と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

休んでばかり

2012年10月05日 16時48分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昨日の塾で、

と~ませんせは休んでばかりいると言われっちまったです。

えっ?

休んでなんかいないですよ、と言ってやっと気がついた。

休むどころか、殆ど勤務していないのである。

木曜日と、土曜日だけ、合計三時間だけ。夜だけ。

たまに交換することもあるけど。

そうか、オイラを常勤のせんせと間違っているんだねぇと思いましたよ。

昨日の高校三年生も言っていたっけな、そういえば。

いつ来てもいないって。

(^0^)

 

そうじゃないんです。まったくそうじゃないんです。

子どもたちは、オイラがこれでご飯を食べていると思っているみたいですな。

話したってしょうがないんですがね。

ホントのことを。

 

そんなことより、がんばんべぇ!

塾生達よ。。

 

 

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絵巻物を見ていると実におもしろい

2012年10月05日 14時49分22秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

いろいろな庶民の生活を描いた中世から近世までの絵巻物を見ていると、実に楽しい。

庶民の生活は、明るく、楽しく、物見高く、きゃっきゃ・ケッケと騒いでいたんではないかと思わされる。

特に、母親達の生活ぶりである。

どこでも赤ん坊を抱っこしているか、おんぶしているのだ。しかも、赤ん坊はすっぱだかである。

すやすやと寝ている赤ん坊もすっぱだかである。(信貴山縁起)

昔の日本人は裸で暮らしていたのである。江戸末期に開国が迫ってきて、禁止したんだそうである。(鳥獣人物戯画)

 

もう一つおもしろいのが、トイレの問題。

こちらも図解付きで詳しく描いてある。

こうやって、糞尿を処理していたんだなぁと思う。たくましいかぎりである。あまりにもリアルなんで、解説は割愛する。糞カキベラまで登場してくるからである。夕ご飯の方がおったら叱られてしまうからね。(慕帰絵)

 

子ども達も天真爛漫である。

大学者菅原是善の館の前に牛車が二台止まっていて、その轅(ながえ)に、子どもがぶら下がって逆返りをしているのだ。無礼であると叱られなかったんであろう。いい時代である。(北野天神縁起)

 

楽しい時代である。

 

日本は子どもにとって世界に冠たる子ども天下であったのだ。それがいつの間にやら、いつ殺されるかわからん国になってしまったのは、空恐ろしい。

 

そんなことを考えた。

 

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また新たな発見が

2012年10月05日 14時43分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日は楽しみにしている師匠とのゼミ。

まったく新しい知の発見というものがあるから、こんなに楽しいことはない。

いろいろなキーワードと、発見をいただいた。

感動である。

メモをしたから、ここには書かない。なにがしかの表現形式をとったら、ここにアップしますが。それも、所属組織との関係上困難なんだろうなぁ。

学生だし。

間違ったことをしたらいっぺんで放り出される。

 

そんなことはしないですがね。

できる訳もないけど。

 

 

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ハーメルンの笛吹き男

2012年10月05日 14時15分40秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ハーメルンの笛吹き男というのがある。

一橋大学学長の阿部謹也先生の著作集の1でその価値を知ったのだが、学術研究の対象になるのだそうだ。知らなかったですなぁ。

先生が、留学した西ドイツのゲッチンゲン市の図書館で一四,五世紀のドイツ古文書を分析していた時代のことである。

ゲッチンゲン市から八〇キロくらいのところに、サッセン地方というのがあり、そこにハーメルンの笛吹き男に引き連れられた子ども達が入植した可能性があるというのである。

愚生は、直感でこれはおもしろい!と思ったのである。

哲学者のライプニッツが「何か隠されている」と思ったという作品である。

130人の子ども達が1284年6月26日にハーメルンの町で行方不明になったという歴史的事実である。

阿部先生は、このことを当時のヨーロッパ社会における庶民の生活のあり方という観点からいろいろと説いておられる。

一つには差別の問題もある。

だから興味を持っているのである。


また、遍歴芸人達の社会的地位という観点からも書いておられる。

能楽源流と一致するではないか。



楽しいものである。

まったく。



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なぜ体に悪いことばかりするのか

2012年10月05日 08時57分30秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

世間のしがらみということが、おとなの社会にはある。

愚生などは、このへんの進学中堅校を出ていないというのもあって、ほとんどしがらみとは無縁である。(もっとも入学できなかっただろうけど)

故郷の高校とはある。

有名企業のトップもかなりいるから、東京で同窓会がある。

ところがだ。

そんな会合にはオレは出席できまへんなぁ。

格好が悪いではないか。ただの過去形田舎教師でございますよ。出席する気持ちもないけど。

だいいち、むこうは大金持ちで、こっちはしがない年金生活をしているじじぃである。

会場も壮大な豪華ホテルである。

足がすくんで、ロビーにもいけましぇんよ。

(^0^)

 

否、そんなことを言いたいのではなく、世間というモノを無視してはあまりよくないということである。

ま、オレには入れない世間というものがあるから、それはそれでいい。入る気も無いけど。

ムリしてまで、つきあっていただくような恥ずかしいことはオレにはできない。

 

そこでだ。

そういう世間のつながりを大切に考えるあまり、呑めない酒を呑み、できもしないゴルフとか、いろいろつきあいと称してがんばっちまうのがいる。オレもそうだった。ゴルフだけは今もできないからやらんが。

酒だけは、呑めもしないのに、がっんばっちまったなぁ。

馬鹿だったよん。

そして、健康を害することになっていく。カネもチカラもねぇのに、不健康だけはもっているって、これは**丸出しですなぁ。

 

幸い、オレの場合は途中で途中で気がついたから、健康に注意するようになった。酒飲みの顔もみたくないという実に健康な健康オタクになってしまったのである。おめでたい限りである。時々、ほんとうにこころ許したヒトとだけしか呑まないようになったから、60でやっとまともになったのである。

でも、体に悪いことは、なんとなくやってみたいものなんである。

そこが、馬鹿なんだねぇ。オレの。

 

みんな健康には気をつけましょうねぇ。

 

さ、これから学校に行きます。

がんばってきましょう。

 

学校は体にいいことばかりですから。

(^0^)/ウフフ

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/