と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

説明は要らない 記憶を描写せよ

2011年11月18日 22時13分00秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・最近、どうしても文章が書けないのであります。・・・・そんなことはないだろう、事実そうやってブログを書いているではないかと言われるかもしれません。


・そうではないのです。書き流す程度のは、できるのです。しかし、論理的ないわゆる堅い文章がちょっといけない。なぜか?


・評価を気にするからでありましょう。どう思われてもいいということは、これはブログの文章でもそうは思っておりません。立場を明確にしている以上、これもまたなかなか困難なものがあります。写真も非常にむずかしい。マスクをかけたり、いろいろ技術がいるのであります。漫然とやっているわけではありません。


・そこで今日は居住地の駅前の書店で、「書くことが思いつかない人のための文章教室」(近藤勝重著 幻冬舎)なる新書を買って、読み始めております。


・間で、ちょっとこのブログを書き始めました。風呂にも入ったからです。


・なぜこんなことで呻吟しているのか。


・それはわたくしのようなものでも、生涯学習に取り組んでおるからであります。課題作文を出さねばならんのです。才能が無いということは実にきついことであります。毎回、毎回呻吟しているのであります。


・そこで、出会ったのが、この記事のタイトルです。つまり「説明は要らない 記憶を描写せよ」 という教え。これはいい。つまり「さびしい」なら、直接「さびしい」と書かずにさびしさを現すモノを描写せよという教えです。詳しくは同書を見ていただきたいのですが、わたくしたち教育技術を標榜するプロ教師集団にあっても「AさせたいならBと言え」という格言があるように、おなじことを言われておる。


・これから同書を拝読して、読書ノートをつけます。


・今日は学校安全教育のことで千葉市に出かけ、とんぼ返りで東総地区のPTA研究集会に出席していて帰りが遅くなりました。よって、どこまでできますことやら。明日も、学校外部の行事で多忙でありますから、細切れの時間を有効に使うしかありません。出かけるぎりぎりまで県立図書館で、駄文書きで悪戦苦闘であります。拝借していた書籍の返還も明日です。さらに、貸し出しを受けたい書籍もたくさんあります。


・これがわたくしに与えられた試練でありましょう。ありがたい限りであります。才能も無いのに、です。できそうもないことをさせていただくことが、本当にありがたいのであります。


 


・また来週!


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大衆日報 平成23年11月16日(水)の記事になりました

2011年11月18日 06時03分33秒 | 先公ごっこ2008年から2012年




・大衆日報平成23年11月16日(水)にまたまた本校を掲載していただきました。まことにありがたいものであります。各中学校様にお送りいたしました。是非とも、学年の先生方にお願いして、見せてもらってください。そして、本校への入学を検討してください。来年、待っていますよ。


・送り状をつけさせていただきました。そこに、地域に根ざした、地域に愛される学校でありたいというようなことを書かせていただきました。これはねぼけて言っているのではありません。本当にそう思っております。ただし、共学になってからは地域の限定がなくなりつつあります。早い話が、広範囲から入学希望者が出てきています。


・先日、研修会である大学教授から「校長の免許は学校経営である」というようなお話を伺って、目から鱗でありました。確かに、学校教育法にも校長の職務が記載されていてそこにはシビアな語句が並んでおります。いつも戒めております。厳しいものであります。


・私人として、ボランティアで柔道を指導させていただいておるのも、若干の甘えがあるのではないかと自己分析をしておりました。郷愁があるのでしょう。おさなごたちと、共に柔道を学ぶということにこだわっているのです、わたくしは。教育実践人でどこまでもありたいという願いは、ある意味コインの表と裏であって、鋭い人はそこにわたくしの甘えを指摘なされるに違いないと思ったのであります。


・今、岐路に立っています。四月から何をしようかという現実問題がいよいよ迫って参りました。学校に再就職することはどこも相手にしてくださらないから不可能でありますし、どうなることやら。


・学部では、苦学して学んでおったので、働くことはなんでもありません。なんでもやれます。特に体力勝負で働くのは全く苦になりませぬ。問題は、能力。どんどん記憶力が減退しておる。これは本当に恐怖であります。


・しかしながら、学部時代に本当に不勉強でありましたから、まだ18歳以来やってきたことにこだわっているのであります。ある意味、柔道と一緒であります。


・18歳の時に、奥羽山脈の山懐から、学ランで大都会上野駅に初めて上京して、本当に興奮したものでありました。古書店の神田に一番カルチャーショックを受けました。ふるさとには、亡母の卒業した師範学校の近くに大きな書店があって、亡母に手を引かれて時々出かけるのを何よりの楽しみにしておったから、神田には本当にびっくりしたものでありました。


・これぞ、首都。そして文化の基地。上野まで、延々八時間もかけて上京した甲斐があったとこころから喜んでおりました。


・そして、柔道総本山の講道館。これまた、素晴らしい。あこがれの大道場。ところが、なんとまぁ強い方々がたくさんおられた。予想はしていたものの、こんなに凄いとは思いもしませんでした。


・このあたりで止めましょう。わたくしの思い出なんぞなんの価値もない。


・それよりも、本校の校舎の建て替えや、昨日の新聞で発表されました、防災の学びということの方が、お伝えしたいことであります。ただし、詳細未定でありますから、憶測でここに書き込むことはできません。


・すべては、わたくしが去ってから現実化いたします。楽しみであります。遠くから見守るのみ。人間なんてどんどん忘れ去られる存在でしかないのですから。日本の中世文学はそのあたりが、実に優れた描写をしております。


・それではまたここでお会いしましょう。




 (原稿はできていたのですが、昨日の晩アップするのを忘れておりました)




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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/