『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

世界で一番大好きな人

2010年10月23日 | Weblog
今日、午前中にお袋を検診へ連れて行こうと朝早く
実家を訪れたら、なんやら様子がおかしい。
何と、お袋がトイレへ行こうと思ったが、体に力が入らず
前のめりに転んで、自力で動けなくなった。

一緒に住んで居る姪が、僕に目覚ましメールを送っている最中。
か細い声で助けを呼ぶ声に気がついて、姪が抱き起こしたので
大事に至らずに済んだのだが、これが一人だったら・・・・
オマケに週明けの平日朝だったら・・・・・・・

それで急いで、東京女子医大へ連れて行く準備。
お袋は、普段の格好のまま、玄関まで手助けされて歩くのがやっと。
僕が背中におんぶして、車に乗せてやった。

かつて『デブ』と言われて、プロテインダイエットまでして
痩せなくちゃならなかったお袋が、信じられないほど軽かった。
27年前にオヤジが癌を患って、最後に家を出たときに
同じように背負って車に乗せてやった。
7年前の祖母も、僕が背負って車に乗せた。
二人とも、その後2度と家に帰ることなく、この世を後にした。

今日はその時のことが、頭によぎった。
二度あることは3度ある。本当にそうだ。
肉親が病魔に襲われ、やせ細って行くのを見て来ては居るが
背負って、その軽さを知った時の、何とも言えない気持ちは
何とも表現できない。

病院へ向かう車の中で『もういいよ、このまま簡単に逝きたい』とか
入院後に落ち着いた病室でも、『姪の成人式も見れないかなぁ・・・・』とか
ずっと我家の二人の娘の事を、何かと気にしていてくれていたのだが、
『あの子達の成人まで頑張れない、ごめんね』などと
弱気な言葉ばかりを吐くようになっていた。

『そう思ったら、そうなっちゃうんだよ』と励ましてきましたが
そう言っている自分の言葉が、なにかむなしく聞こえて・・・・

親父のガン宣告も一緒に立会い、帰りの車の中で泣いていたお袋。
家に帰ってから、布団の中で丸くなって寝ていた姿が今も目に浮かぶ。
その後数日、何にも考えられない日が続いた時も、僕は黙って見守っていた。
婆さんの痴呆症状が出て、その宣告を受けた時もやっぱり泣いていた。
その後の介護施設探しもお袋と駆け回って・・・・・
そういう時はいつも、必ずお袋と一緒でした。
悲しい時間を、いつも共有して、励ましてやってきた。
その間に、自分は癌に犯されてボロボロになっていた。
これ以上、病気になる部位があるのかよ?・・・・って言いたくなるほど・・・・

子供の頃からずっと離れず一緒に暮らしてきたお袋。
太っちょで我侭だけれど、呑気で明るくて、いつも笑っていたお袋。
子供の頃から世界で一番大好きで、優しかった人・・・・。
帰りに荻窪の実家に戻って、お袋の寝ていた6畳の部屋を見て、
なんだか、切ない思いで帰宅しました。
コメント (1)
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