
ブログを全て拝見しましたが、まだ覚醒して間もないのに、とてもしっかりとした意思を持っておられるんですね。
疑問を抱き始めてから20年ということですが、ずっと納得できないまま来られてしまったのだと思います。
それは盲信でいるよりずっと辛いことです。
ハッキリと覚醒した今、これからはずっと自分の人生は自分のものだということなのですから、ゆっくりと縛っていた心を緩めて労わって下さいね。
私が今回の記事を書こうと思ったのは、たまたま社長に貰った本を見つけたというのもあるのですが、まさにアズラさんがちょっとした悪いことを創価から離れたからだと思ってしまったように、同様に考える元バリ活さんが多いのではと思ってのことでした。
普通に生きていて、恵まれている人生を送っているように見える人も、そうでない人も、必ず不幸は訪れるのだということ。
そしてその不幸に対して、特定の宗教を持たない人はどう考えているのかということ。
創価はまるで不幸の「特効薬」でも独占販売しているような宣伝ですが、そもそも特効薬が必要のないものであるとすれば、誰が大金と労働力を払ってまで手に入れたがるでしょう。
ましてやその「特効薬」は良くてプラシーボ(偽薬)、悪くて麻薬です。
人生に起こる様々なことを、当たり前に起き得ることとして受け止め、その時できることをし、自分が心地よくあるためにささやかな心がけを保ち続けること。
それだけできっと、より健やかな生き方ができるのではと思います。
言うは易し、ですが、その意識があるかないかで全然違うものだと思いますしね。
私もまだまだ未熟で狼狽えることも多いですが、それも今の自分に必要なことと思いのんびりと構えて歩いていきたいと思います。
そうそう、現実逃避なんですよね。学会の活動って。
現実の対処をしない&できないから、現実の改善が見込めなくて空腹も満たされず。
しかし飢餓感こそ活動へ駆り立てる原動力ですから、満たされては困る学会のやり口としては正解と言えるわけで。
聖教新聞、確かに面白いことになっているようですね。
スタビライザーとはww
それにしても著名人の引用が多いのは知っていましたが、こうして羅列されると口も開いてしまいますわw
むしろこれだけの人数の言を熟知しているということの自慢ですか?
宗祖については勉強が足りないということなんでしょうかw
そして会則の変更、ようやく軸足を変えるのかと思いきや、またブレるのですね。それが学会らしさと言えばそうなんですけど・・・。
いわゆる「骨抜き」にしているようなのですが、これは会員からの反発故なのか、それとも上層部での対立的な何かなのか。
会則の変更で脱会者が急増・・・とは思えません。そもそもバリ活さんほど、変更されたことも関知していない様子。
幽霊会員の脱会のきっかけ作りになったところで、学会のダメージにもならないことでしょう。
会則の変更で不利益を被る「何か」があったのか。
脱会で言うならば、学会から離れてもらっては困る重要人物とかからの反発があったとか・・・?
一体この一連の流れは、誰が考えて先導しているのでしょうね。
よもや名誉会長とも思えないのですが。
責任を取りたくない人たちの集まりですから、誰(たち)の仕業なのか明らかにはならないのでしょうけれどね・・・。
それもまた、学会らしさということで。