・最近、どうしても文章が書けないのであります。・・・・そんなことはないだろう、事実そうやってブログを書いているではないかと言われるかもしれません。
・そうではないのです。書き流す程度のは、できるのです。しかし、論理的ないわゆる堅い文章がちょっといけない。なぜか?
・評価を気にするからでありましょう。どう思われてもいいということは、これはブログの文章でもそうは思っておりません。立場を明確にしている以上、これもまたなかなか困難なものがあります。写真も非常にむずかしい。マスクをかけたり、いろいろ技術がいるのであります。漫然とやっているわけではありません。
・そこで今日は居住地の駅前の書店で、「書くことが思いつかない人のための文章教室」(近藤勝重著 幻冬舎)なる新書を買って、読み始めております。
・間で、ちょっとこのブログを書き始めました。風呂にも入ったからです。
・なぜこんなことで呻吟しているのか。
・それはわたくしのようなものでも、生涯学習に取り組んでおるからであります。課題作文を出さねばならんのです。才能が無いということは実にきついことであります。毎回、毎回呻吟しているのであります。
・そこで、出会ったのが、この記事のタイトルです。つまり「説明は要らない 記憶を描写せよ」 という教え。これはいい。つまり「さびしい」なら、直接「さびしい」と書かずにさびしさを現すモノを描写せよという教えです。詳しくは同書を見ていただきたいのですが、わたくしたち教育技術を標榜するプロ教師集団にあっても「AさせたいならBと言え」という格言があるように、おなじことを言われておる。
・これから同書を拝読して、読書ノートをつけます。
・今日は学校安全教育のことで千葉市に出かけ、とんぼ返りで東総地区のPTA研究集会に出席していて帰りが遅くなりました。よって、どこまでできますことやら。明日も、学校外部の行事で多忙でありますから、細切れの時間を有効に使うしかありません。出かけるぎりぎりまで県立図書館で、駄文書きで悪戦苦闘であります。拝借していた書籍の返還も明日です。さらに、貸し出しを受けたい書籍もたくさんあります。
・これがわたくしに与えられた試練でありましょう。ありがたい限りであります。才能も無いのに、です。できそうもないことをさせていただくことが、本当にありがたいのであります。
・また来週!