『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

スイス旅行:サンモリッツ⇒ディアボレッツァ展望台

2015年10月16日 | Weblog

10月14日~21日まで8日間のスイス旅行へ出かけてきました。
向こうで書き溜めていたブログの原稿をアップします。

2日目。(現地10月15日)
今日はスイスの4大名峰の一つ、ベルニナ山が見えるディアボレッツァ展望台まで
予想通り明け方に雪が止み、サンモリッツは晴れ間が見える天気。
ホテルの前から、乗り合いバスに乗ってサンモリッツ駅まで行き、
そこから電車で、ディアボレッツァ展望台の麓にある駅まで移動。
晴天の中、車中から見える景色は完全に冬の景色。

麓の駅ベルニナディアボレッツァから、ディアボレッツァ展望台まで
ロープウェイに乗り換えて、登って行く途中から雪が降り出して、
雪雲に視界が遮られて、進行方向が殆ど見えない状態でした。

それでも、展望台に着くと雪は止んで、風が吹いているだけ。


気温は氷点下3度なので、その風が冷たくて痛いほどでした。
寒いので、早めにサンモリッツへ戻ろうと言うことになりましたが
肝心のロープウェイが、間引き運転になって予定していた電車には
間に合わず、添乗員の方も苦労していました。

でも、今回のツアーは僕を含めて山好きが沢山居たので、
雪山が観ることが出来たことで、多少の予定偏向は気にならない人ばかり・・・・
むしろ『こんな雪山、なかなか観れないよね・・・』って、
2900mもある展望台に、普段着で来ることが出来ることに感動してました。
写真はスライドショウでご覧あれ!

スイス旅行2日目(ディアボレッツァ展望台)

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スイス旅行記:その1

2015年10月15日 | Weblog

10月14日~21日まで8日間のスイス旅行へ出かけてきました。
向こうで書き溜めていたブログの原稿をアップします。

今回のスイス旅行は、定年前の休暇を利用して、去年行ったスイスの
紅葉シーズンを見てみたいと、時期的にはぎりぎりのスケジュールで予約しました。

出発は10月14日の午前10時30分のフライト予定で、8時半に成田集合。
余裕を持って、5時に秘密基地を出発して、7時40分には到着したのですが、
なんとスイス航空の都合で3時間遅れのフライトになると告げられ、
成田で4時間も待つ羽目になりました。
初日から、とんだハプニングでしたが仕方がありません。

そんなわけでチューリッヒに到着したのが現地時間の18時過ぎ。
そこからバスを使って2時間半、宿泊地のサンモリッツに到着したのは9時過ぎでした。
途中から雪が降り出して、サンモリッツに着く頃には本降りに変わり、
途中で動けなくなるんじゃないかと思うほどの積雪になりました。
それでも、さすがは現地のプロドライバー。
チェーン無しで、無事にホテルまで到着しました。

空を見ると、明日の朝には雪が止みそうな気がします。
明日はスイスの4大名峰の一つ、ベルニナ山が見えるディアボレッツァ展望台へ行く予定です。

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さて、リフレッシュ♪

2015年10月13日 | Weblog

明日の早朝からスイス旅行です。 
旅仕度もおわり、いよいよ出かけるだけになりました。 
朝5時に家を出て、東京駅からリムジンバスで成田まで。 
八時半の集合時間の、1時間前に到着予定。 
今回は財布などを無くさないように気をつけないとね。 
雪の降る可能性が高いけど、またそれも旅の楽しいところ。 
楽しんで、リフレッシュしてきます。

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旅の支度

2015年10月12日 | Weblog

昨日から、何処か開放感みたいなものを感じている。
退職の日まで、時間が来るのを待っているだけ・・・・

居るだけで精神的にイライラするだけの場所に行かなくてもいい。
何も仕事が無くて、一日を過ごさなくてはいけない生活と言うのは
体の具合が良くなってからの、入院生活と同じようだった。
いや、むしろ病院の方が精神的には楽だったかな?

でも昨日から休みに入って、これからの事を考えるのが楽しい。
少なくとも1月までは、何にもしなくても給料は貰える。
やりたかった事をじっくり出来る。
現にこの2日間は、旅行の支度をしないといけないのにギターを弾いて
怪我した左手の小指のリハビリみたいなことをしてる。

こんなに会社のデスクに居ることがストレスになっていたのかな?
なんて思うほど、朝は同じ時間に目が覚めても、頭の重い感じがない。
同じようにボケーっとしていても、時間を捨てている気がしない。

そんなことをやりながら、明後日から出かける旅行の準備。
雨が降らず天気さえ良ければ、空気が冷たい分眺望も良いはずです。
紅葉時期の山歩きは、時期が限られているからこそ、出かけたくなるのです。
折りしも、旅行会社のJTBから電話があって、スイスの気温は5℃±5℃だという。
つまり氷点下から気温10℃、日本の1月くらいの気温らしい。

そんなことは予想済みなので、今回は完璧な冬装備。
上着は小さく折りたためるダウンジャケットを2着。
下着はユニクロのヒートテック7枚、フリースを5枚、
ネルシャツと下に着込む綿のハイネックシャツを3枚ずつ。
ズボンはコーデュロイに、ジーンズ。それにヒートテックのタイツを7枚。
山歩きするのは3日間だから、靴下は厚手のソックス3足に、普通のソックス4足。
上下の雨合羽に、ちょっとしたレインジャケット。

意外とこれだけでスーツケースが一杯になった。
そのほかは小さめのリュックに入れて、持って行く。
問題は東京を出るときの服装。まだ冬支度では暑いですからね・・・・。

でも、旅行なんて着替え以外に持って行く物は殆どないですね。
強いて言えば、昔無かったものはタブレット端末と充電器くらいでしょうか?
これだって、持って行かなければならないものじゃない。

あとは、歯ブラシ、機内用スリッパ、枕、パスポート、札入れ、クレジットカード、
旅行会社から渡された日程表と、タブレット端末。
今度こそ、財布を忘れないように、首からパスポートと一緒にぶら提げて持って行く。
これらは小さなリュックに入れて、手荷物として機内に持ち込む予定。

考えてみれば、昔は都会から離れるために旅行へ行き、山へ登った。
それが今ではこういった情報端末があるお陰で、日常生活から完全に離れられない。
それでも去年、パソコンを持参した事を考えれば、随分とコンパクトになりました(笑) 

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大人気ない自分が嫌・・・・

2015年10月11日 | Weblog

昨日から2週間の休暇。
当初の予定では、このまま定年退職日まで休みだったのだけれど、
8月に8日間の入院をして、休暇を使った分が計算外になって、
その分だけ今月末に4日ほど出社することになった。
まぁ、そのお陰で社長と飲みに行ったり、若い奴らに飯を食わせたり
『就業時間後』にやることが増えて、暇じゃないんだけど・・・・(笑)

休暇前に、また例のごとく嫌なことがあったけど、今回は黙っていなかった。
実は、定年退職日の誕生日は出勤日なのかと言う疑問があった。
それで総務や人事に問い合わせしていたのだけれど、決まって答えは
『誕生日が定年退職日』と、質問に全く答えていない。(笑)

満60歳になったら退職・・・・というなら、誕生日の前の日までが在籍日で、
誕生日は出勤の義務はないのかと思っていた。
実際にそういう会社もありますからね。

そんな事があった翌日の朝、出社して『勤務表』という手書きの休暇届をG長に提出した。
今はWEB勤務表なる、パソコンで入力する電子式の書類が正式のものなのだけれど
やっぱり手書きの物の方がわかりやすいので、未だに重複して使っている。

9月上旬に、定年前の休暇の取得予定に関して、本社の人事部から問い合わせがあって
その時に、そのWEB勤務表と、会社全体に公表している個人のスケジュール表に
全部記載して、G長経由で提出してあった。
手書きの勤務表は、日付が前後して混乱しないように、休みの都度提出していた。
そして2週間の休暇申請。

そうしたらG長からこんな『メール』が来た。

> 昨日、退職日の話がでましたが、定年退職日は60才誕生日ということでした。
> 何名か勘違いされていたので、念のため。
> また、直前に長期休暇の申請なきよう、社会人としてのモラルを守るようお願い
します。

だとさ・・・・しかも『メール』で・・・・
僕はカチンと来てこんな返事を出した。

>直前では無く、9月8日に本社へ連絡するために、
>貴方は私に予定を聞きましたよね?
>その際に、WEB勤務表および、デスクネットのスケジュール表に
>全て記入し、キチンと事前に連絡し提出してありました。
>直前に長期休暇の申請をした、と勘違いされて居るのは貴方です。

>G長を名乗るなら管理職としての仕事も勉強して、
>キチンと『部下』に気配りして運営してくださいね。

>今まで我慢してきましたが、私に対する陰険な
>ハラスメント(厚労省のHPで勉強してくださいね)を延々と続けてきた貴方に、
>『社会人としてのモラル云々』を言われる筋合いは有りません。

>ついでに、余計なことかもしれませんが、若い連中にもそう云う目で見られていて、
>貴方の人間性が疑われている事をお伝えしておきます。
>貴方が私にして来たハラスメントについては、社長、専務、本社の常務もご存知です。

なんと大人気ないですね・・・・・つい、カッとなって・・・・

しかしその後、またG長から『メール』。
>直前云々の件は、昨日も話た通り私は何時休むか認識してます。 
>既に、勤務表へは押印してあります。
>安心して休んでください。
だとさ・・・・
また火に油を注ぐような『メール』。
僕も阿呆だからまた『メール』で返信した。

>G長殿
>だったら
>『また、直前に長期休暇の申請なきよう、社会人としてのモラルを守るようお願いします。』
>何故?あんな事を書いたのでしょうねぇ?
>紙の勤務表は時系列で書くため、日付が前後すると混乱するので、
>予定にしたがって、直前まで出さなかっただけです。
>こう云った事は、全て私に対するハラスメントなのですよ。
>何か、貴方に恨まれる事したのか?と考えても、思い当たるフシが有りません。
>今後やる仕事の為にも、出来たら退職前に聞かせて欲しいですね。

なんて、嫌味なメールを書いてしまった。
しかも『メール』で・・・・・
頭にくると、そういった事をしてしまう、自分が凄く嫌です。

昨日は夕方から、心に残る『慰労会』があったから救われた。
あのまま、嫌な気分で帰宅したら、休日も引きずってしまったでしょう。

相手の顔を見ない『メール』でしか連絡をしてこないG長。
このまま、彼との関係は終わるんだろうなぁ・・・・

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『支えてくれた仲間』と『そうでない人たち』

2015年10月10日 | Weblog
昨日は気の通じ合った仲間に『慰労会』を開いてもらった。
帰宅してから7年前の10月に元の部署を出る決断をした直前も
恩師である御大と二人だけで飲みに行ったり、
同じような濃い仲間に『激励会』を開いてもらった時の事を思い出した。

御大とは7年前の8月に、腹を割って話をした。
2008年8月29日に『Dear my Friend』という題で書いた日記が残っている。
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/dbeb8fbe9caa125eda047139d4a2c258
そして異動の2日前の9月29日には御大からメッセージも頂き、
『贈る言葉』という題で書いた日記も残っている。 
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/9b0b371a3cac3e68337b6f12708a7a6c
振り返ってみれば、僕はちっとも成長していない。
相変わらず、周りの仲間に支えられて何とかやってきたと言う感じ。

でも、そういった事があるたびに、いつも思うのは僕には
『支えてくれた仲間』と『そうでない人たち』が居たと言うこと。
僕は個性が強いのかもしれない。いや、間違いなく個性が強いのでしょう。
御大との話が書かれた『Dear my Friend』を読み反してみて、
やっぱり自分で気がつかないところで、誰かを傷つけていたのかなって・・・

僕には『人に嫌な思いをさせる』という駒がない。
それでも、気がつかないところで嫌な思いをさせて来たのかなって・・・・
そんなことを考えたりする。

昨日の仲間は間違いなく、僕を『支えてくれた仲間』。
その仲間にさえも、どこかで嫌な思いをさせて来てしまった気がする。
ただ、それでも仲間は僕を支え続けてくれてきた。

多分『そうでない人たち』、つまり僕を良く思っていない人は、
同じように、どこかで勘に障ることを僕がしてしまったのかも知れない。
それで、ずっと僕を許せずに来たのかも知れないなぁ・・・・。

2年半の間、嫌な思いをさせられてきたのはそのせいなのかも?
実はこの2年半の間、何も仕事を与えてくれない時間を過ごしながら、
そんな事を考えていて、気がついたら不眠症になってしまい、
精神科に通って、カウンセリングを受けるようになってしまった。

『支えてくれた仲間』と『そうでない人たち』
『支えてくれた仲間』は、多分この先も繋がって行くのでしょう。
『そうでない人たち』は、もう既に僕の頭の中から消え始めている。
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『Team 1000kV』

2015年10月09日 | Weblog

昨日の晩は、本社の弟子が社内で千キロと呼ばれる超高圧電子顕微鏡の関係者に
声をかけて慰労会を開いてくれた。
千キロとは1000KV、100万Vのこと。1M(メガ)Vと呼ばないところは我社のこだわりなのか?
昔からこう呼ばれてきた、会社のステータスシンボルのような装置です。

予想はしていたが、この夜に集まってくれた仲間は、
僕に負けない強い個性を持った、濃い連中ばかり。

本社で活躍する僕の愛弟子M、
弟子の同期で僕が可愛がっていた、サッカー仲間でもある製造の若手A、
プロト機、北大機の納入で一緒だった、僕が顧問をしていたスノボ部に所属する組み立てのK、
今はサービス部門の責任者で、濃さでは3本の指に入る男KB、
怪力でスポーツマンの組み立てのH。
今や超高圧電子顕微鏡の責任者となって、こういった個性派を仕切る役目をしているが、
北大機を納入したときには、まだ学生で、北大機を使った研究で卒論を書いた、O。
そして会社人生の中で、一番やり合って、僕に顧客のことを考えろと教えられた、盟友T。
社内調整中から一触即発で、他のメンバーが二人の傍に近寄れない雰囲気だったうえに、
北大の納入現場でも、一歩も譲らず僕に喧嘩腰で難題を投げかけて来たけれど、
最後はその装置を駆使して見事に性能を出し、世界の学者を驚かせたN。
その後、東北大のモノクロ顕微鏡の納入では、6ヶ月間に渡って片腕となってくれた、
先生との折衝も上手くやってくれて、仕事に集中させてくれた、一番頼りになった盟友です。
そして、忘れてはいけない御大のOさん。
この人が居なければ、今の僕はない。いろいろな意味で手本になった恩師です。

この仲間は社内で片手の中に入るような、本当に個性が強い連中ばかり。
声をかけた弟子が『今日のメンバーは濃い人ばかりで凄いなぁ』
なんて、皆が集まる前に弟子と同期のAが話していた。

慰労会が始まり、お約束事のように、まずTとNが僕を弄る。
この日は黄色いチノパンに、黄色ベースのストライブのシャツで出かけた僕を見て、
T:『いやぁ、黄色が似合うなぁ・・・・会社でこの格好できるのはYさんだけだなぁ』
それに間髪を入れず、Nがフォローする。
N:『これだけ黄色が合うのは、Yさんくらい。あとはおでんに付いたカラシだけだな・・・』
これを聞いて若い二人は大笑い。
こういったやり取りが、テンポよくでるのでとても付いて来れないという。

このメンバーには本当に世話になっている。
僕は20年以上誰も手をつけなかった、新しい電源を作りあげたと言う事は間違いないが、
いわば『やりっぱなし』。
それを弟子が引き継ぎ、今では安定した信頼できる装置に進化させた。
その『やりっぱなし』を辛抱しながら、装置として作り上げてきてくれたTやNが居たから、
客先に滞りなく、装置を納めることができたのです。
それを取りまとめて、ある時は時間稼ぎをしてくれたのが御大だった。

この仲間は、そういった製造、サービス、電気・機械設計、物理設計の人間が
一体になって作ったチームワークの賜物と言って良い装置だった。
だからこそ、この仕事で育まれた人間関係は、強い絆でつながっている。
事あるごとに喧嘩もしたし、お互いに助け合ったりもした。
飲みながら、納入に至るまでの失敗や、苦しかったことを笑い話に出来る・・・・いい仲間です。

一通り飲み食いしたあとに、皆から一言ずつ言葉を貰った。
Tは、僕が何も知らない弟子を育てるために製造へ預けたいと申し出たときに
周りの反対を押し切って、弟子を引き受けてくれた男。
弟子は『その判断のお陰で今の自分がある』・・・・と言ってくれた。
ありがとう。

そのTが、『誰もやらなかった事をやって、何かを変えようとする努力や苦労が有ったから、
今は当たり前になって居る、仕事のやり方に変わった』・・・・と言ってくれた。
ありがとう。

Nは北大の納入に始まり、東大機の再生作業、そして前出のモノクロ顕微鏡と、
僕と関わった仕事が本当に多かった。
そんなNが、『喧嘩しながら一緒に仕事をやって、色んな事を覚える事が出来た』と言う。
ありがとう。

そして御大。
会社をスパッと辞めて次のことにチャレンジするのが、僕らしいと・・・・
そして
『この数年は苦しかっただろうけれど、演劇や音楽、サッカーなど、
仕事以外のところで活き活きしている君を「定年後の生き方」の見本、憧れとして、
ここにいるメンバー全員が期待して見守っている』
と話してくれた。

御大の言葉を聞いて、僕は涙が溢れてしまった。
人前、特に会社の人間の前では、絶対に涙を見せない・・・・
ってずっと貫いてきたけど、今日ばかりは無理だった。
最後の僕の挨拶も、声に詰まってしまいなかなか話せなかった。

そして弟子から『Team 1000kV』と書かれた万年筆を贈呈された。



言い合いながら、喧嘩をしながら、それが出来て同じ方向へ向おうとしてきた仲間。
こんな仲間に囲まれた会社人生を送れた僕は、誰よりも幸せなのかも知れない。
記念品の万年筆は宝物になるだろうけれど、それよりこの仲間の方が宝物だ。

ありがとうございました。

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無礼な奴

2015年10月08日 | Weblog

もう、定年退職間近だと言うのに、また嫌な事があって、どうにもやるせない。
今日はグループ内の打ち合わせ。
例によって、僕には全く関係のない打ち合わせだけど、取り敢えず席に着く。
その打ち合わせの最後にG長がこんな事を言い出した。
『Yさんは、もう定年退職ですがいつからお休みに入られますか?』

えっ?・・・・・・
なんで、こう云う場所でそう云う事訊くの?
事前に、それも9月上旬に今後の休暇取得予定を連絡して有るのに・・・・
まぁ、それでもグッと我慢して今月一杯で休暇に入る事、
来週から2週間、海外旅行で休む事を話した。
ま、良いけどね・・・・
こんな事は、G長が皆に連絡するのが筋だと思うけど。

しかもその後に
『送別会でもやりますか?』等と、皆の前で訊いてくる。
そんなもの『はい、お願いします』なんて言える訳ないでしょう?
仕方が無く『お任せします』と答えたけど、その時の僕は怒りで爆発しそうだった。

そして『じゃぁ◎○君、計画して・・・』と弟子に振った。
弟子は僕の顔を見ながら、呆れてものが言えないと言った顔を見せる。

席に戻ると、弟子から空いている日の打診があった。
でも、僕は『辞退します』と言った。

2年半もの間、僕を無視し、厄介者扱いして追い出そうと企てていた連中に
『送別会』を開いて貰うほど、僕はお人好しでは無いからね。
弟子には『お前と飯でも食いに行こう』と言って、その件はおしまい。

僕の思考回路には無い事が起きて、今日は精神的に凄いストレス。
こんな人の心を考えない人間が、組織を仕切っているんだから、やりきれない。

それに『送別会』なんて、他の連中は一切言わない。
これからの人生に対しての『激励会』だったり、
今までの仕事に対して、皆で開いてくれる『慰労会』だったり・・・

こう云う事をやってくれる人間は、かなり前から僕の予定を聞いて
出席者に日程調整をして貰ったりして、開いてくれた。
そう云う気持ちには、本当に頭が下がります。

弟子にメールでこう書きました。
『あの男は、あれが無礼だなんて思っていないよ。
礼儀というものを知らないのだよ。
人間の資質だな・・・・』

こんな事を書く、自分も嫌になる。
あと5日、心ある人間達に『激励』や『慰労』をして貰って、
やっと時間を捨てているような生活から解放される。

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ミニ慰労会・・・・『大佐』と『大統領』のその後

2015年10月07日 | Weblog

今日は7月からずっと延期になっていた『大統領&大佐』による、サシの飲酒。
7月に本社で「定年セミナー」を終えての帰宅時に、バッタリと出食わし、
『おぉ、今から飲みに行くか?』と言いながら、お金を下ろしに行った時に
歯医者の予約をしている事を思い出し、その日は中止となった。

その後、再び約束したら今度は僕が入院してしまい、再度延期。
退院後、先月の中旬に大統領率いる『秘密部隊』の飲み会で一緒に飲んだけれど、
やっぱり二人きりのサシで酒を酌み交わす時にしか出来ない話もある。

そんな訳で、定年前の休みに入ってしまうと、また延期になってしまうので
今日は僕の方から『今日はどうだ?』ってメールをして決まった飲酒でした。

『大統領』ことKとは、会社の中で実に深い関わりがある。
この辺りの話は、9月19日から3日間に渡って書いてあるので、省略します。
『大佐』と『大統領』の話(その1) 
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/a7d1df16d998913d3709def625fd5923
『大佐』と『大統領』の話(その2)
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/691aa49779297b8967811e6480b8446a
『大佐』と『大統領』の話(最終回)
http://blog.goo.ne.jp/ug_d35_sky-gray/e/d5f8efb3d50be61803aa34a8b1fdbac4

僕の会社人生で7割くらいの仕事は、Kとの関わりがある仕事だったように思う。
これは僕だけでなく、Kも同じように感じていたらしい。
お互いに、自分の技術を磨く時期が有り、その後は後継者を育てる事を考えて、
それぞれのやり方で、若手を『弟子』として育ててきた。
幸いな事に、その『弟子』たちは個々に勉強し、判らない事を聞きに来たり
アドバイスを求めたりして、僕とKの『弟子』は順調に、実際には勝手に育ってくれた。

僕が実用化した超高圧電源は、Kがしっかり基礎実験をやっていたから出来た。
Kから受け取った、膨大な計算式を初めとする設計検討資料や実験試料に目を通し、
僕は再検証と言う意味で、自分なりに再計算、再検討をしているうちに、
Kの思い入れが、伝わって来たのを覚えている。

『この仕事、本当はK自身がやりたかったに違いない』と思い、
絶対に成功させるんだという気持ちにもなった。
先輩たちのやって来た事に対する、リスペクトも僕とKは忘れなかった。
そう云う意味で、同じマインドを持ち合わせた『ライバル』だった気がする。
僕はKに対し、Kは僕に対して『あんたが居たから、ここまで来れた』と
お互いにリスペクトし合って、ここまで来たなぁって思う。

仕事を奪われ、気に入らないからと言って部署を飛び出た僕に対し、
じっと我慢して、次のチャンスを伺うK。
Kは本当に寡黙でがまん強く、多弁ですぐに切れる僕とは正反対の人間。
まさに凸凹コンビだった気がします。

今日は仕事の話より、お互いに好きな車の話で盛り上がったかな?
定年後は、またKと一緒に仕事が出来るチャンスが有ったら・・・・なんて思う。

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師弟が2代に渡ってノーベル賞

2015年10月06日 | Weblog

ノーベル賞:梶田さん、兄貴分の無念晴らす
http://mainichi.jp/feature/news/20151007k0000m040106000c.html
師弟でノーベル賞とは、レベルが高すぎて凄いとしか言いようが無い。

1987年、小柴昌俊氏が設計を指導・監督し、岐阜県飛騨市の地下1000メートルに
「カミオカンデ」と呼ばれる観測施設を設け、史上初めて自然に発生した
ニュートリノの観測に成功した。
この事により2002年に小柴昌俊氏はノーベル物理学賞を受賞した。

2008年に他界した故戸塚洋二・東京大特別栄誉教授が、
「カミオカンデ」の規模を大きくした「スーパーカミオカンデ」で、
ニュートリノに質量がある証拠になる現象を世界で初めて捉え、
物質を構成する素粒子の一つ「ニュートリノ」に質量があることを示す
「ニュートリノ振動」発見し、梶田隆章氏はその実験のまとめ役として活躍した。
言わば後輩が先輩の研究を引き継いで来た形。

「ニュートリノ」と言えば『カミオカンデ』。
その『スーパーカミオカンデ』を使って研究をしていたのが故戸塚氏であり、
その後継者が梶田氏だと言うから、まさに師弟が2代に渡ってノーベル賞を受賞した事になる。
弟子がノーベル賞受賞と言う栄誉に輝いて、小柴先生も感慨深いだろうなぁ・・・・

僕にも『弟子』と呼ぶ後輩がいるが、何よりも嬉しいのは、
その連中が自分の仕事を引き継ぎ、更に進化させている事。
小柴氏が先駆者で、梶田氏がその後継者と言うのと同じように、
後を引き継いだものは、先駆者を越える事が、恩返しの気がする。

人を育てると言う事は、自分の子供を育てるのと同じだと思っている。
、子供の為には自分の持っている知識や、経験を惜しみなく注げるもの。
そしていざという時には身を呈してでも守ってやるという覚悟が居る。
だからこそ、時には厳しくする事もあるのだが、それは愛情から来るもの。

後継者を育てるのも一緒で、それと同じような覚悟と愛情が居る。
いくら育てようと思っても、そう云った気持ちが伝わらない相手は育たない。
だから梶田氏も、受賞の報告を真っ先に小柴氏にしたそうだ。
師弟関係と言うのは、そんな風に気持ちも通じ合っている気がする。
ノーベル賞だけに、小柴氏にすれば喜びも格別なんじゃないだろうか?

しかし、日本の物理学者も凄いですね。
僕の仕事は、その物理の世界を支える装置を作る事だった。
世界一の性能を目指すのも、こう云った研究の一翼を担うから・・・・
そう思って、やって来たのだけれどね。

そんなマインドも持ち合わせていないで、何となく装置を作って居る、
設計者たちを見ていると、何とも言えない気持ちになる。
同時に、本社に居た頃に少しでも性能を上げるために、必死になって
実験や装置の開発をしていた、自分たちの事を誇らしく感じる。

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英語の公用化?・・・・・阿呆か?

2015年10月05日 | Weblog

「英語公用化」ってアホちゃいますか!?
http://mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20150930biz00m010011000c&fm=mnm

いつもの事なのだが、こんな記事を読むと阿呆らしくなる。

日本人は何故、英語をそんなに使いたがるのかって・・・・
英語に限らず、外国語を話せるのは良い事だと思う。
海外で活躍しようと思ったら、必須項目なのは僕でも理解できる。

いつも思うのは、日本に来る外人(特に米国人)とは英語を使う事。
会社の会議などでも英語を使う。
何故、欧米人は日本語を勉強して来ないのだろう?って・・・・。
『ここは日本だよ』とどうして言わないのだろうって思います。

でも言葉はコミュニケーションの道具であって、例えば英国へ行くなら英語、
ドイツへ行くなら独語、フランスなら仏語と言うように
行く先々の国の言語を知って居れば、旅行なども快適でしょう。

英語はそう云う意味で、広く『通じる』言語だと言う気もします。
ところが、南米へ行くとなると話は別。英語を理解する人はそうは多くない。
南米や中米へ行くなら、スペイン語やポルトガル語を知って居た方が良い。
それにフランス人は英語を喋りたがらない。ドイツも同じようなもの。

日本は先の大戦で敗戦国となり、サンフランシスコ講和条約によって
戦争が終結した昭和27年まで米国の占領下に置かれたという歴史が有るから、
仕方が無い部分が有るとは思うけど、「英語公用化」なんて事を言う先進国は
日本くらいじゃないの?
多くの日本人は『日本は欧米の仲間』だと思っている気がする。
でも海外から見ると日本は中国や韓国と同じ、東洋人なのですよ。

何故か日本人は英語を好み、カッコ良く見えるとばかりに、英語の唄を唄いたがる。
そんな唄を聞いても、意味の判らない歌詞が心に浸みこんでくる事は無いでしょう。
教養が有る様に見えるから、英語を使いたがるのかな?
とにかく、英語文化が好きな人が多いですねぇ・・・
まぁ、これがアメリカに憧れる日本人の姿なのかな? 

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『御大揃い踏み』

2015年10月04日 | Weblog

今日は市民大会。
40歳以上のオジサンたちが、子供用のグラウンドで8人制の試合をしました。
去年は不覚にも準決勝で引き分けて、PK戦で敗退。
その雪辱を果たすべく臨んだ、予選リーグ。
奇しくも、3チームで行われる予選リーグに、去年負けたチームが一緒になった。
そのチームは昔、僕が居たチームで去年は我々を破った後に優勝。
準優勝チームも、なんと同じ予選グループになったせいで
今年のブロック予選は、去年のベスト4チームが争う事になった。

第一試合は、去年負けた古巣の『光華サンダース』。
僕が居た頃のメンバーは殆ど居なくなって、レベルも上がっているのは事実。
我々は、去年の屈辱を果たすべく、僕を含めた昼休みのおバカさん8人が先発。
去年は油断して、先に点を与えてしまったので、相手はゴール前に引いてしまい、
そうなると、小さな子供用のゴールには、なかなか入らなくなる。
実際に去年は同点にするのがやっと・・・・・
普段から子供のゴールでやっている、お父さんチームにPK負け。

そこで今日は、前半の早いうちに点を奪って、相手が出て来るのを待って
更に点を奪う、作戦に出た。
作戦通り、試合はうちの一方的なボール支配率で4点を奪った。
そこでまた油断して、1点を献上したけれど、試合には影響なし。

第2試合は去年の準優勝チーム。
この相手も最初の10分だけで、次第に体力が無くなりうちが4点を奪った。
残り5分。この日の一大イベント『御大揃い踏み』。
59歳の僕と50歳のM、55歳のUの3人が3トップになって同時にピッチに立った。

この3人は30年前に東京都リーグで一緒に戦った仲間。
Mはサッカーでヤマハ(今のジュビロ磐田)に入る予定だったが、
内定が先にうちの会社から降りてしまい、うちの会社に来た。

一方のUは、長野代表で高校選手権に出場した経歴が有る。
若い頃は華麗なプレーで、中盤の一翼を担っていた男。
ところが、ここ数年ボールを蹴って居ないので、ボールを触るのがやっと・・・・

それでも、若い連中が残り5分で絶対に逆転されない4点差をつけてくれて
『御大揃い踏み』が実現した。
結局、その5分間は8人のうち3人がジジイ。
GKを入れて実質5人になってしまったので、1点返されてしまったけれど
若い連中は、それでも納得して試合終了まで見届けてくれた。
Uは参加出来ただけで、嬉しかった様子。
僕も、その笑顔を見て、この大会に呼んで良かったなぁと思えた。

写真はチームを創立した6年前の写真。
後列左から3人目~5人目がその『御大揃い踏み』メンバーです。

予選リーグは2勝で、決勝トーナメント進出。
他のチームの試合を見ていると、凄く上手いなぁ・・・・って感じるんだけれど
実際に対戦してみると大したことは無い。

で、結論としてウチのチームは
『プレスが早いから、相手はパスを回す余裕が無い』のだそうだ。
その癖、相手に合せてしまうとミスが出て、失点する。

決勝トーナメントは10月25日。
スイス旅行から帰って来た週の週末。
今年も壮年のタイトル総なめと言う目標に向かって頑張ります!

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登山靴

2015年10月03日 | Weblog

今月の14日から22日まで、再びスイスの山歩きに出かけます。
と言っても、本格的な登山ではありません。
ツアーの日程が連泊3回なので、自由行動の日にトレッキング程度。

去年はマッターホルンの麓のツェルマットから、ツアーの行程で、
ゴルナーグラード展望台へ行き、そこから自由行動で歩いて下山した。
最初は電車で下山するつもりだったけど、何となく歩きたくなって、
2時間半かけて下山して、そこからツエルマットの街までさらに2時間歩いた。

この下山を普通のハーフブーツの靴で途中で降りたものだから、
途中で靴の中で足が動いて、爪先が靴に当たって痛くなった。
靴の紐を何度も締めなおして、靴の中で足が動かなくしたつもりだったけど
やっぱり、登山靴のように足をホールドしてくれず、
足の爪先と、親指の爪を傷めちゃった。
最低限の足元の装備を無しで降りるのは、やっぱり無理だった。
舐めてかかった僕のミスです。こう云う人間が遭難したりするんだよな・・・・

それで、今回はちょっと足元だけはしっかりしようと思って、
御茶ノ水にあるイシイスポーツへ、靴を見に行った。
どうせ1回だから、高級な靴を買う必要はないと思って足を通してみても、
何かいまひとつ物足りない上に、山靴に必要な安心感がない。
 
高い靴は要らないんだ・・・って自分に言い聞かせて幾つかの靴に足を通していても、
やっぱり何処かで『出来ればいいもの』が欲しくなったしまう。
若い頃に持って居た『GORO』で作った、オーダーメイドの革製登山靴は、
当然ながら、足にフィットして履き心地も最高だった。
そんな記憶と経験が『出来ればいいもの』を欲しいと思わせるのでしょう。

僕の心を見透かすように、靴担当のベテラン店員がタイミング良くやってきた。
『まず、足の形を調べてみませんか?』って声をかけられて、測ってもらった。
僕の足はダンビロの甲高、普通の靴は入らない。
若い頃にオーダーメイドしたのもそのせいだった。
でも、今はそんな本格的な登山はやらないから、既成品で十分だ。

『これ、サービス品ですが物は凄く良いですから試してみてください』
そう言いながら店員が持ってきた靴は、石井スポーツが扱う『AKU(アク)』という
イタリアのメーカーの靴、【AKU】SLハイクGTX 650ISG。

その靴に足を通して、歩いたり、店内にある傾斜や小さな突起に立ってみた。
靴の中で足が全くズレず、しっかりとフィットしてなんともいい感じ。
それで迷わず、購入する事にしました。

リニューアルセールで値段も定価の3割引き、税込みで1万5千円ちょっと・・・・
さっきまで見ていた靴と大して変わらない値段。お買い得品です。
これでまた、日本の山歩きをしたくなるんだろうなぁ・・・・

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カウントダウン

2015年10月02日 | Weblog

今月一杯で、会社に来るのは終わり。
今はカウントダウンと言うのがピッタリの心境。
カウントダウンも、既に10カウントの状態。

今週はちょっと忙しい。
『一杯』がいっぱい・・・・

週末の金曜日は、かつての仲間による慰労会。
その前に『大統領』とサシで『一杯』飲む約束もしているし、
今の部署の元弟子とも『一杯』やらなくちゃいけないし・・・

来週から2週間休みを取って、その後は4日ほど出て終わり。
その間に社長と『一杯』やりに行く約束もしている。
11月2日は飛び石の中日で、休みだけど若い連中とまた『一杯』。
これだけで既に『五杯』です(笑)。

会社を定年退職した諸先輩も同じような感じだったのだろうか?
殆どの人が定年後も雇用延長で会社に居座るから、
もしかして定年前の休暇で休んでも、本当の意味での
『人生の一区切り』なんて感じにはならないんじゃないだろうか?

そういう人達が実際に『一区切り』つくのは、雇用延長を終えて
年金生活に入る時の気がする。

僕はそういう意味で『人生の一区切り』じゃないけど、
転機を何度か経験している。
学校を卒業しても就職せずに好きな仕事を転々としていた。
今の会社に就職するときは、最初の『一区切り』だった。

それでも、腰を据えて仕事に打ち込むようになったのは数年後。
とある難題を抱えて、何とかその問題をクリアした時かな?
『頑張れば、絶対に結果が付いてくる』という実感が湧いた。
それまでも、一生懸命やってきたんだけれど、この時は違った。
『充実感』って言うのかなぁ・・・・・
やったぜ!・・・・みたいな気持ちと、『良く頑張った』と胸を張って
自分を褒めた最初のことだった気がする。
それでもどこかに『やり残した感』があって、次の活力に繋がった。

それからは挫折との戦い。良く頑張ったけど、満足なものは一つもない。
それがきっと、今感じている『やり残した感』なのでしょう。

でも、やり切った感があるよりはポジティブに生きて行けそう。
違うフィールドに進んでも、この『やり残した感』は
永遠に無くなる事はないのでしょうね。

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『終わりの始まり』

2015年10月01日 | Weblog

今日から下半期。
相変わらず僕の上に居る人間は、常識を知らない無神経な連中だと思った一日。
こういう連中と関わって同じ空間に居るだけで、イライラして来る上に、そのストレスで心臓がバクバクする。

芝居の稽古を週末にやっていた頃は、週末にリフレッシュが出来ていた。
御蔭で心も安定して来たので、精神科のカウンセリングを暫く止める事にした。
やっと精神的に落ち着いたかなと思っていたが、最近またおかしくなってきた。

無神経な連中が傍に居るだけで、また心臓がバクバクする。
そんな精神的なストレスとの戦いも、もう少しで終わりです。

今日、『こいつら常識を知らない』と思ったことは社報を見てのこと。
何処の会社でも、人事異動や人事発令は有ると思う。
今日は下期の開始日と言う事もあって、そう云った人事発令も社報に載る。
僕はこの下半期で定年退職になるから、今まで会社から特殊技能者として『スペシャリスト』
という、管理職時代と同じ処遇を受けていたが、それも変わるのかな?
上からその話が全く無いので、このまま定年を迎えるのだろう・・・・なんて、考えていた。

ところが今日の夕方に総務部からメールで配信された『人事発令』に僕の名前が載っていて、
『スペシャリスト』では無く、別の呼称になっていた。
まぁ、それについては定年前なので異論は無い。

ただ、この子会社は『どう受け止めるのだろうか?』と言ったような、
人の気持ちだとか、個人に対する気配りや配慮が皆無に等しい。
会社の人事発令など、だいぶ前から決まっているはず。特に管理職は知らないわけがない。
だったら、まずはその事を本人に説明やら、通達してから公表するのが筋でしょう。

役職が変われば、普通の人は『給与は変わるのか?』とか考えるでしょう。
そんな事は配慮しなくても、『会社は雇う側なのだから従えば良い・・・・』
と言った傲慢な態度で人を扱っているとしか思えない。

こんな会社に、真の愛社精神なんて生まれるはずが無い。
処遇が悪くなったり、他に良い条件の会社が見つかればさっさと辞める人間が多いでしょう。
現に100人程度の事業部署に何人も、精神的な問題で休職者や、退職者、
勤怠が芳しくない人間が居るのだ。

メールで来た『人事発令』に僕は驚いたが、
その後に書いてあった文章を見て、更に首を傾げてしまった。
『取締役・部長職・課長職 各位
 総務グループ○○です。
2015年10月1日付けで、人事発令が行われたことをお知らせします。
該当者のいる部署の部長・グループ長は本人に対してご連絡お願いします。』
だとさ・・・・・

『取締役・部長職・課長職 各位』、と書いてあるのに、全社員へ一斉配信して居る。
この中の各位って言うのは、全社員の事なのでしょうかねぇ?
だとしたらその後の文章は不要になる。
言われなくても連絡が来ちゃってるんだから・・・(笑)

そして、その文章に書いてある本人への連絡さえ、上の人間は何も言って来ない・・・・・・

陰険にずっと無視しているからなのか?
それともやっぱり無神経なのか?単なる馬鹿集団か?
どちらか解らないけれど、何とも可笑しな人間が集まったものだなと、改めて呆れてしまった。
若い連中も、こう云う環境が普通になって、こう云った事に疑問とか何も感じなくなっているんだろう。

いや、
これだけ馬鹿にされ、長い間無視されて来たのだから、ひょっとして
僕だけ何も知らされて居ないのかも知れない可能性も高いけどね。

管理職が無能で、無神経で、更に陰険・・・・・・。
あと少しで、サヨナラです。
そう云う意味で、今日は『終わりの始まり』って言う感じの一日でした。

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