新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

行くぜ東北。~9

2015-09-27 09:35:18 | 旅行

9/22は北上から出発です。北上0838発の東北本線普通盛岡行きに乗り花巻へ。花巻から0913発釜石行き釜石線快速はまゆり1号に乗るのですが、花巻駅ホームには自由席の乗り口にすでに行列が出来ていました。そこで一旦改札口を出て指定席券売機で指定席を確保します。

釜石線は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルともなった路線なので、宮沢賢治ゆかりのエスペラント語駅名が付けられています。花巻駅は虹を意味するチェールアルコ花巻駅になっています。駅名標もSL銀河号運転に合わせて新調したらしく、絵入りの駅名標になっていました。


快速はまゆり1号は盛岡始発。案の定自由席は混雑していましたが、指定席はガラガラでした。キハ110系唯一のリクライニングシートに座ります。このはまゆりに使用されているキハ110系は1990年に登場した量産先行車で、当時走っていた急行「陸中」に使われるためにリクライニングシートが装備されました。量産車との違いは前面スカート部がパイプで構成されているのが大きな違いです。
4両編成の列車は0913定刻に花巻駅を発車。運転士は新人女性運転士で指導運転士が付いていました。新花巻で新幹線からの乗り換え客を乗せて列車は釜石線を走ります。SL銀河号が本日はこの後を走る予定なので、沿線のあちこちに撮り鉄が点在していました。しかし、この女性運転士さん。なんだかおっかなびっくり列車を走らせている感じ。エンジンもちょっとふかしては切るといった感じで列車の速度もあまり上がりません。次第に勾配もきつくなってくるのでなおさらです。途中の遠野で約3分遅れたところで、見かねた指導運転士が運転を交代しました。すると、さすがはベテラン運転士。走行音もエンジンの音も違います。結局終点の釜石まで指導運転士が運転していました。早いところ運転に慣れて、定時運転ができるようになるといいですね。釜石には1048に到着。

釜石からは三陸鉄道南リアス線に乗り換え。しかし1両しかないのと、乗り換え客で混雑し、こちらも立って過ごす羽目に。1100に釜石を発車。南リアス線はトンネルが多く、トンネルを出ると駅といった区間がほとんどです。

最初の停車駅平田駅。釜石市内ですが、ここも津波の被害を受けているので、街並みもまばらです。山の上には釜石観音がそびえ立っているのが見えました。

唐丹駅前は雑草に覆われた土地が広がっていました。ここも津波の被害の大きかったところです。この南リアス線はトンネルを抜けると津波被害を受けている土地を通るので、車窓を見ながらなんとも言えない気持ちになりました。北リアス線よりも印象が強いかもしれません。

そして列車は恋し浜駅に到着。元々は小石浜駅として開業したのですが、2009年に地元のホタテのブランドにちなみ恋し浜駅に解消されました。待合室にはホタテ貝の絵馬が吊る下げられておりその姿は壮観です。2014年にはAKB48のメンバーが訪れホタテ貝の絵馬をつるさげたらしいのですが、直後に盗難の目にあったとか。どの世界でもそういうことをする輩がいるものです。列車はその恋し浜駅に3分停車して撮影タイムが設けられていました。

陸前赤崎駅を出ると大船渡の町に入るのですが、車窓からは空き地とプレハブが目立つ景色が見えます。ここも津波の被害を受けており、いまだ復興は先といった感じです。津波で流されてきたのでしょう。ポツンと置かれたヨットの残骸が印象的でした。1151に盛に到着。大船渡線に乗り換えです。
 


行くぜ東北。~8

2015-09-26 19:13:51 | 旅行

島越駅から混雑する列車に乗ってやってきたのは堀内駅。

そうです、ドラマあまちゃんで主人公たちが住む袖が浜の最寄駅となっていた駅です。

堀内駅ですが、ドラマの駅名である袖が浜駅の駅名標も付けられています。そしてこのホームからトンネルへ向かってアキの友達であるユイが「アイドルになりたい」と叫んだのもこのホームです。

駅自体は高台にあり、眼下の漁港と太平洋を望むことができます。晴れていたので海が青く綺麗に見えました。堀内駅に20分ほど滞在して宮古行きに乗り込みます。こちらも3両編成ですが、混雑しています。しかも田野畑から後ろ1両は締め切りとなり、島越ー宮古間で団体が乗車するようなので、前2両は混雑しています。仕方がないのでこちらでも運転席付近に立っていました。

田野畑駅を出るとすぐに見えてくるのが三陸鉄道の車両をかたどった水門。少々色あせています。実はこの水門も東日本大震災の津波をかぶっていますが、奇跡的にその形をとどめている水門です。もっとも水門の制御室に上がる階段は津波によって曲がってしまっていますが。
小本で空席が少しできたので座ります。列車の中で久々に座った気がします。座るとついついうとうとしてしまいます。やはり疲れているのでしょうか。この先長いトンネルが続き、気がつくと窓が結露して曇っていました。そんな状態で終点宮古に1547に到着。1553発盛岡行き山田線に乗り継ぐのですが、降りる人も多く、また後ろの団体さん向けに「かいけつぞろり」のキャラクターの着ぐるみも登場していたのでホームは混雑。なんとかJRホームへ移動して2両編成の列車に乗り込むとこちらも座席が埋まっていました。なんとか空席を見つけて座ります。
車窓を眺める気もしないので持参の本を読んだり、ゲームをしたりして過ごします。途中の区界駅で列車交換のためにしばらく停車するようだったので気分転換にホームへ出ます。

夕方になったのもあるのですが、区界駅は東北の鉄道駅で一番標高の高い駅で標高744mの位置にあり、ホームに降りると半袖では寒いくらいでした。列車の写真を撮って車内に戻ります。区界を発車すると木々の間から見える夕焼け空が綺麗でした。盛岡には1806に到着。 盛岡から本日の宿泊地である北上までは新幹線を利用。盛岡ー北上間には新花巻駅が挟まっていますが、新花巻駅は東北新幹線開業後にできた駅なので、北上までは隣接駅扱いの特定特急券で自由席に乗れます。あっという間に北上に到着し、駅前のホテルにチェックインしました。 


行くぜ東北。~7

2015-09-25 20:00:47 | 旅行


下車したのは島越駅。駅舎は赤レンガ風の駅舎でどことなく東京駅の雰囲気も感じさせる駅です。もちろんこの駅舎は建てられたばかり。この駅付近が三陸鉄道で一番の津波被害を受けた場所で、最後まで開通できなかった区間です。

現在の駅から200mほど離れたところにかつての駅前広場があります。そしてそこには津波によって全てが流されてしまった中で残った駅へ上る階段部分と、駅前にあった宮沢賢治の詩碑がぽつんとありました。階段にあったと思われる手すりを支えている柱は飴のようにぐにゃりと曲がり、宮沢賢治の詩碑のコンクリートはボロボロに傷が付いていました。津波の破壊力を思い知らされます。

近くにあった水門。一見すると被害はなさそうですが。上にあるべき水門の門を上下させる設備が入っていたであろう建造物がそっくりなくなっています。そしてこの水門の近くには、

漁港の看板です。一見すると普通に立っているように見えましたが、よく見ると足の根元部分がぐにゃりと曲がり、看板も一部が欠けています。津波によって曲がってしまったけれども土台にしっかりと根付いていたのでなんとか起こして使っているのでしょう。津波にも耐えた看板です。

駅に戻って改めて周辺を見渡してみます。高架橋だった三陸鉄道の線路は防波堤を兼ねた築堤に改築されており、コンクリートの白が眩しいばかりです。しかし周囲は空き地だらけで、高台にあって難を免れた2軒の家が目につきます。このお宅は以前「笑神さまは突然に」という番組で紹介されていました。島越駅にはこの家の方が撮影された震災前後の駅の様子の写真が掲示されていました。

そしてホームにはかつての島越駅周辺の写真が掲示されていました。これだけの家々があの日の津波で全て流されてしまったのですね。写真と現状を見比べて言葉が出ませんでした。
ホームのベンチに座ってあたりの景色を見ていると、久慈行きの列車がやってきました。これに乗って堀内駅へ向かいます。 


行くぜ東北。~6

2015-09-25 19:28:17 | 旅行


三陸鉄道ホームに行くと既に列車は停車していました。3両編成ですが1両目は座席指定のお座敷車両で、自由席は後ろの2両。当然のことながら車内も混雑しており座れません。仕方がないので最後部車両に乗って後面展望を楽しむことにします。1213に混雑した列車は久慈を発車。

陸中野田駅を出ると、いよいよ津波被害を受けた区間を通過します。工事が行われていますが、周りに何もない状況はただただ言葉を飲むばかりです。三陸鉄道もこの区間では線路が流されるなど被害を受けています。

列車は野田玉川ー堀内間の安家川橋梁上で停車。三陸鉄道随一の景色を誇る橋梁で、太平洋を見ることができます。

この安家川橋梁の山側には鮭のふ化場がありましたが、こちらも津波で大きな被害を受けてしまいました。しかし現在復興へ向けて工事が行われています。新しい橋などもかかっており、少しずつですが復興へ向かっている様子が見えました。

次の堀内駅で列車は2分停車。あとで訪れる予定なのでとりあえず海と36-700型の運転席部分を切り取って写真を撮ってみました。

堀内駅を発車してすぐの大沢橋梁上でも列車は停止します。ここもドラマあまちゃんのロケ地で、宮本信子さん演じるなつばっぱが、娘の天野春子(小泉今日子・有村架純)、孫の天野アキ(能年玲奈)が上京する際に大漁旗を振って見送っていた海岸がまさにこの海岸。そんな案内放送もかかり、車内ではカメラを構える人も。
しかし、降りる人はほとんどおらず、普代・田野畑で多少降りる人もいましたが、大勢に影響はなく混雑したまま目的の駅が近づきます。

そして、この駅で列車を降りました。 


行くぜ東北。~5

2015-09-24 19:23:05 | 旅行

9/21の朝を八戸のホテルで迎えます。朝ごはんを早めに済ませてからのんびり支度。8時半頃にチェックアウトをして本八戸駅へ。0932発の八戸行きの列車まで時間があるので、駅近くの三八城公園を散策。ここは八戸城の跡に作られた公園だそうですが、城の面影はほとんどなく、高台の公園といった感じです。本八戸駅へ戻り0932発の八戸行きで八戸へ。折り返して1007発の久慈行きに乗ります。

久慈行きの列車はキハ40系2両編成ですが、白地に赤帯の盛岡支社色ではなく、かつての塗装である首都圏色の車両でした。ボックス席に座って発車を待ちますが、続々とお客さんが乗ってきます。接続のはやぶさが着くとさらに乗客は増え、ほぼ満員の状態で八戸を発車。本八戸からも乗客は増え立ち客も出る盛況ぶり。本八戸から乗っていたら座れないところでした。

鮫駅を出ると列車は海岸沿いを走ります。車窓から見えるのはウミネコ繁殖地の蕪島です。この辺りも津波にやられたのでしょう。空き地とプレハブが目立ちます。列車は太平洋を見ながら走ります。

八戸線も東北地方太平洋地震の津波被害を受けていますが、沿岸を走る鉄道で一番最初に全線開通した路線でもあります。海岸沿いですが、やや高い場所を走っているので比較的被害が少なかったのでしょう。

それでも海岸ギリギリを走る区間もあり、こういった場所では津波で線路や道床に被害が出ています。
海を眺めながら走りますが、車内の混雑は相変わらず。ほとんどが観光客で終点久慈まで乗り通すのでしょう。種市で地元客を下ろして少しは余裕も出てきますが、混雑は相変わらず。周囲の顔ぶれも八戸から変わりません。この混雑で列車は種市時点で9分の遅延となってしまいました。久慈駅で三陸鉄道に乗り換えるのですが、接続時間が少ないのでやきもきします。
結局、終点の久慈には9分遅れのまま到着。2輌編成から降りた乗客がホームを埋め尽くし、そのほとんどが三陸鉄道に乗り換える様子。昼食を買ってから乗り換えようかと考えていましたが、この状況では無理なので、三陸鉄道に早々に乗り換えることにします。

駅前に出ると、駅前デパートの壁に貼られているあまちゃんの看板が迎えてくれました。この看板はドラマの中でも出てきているので見覚えのある方もおられるかと思います。

あまり時間がないので三陸鉄道久慈駅へ向かいます。この駅舎もあまちゃんの中では北三陸鉄道北三陸駅として登場しています。