青森駅へバスで戻り、コインロッカーから荷物を回収して本日の宿泊地八戸へ向かいます。とはいえまだしばらく時間があるので、青い森鉄道の駅を降りることにします。
青森1440発八戸行き普通電車に乗ります。東北新幹線開通に伴い、並行在来線である東北本線を引き受けて誕生した青い森鉄道ですが、電車はJRから譲渡された701系電車を使用しています。もちろん青い森鉄道仕様になっており、イメージキャラクターのモーリーが車体に施されています。この電車に揺られ最初に降りたのは浅虫温泉駅。
浅虫温泉駅前には足湯もあるのですが、観光客で混んでいたので諦めて、駅前の国道4号線をまたぐ歩道橋から陸奥湾を眺めます。青森市方向の海に太陽の光が反射していました。駅前にあった道の駅でトイレを借りてから駅へ戻り、モーリーカフェで青い森鉄道のグッズを少々買ってから、浅虫温泉1543発の八戸行きに乗ります。こちらは混んでいたのでドア横に立って過ごしました。1607着の野辺地で下車します。
野辺地駅には日本最古の鉄道防雪林があり、鉄道記念物になっています。防雪林とは吹雪などから線路を守るもので、この防雪林は1893年に日本鉄道の手によって造林され、以来東北本線を走る列車を雪から守ってきました。
野辺地防雪林は野辺地駅ホームから見ることができます。
野辺地駅で下車して駅前を散策したり、貨物列車の通過を撮ったりして時を過ごします。野辺地1652発の臨時快速はまなすベイライン2号に乗って本日の宿泊地の本八戸へ向かいます。このはまなすベイライン号は大湊線から直通で、八戸から八戸線鮫駅まで運転されています。
車両はキハ48型2両編成で、車内はセミクロスシートからリクライニングシートへ改装されています。が、冷房装置は付いておらず、扇風機が回っています。当地の気候からすれば冷房は不要ということなのでしょうが、今時冷房の付いていない列車にはなかなかお目にかかれません。このキハ48型はエンジンも原型のエンジンを使っており、キハ40系特有のエンジンは盛大に回転しているのに非常にゆるい加速感が味わえます。八戸で進行方向が変わり、本八戸に1754に到着。駅前のホテルにチェックインし、1日目が終了しました。
青森駅へいったん戻り、11時過ぎで早いですが、お腹が減ったのと次の場所へ向かうバスの関係で時間があるので、お昼ご飯を食べます。お昼ご飯は駅ナカの食堂でホタテ丼というのを食べました。
お昼ご飯を食べてから青森駅周辺をぶらぶら。コンビニでおやつを買って、青森駅から青森市営バスに乗り、向かったのは三内丸山遺跡。乗ったバスは東京ではほとんどお目にかかれなくなった懐かしい富士重工のボディーのツーステップのバスでした。これでも低床バスのステッカーが貼られていました。
三内丸山遺跡は縄文時代の遺跡で、縄文時代の長い間に存在していたムラの遺跡として注目を集めています。縄文時代というと狩猟の時代という認識がされていますが、ここではどうやら食物の栽培も行われていたらしく、縄文時代の概念を覆すような遺跡です。
遺跡の上には盛り土がなされ遺跡の保存が行われていますが、その上に竪穴式住居などが復元されていて、縄文時代のムラの風景を感じることができます。竪穴式住居も3種類ありいろいろな形の住居が復元されています。また発掘時の状態のまま公開されている区画もあり、こちらは遺跡らしい姿を見ることができます。
三内丸山遺跡を象徴するのがこちらの高層建築物。何に使われていたかは謎で今後の研究の課題だそうですが、柱の太さや土圧などを計算するとこのような建造物が建っていたのではないかと言われています。弥生時代に入ると望楼建築の跡が出てきますが、縄文時代にこれほどの建築物があったのは驚きです。この遺跡を見学すると、学校の歴史で習った縄文時代・弥生時代の線引きがあいまいになってくるのを感じます。遺跡を見学してから出土品が展示されているコーナーも見学します。
ちなみにこの三内丸山遺跡の脇を東北新幹線が走っており、時折新幹線の走る音が聞こえる遺跡です。
遺跡見学を終えて青森駅へのバスを待つ間に、青森りんごジュースを飲んで喉を潤します。青森へ来た際に必ず飲むアオレンの100%りんごジュースです。
青森駅をでて海の方へと歩きます。青森駅をまたぐ青森ベイブリッジの向こうに、かつての青函の足が保存されています。
青函連絡船八甲田丸です。1988年の青函トンネル開通まで青森と函館を結び、北海道と本州の人・ものを運んできた青函連絡船。終航後は函館に摩周丸、この青森に八甲田丸が保存されています。八甲田丸は1964年に就航した津軽丸型第2船で青函連絡船史上最も長く活躍をした船です。就航当時4時間30分運航であった青函航路を3時間50分に縮めた船で「海の新幹線」とも呼ばれていました。
八甲田丸が保存されているのは旧青森駅第2岸壁。しかし終航から25年以上経過しているので痛みも目立ち、現在は老朽化対策工事をしていて、一部区画が見学できなくなっています。
ファンネルマークは国鉄のJNRマーク。終航時には若草色のJRマークでしたが、保存に際してJNRマークになっています。船内は博物館に改装されており、青函連絡船の歴史展示のほか、船の科学館に保存されていた羊蹄丸から譲り受けた青函ワールドの展示物が旧桟敷席に展示されていました。また寝台室や船長室なども残っており、中に入れませんがそちらも見学できます。
ブリッジにも上がることができ、終航当時のままの配置で操船機械が残されています。この旅の前に青函連絡船の本や当時の鉄道雑誌に掲載されていた記事を読んでいたので、ブリッジにある機械も興味深く見ることができました。
八甲田丸では車両甲板やその下にあるエンジンルームまで見学することができ、車両甲板に保存されている車両や船の動力源となっていたエンジンを見学することができます。
見学を終えて外へ出て、青函連絡船八甲田丸の姿を青森ベイブリッジとともに撮ります。工事の関係で塗装が剥がれている場所もありますが、工事が終わればまた美しい姿を見せてくれることでしょう。外へ出ると、青森と言えばこの曲…が繰り返し流れています。
その音源がこちら。「津軽海峡・冬景色」の歌謡碑です。「♪上野発の夜行列車降りた時から~」で始まる石川さゆりさんの大ヒット曲ですね。上野発の夜行列車も、連絡船も無くなってしまいましたが、青函連絡船を見ながら聴くこの曲もなんだかいい感じです。繰り返しフルコーラスで流れるので、しばらく頭から離れなくて困りましたが。
シルバーウィークの3日間を使い、東北地方太平洋沖地震による津波被害を受けた三陸地方を旅してきました。
9/20早朝5時前に家を出て、京葉線舞浜駅から東京行きの始発電車に乗ります。東京駅に着くと朝からすごい人、新幹線乗り換え口のみどりの窓口は大行列でした。
朝ごはんを買ってから0600発のはやぶさ61号に乗ります。隣の14番線には同じく6時発の博多行きのぞみ1号がいました。のぞみ号よりわずかに遅くはやぶさ号は東京駅を発車しました。すでに東京駅から座席は埋まっていますが、上野、大宮と止まると満席になりました。大宮を発車するとぐんぐん加速。大宮ー宇都宮間は最高速度275km/hなので、270km/hで走って行きます。宇都宮を通過すると加速感があり、さらに速度を上げて行きます。
宇都宮を通過してからあっという間に315km/hまで達します。この速度だと車窓はあっという間に後ろへ飛んで行きます。近くを見ていると目が疲れるほど。架線柱もせわしなく窓を通過する感じです。大宮を出てからわずか1時間で仙台に到着。ここで下車する人も多くそのほとんどが女性でした。仙台を出てからも最高速度320km/hでの走行は続きます。すっかり穂も垂れて収穫を待っている田んぼを見ながらはやぶさはみちのく路を駆けて行きます。持ってきた本を読んでいると40分ほどで盛岡に到着。東京を出てから2時間ほどしか経っていません。
盛岡からは新規開業の整備新幹線区間。最高速度が260km/hに抑えられます。60km/hの差は大きく、流れる車窓の遅さが如実に表しています。八戸からは未乗区間。しかしトンネルばかりでついついまぶたも閉じがちに。長いトンネルを抜けると列車は減速して新青森に0917に到着。東京から3時間17分で青森に到着しました。
駅前に出てみると晴れて日差しは強いですが、吹き抜ける風が心地よく、東北へ来た感じがあります。在来線ホームへ移動し、0941発青森行き特急つがる1号に乗り換えて青森へ。新青森ー青森間は特急でも普通乗車券で自由席に乗れる特例区間になっています。
わずか一駅の走りで青森には0948に到着。改札を出てコインロッカーに荷物を預けて身軽になります。
はやぶさ・こまち号に乗って仙台から1時間半ぐらいで東京に到着しました。あっという間ですね。下車したらあさま号E7系が発車していくところだったので、iPhoneで流し撮り。
京葉線に乗って帰宅します。