と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

弱者のりくつ

2012年10月17日 14時13分49秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 世の中のいのちあるものは、生存競争を行っている。弱肉強食であると堂々と言われる方も多い。そうかもしれないが、そうでないかもしれない。真理は、両面から見るべきであろうから。

 さらには立身出世主義が明治維新以来はびこっている。先日書いてみた、「なぜ地方は疲弊するか」という愚生のブログの記事は、そういうことを風刺したつもりである。競争、競争、競争の世界である。

 ある青年と先日話をしたときも、オレはいかに能力があるか、会社や組織にいかに貢献しているかということばかり話をしていた。

 愚生は、ふんふんふんふんと片方の耳で、聞いたことがあるなぁこんなことはとか、あんまり無理するんじゃねぇぞぃって思っていた。

 武道で考えてみよう。

 武道人で、オレは能力がある、いかに柔道界に貢献しているかってなことを自分で云うやつはいない。そんなことを云っていたら、素人である。

 弱肉の方は、滅びるしかないのか。
 そんなことはない。

 弱肉の仲間は、力をあわせつつ強者に対抗して生きてきたのである。これまでの民衆の歴史がそれを示している。

 愚生も弱肉である。食われそうになったことは山ほどある。でも食われなかった。食ったこともないけど。

 愚生も含めて、庶民は相互扶助的な行動や思想を持たないと、強者に対抗できないのである。庶民の歴史をさぐることは、そうした庶民の伝統や意志を確認することでもあったのだ。だから、愚生は中世の歴史に惹かれるのである。差別の根本問題もそこにはある。また、芸能のルーツもそこにはある。戦いに明け暮れたもののふたちとは違った世界が、あるいは優雅に和歌でも詠んでいた人種とは違った生き方があったのである。

 弱いものは群れをなして生きるしか無かったときに、相互扶助の考え方が自然発生的に出てきたものであろうと思っている。

 そうした考え方から、歴史を文学を見直してみること。これこそが、庶民である愚生のこれからの課題であるような気がするのである。

 愚生も含めた庶民がどのように生活をしてきたのか、ということに関心がある。あるいは道徳的な価値というものも、もしかしたら昔は今と反対のものではなかったのかと思うようになってきたのである。よばいとか、祭礼とか、通い婚とか、婿取り婚とか、嫁と姑の対立とか、現在云われているようなこととちょっと違うのではないかとも思っているのである。

 弱者は村落共同体の中でどのように生きてきたのだろうか、ということを考える。しょっちゅである。その中ではいろいろと問題もあるのだと思う。人間関係のしがらみとか、経済問題のここと、遺産のこと、隣近所のこと、子どもの教育のこと等々あげたらきりが無いくらいであろうと思う。

 それでも弱者は生きていく。
 
 粘り強く、したたかに。

 いいもんである。

 まだまだ日本も捨てたもんじゃないですな。


 















 
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暗記が勝負

2012年10月17日 08時49分22秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
小乗仏教の学僧達は暗記が勝負だそうである。

ノートもとっちゃいけないっていうから、ホンモノである。

日本にもいた。

記紀の暗記する専門のヒトがいたのである。稗田阿礼である。古事記である。

こういう天才はすばらしいことである。

メモをしなくちゃ覚えておれないという愚生のような凡才は、所詮その程度なんだなぁと思う。

民俗学の学者せんせにもいる。

村の古老に話を聞いて、そのまま話を復元できる方である。これは、これはどうやったら可能なのかと思う。もしかしたら、ボイスレコーダーをポッケにさしてあったりして。(^0^)

否、昭和初期にそんなものは無かった。あってもでかい機械であったろう。しかも、そんなでかい機械では相手は警戒してしまう。



きみまろさんではないが、テレビを見ていて「あ、あの歌手、なまえなんだったっけ?」 「ほら、あれあれ」 「のどちんこまで出かかっているんだけど」 「ほらきよしっていうんじゃなかったっけ?」・・・・・・・・・・・・・延々とやっている。

「あ、わかった」
「氷川きよしだ!」

お後がよろしいようで。
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午後から雨だそうで

2012年10月17日 08時40分58秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日は午後から雨だそうである。

傘を持って行きましょう。

用意周到に生きることでありますなぁ。苦手だけれども。

だから、アタマを使っていかないと、確実に愚生は・・・・である。

復習がキーワードであるような気がする。

ブツブツと復習するのがいい。



昨日タオルを忘れたので、学習をしたのだ(^0^)

タオルを忘れないことということを、復習することである。


日本史の年代を暗記している。

復習しても、なんどやっても忘れてしまう。

参っている。

だから逆に、復習が大切なんですねぇ。

参ってばかりもいられない。


やるしかないですな。
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なかなか

2012年10月17日 08時03分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
作品論をなかなか書けない。

これは当然であろう。一番困難な試みであるからである。ある意味、天才で無いと書けない。愚生のような凡庸なモノでは、絶対に踏みこんではいかんことであると思っている。

だから、****論完全版とかやるのがいないのと一緒である。あるいは、完訳****とかの呼称もそうだろうと思う。これは神に近い人間なら可能だろうが。

だからやらない。

歴史的な接近なら作品に接することはできる。

亡くなられた法政大学の教授 表章せんせがDVDで言われていたことは、こういうことだったのである。

そのことに今朝気がついた。



専門性ということを声高に言われる方もいる。

ご自分のやってこられた専門こそ、ダレも接近することができない孤高の存在であると言われる方がいる。

それはそうだろう。そのご専門に関して自分は苦労してきたからである。だから困難であることがよくわかるわけである。

だからといって、他の専門分野が容易なる道であるとは限らないのである。



つまらんことで他者を批評したり(つまり悪口)、断定される方がいる。いかん、いかん。そう言っているあんたこそ大丈夫ですかぃ?ってパターンが多いからである。

難しいものですなぁ・・・



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10月16日(火)のつぶやき

2012年10月17日 04時27分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

「辞め時」を知るために...決断できない人への考え方のヒント(ライフハッカー[日本版]) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/lifeha…


今日は後期の学費を振り込んでから、学校に来た。ありがたいことだ。愚生のようなもんでも、学生にさせていただいているんだから。マジにそう思うでっせ。しかも、学校の所属名であちこちに駄文を書かせていただいている。それだけの時間をくださっている。ありがたいもんである。


しかし、来年の生活をどうするかなぁ。今朝、古女房殿に相談したら、がはははと笑って、そんなくだらないこと考えてないで勉強しなさいよんと云われてしまった。今更フルタイムで働いたってそんなところないしねぇ。オレを雇ってくれるところなんか。当たり前ですな。でも、覚悟はあるんですわい。


覚悟?・・・いやぁそんなたいそうなもんではないですがね。しかし、この燃えさかる生きる力をどこで消費させたらいいんだか。まだまだパワー全開でありますよん。('-'*)


さ、午後3時だ。帰ろうっと。駄文も書けたし。けっこう。後は今日の夜に、見直し作業でんねん。原典を見ながら。


お稽古会。柔道の。22:10帰ってきて風呂から出たんです。今日はタオルを忘れていって、サウナは行けなかったですわい。耄碌しているなぁ。しょうも無い。


用意周到であってこそ、武道をやる資格ありなのに。話にならんですわい。しかも、介護福祉士をやっているかつてのお弟子さんと打ち込みをやってへこたれているようでは。。。。。。


彼が心配してくれました。老後はボクが面倒を見てあげますって。心根の優しいいいやつです。体重も130はある。頼りがいのあるやつです。(^-^)/


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/