・今日も、公務でかなり多忙でありました。今(22:20)帰って参りました。昨日よりはちょっと早いので、ブログを書き始めました。ご容赦くださいませ。
・今日は実は朝ちょっとだけ学校に行きました。出張に間に合わないかもしれないという心配もありましたが、どうしてもやらねばならない仕事がありました。決裁の仕事もたくさんありますから。
・そしてちょっと時間ができた時に、あることをある生徒に語ったのでありました。
・それは親の無限の愛ということでありました。
・わかりやすいように工夫して語ったつもりであります。それは、愚昧なる息子を持った母親が、行動の尋常ならざる息子に、今まで飲ませた母乳の代金を請求して、息子の覚醒を図ったという話であります。むろん、原作はちょっと違っておりますが、それはそれ。
・だれしも、子育てをしながら、その代金を請求する親は無いわけであります。どこの世界に、これまで育ててやったから、その請求書を出す親がありましょうか。
・それだけ親の愛は尊いのであります。なぜか?
・無償の愛であるからであります。見返りを求めないからであります。
・わたくしはほんとうにそう思っているのであります。ですから、かわいがっていだくことを当然のように思ってはならないのであります。
・愛というのは、愛がなかなか存在しないからこそ主張されるのだということを、ある哲学者の書籍で知ったことがありました。まさしく、いろいろな道徳的戒律はそれ自体が存在しない、実現されていないからこそ、要求されるものでありましょう。他人に親切にしようとか、やさしくしようとか、高齢者に席を譲ろうという社会的なマナーが喧伝されるのは、それがなかなか守られていないからであります。そして、それを学ぶのが、学校でもあります。また親の姿勢でもあります。さらに、社会が教えるべき尊い価値でもあります。しかし、そういう道徳的戒律を教えなくてはならないということは、人間の持つマイナス的な方向性を示しているとも言えるのであります。
・だからこそ、学ぶことを中断してしまったら現状維持で終わってしまうのであります。そこには成長がない。これでいいのだと思った時から、人間は停滞の道を歩んでしまう。
・そんなことを語ったつもりであります。
・金魚とかどじょうとか、マスコミで騒がれております。政治的な話題ですので、まったく内容にはふれませんが、そういう金魚ブランドとか、どじょうブランドとか、まったく無縁の生活を送ってきましたからこそ、言いたいのであります。
・人間の価値は、それが実現されていないからこそ、重要なのであります。
・万人を愛し、親切にし・・・・・・・・と説く方はご自分がそういう生き方をしておられないからこそ、説かれるわけであります。わたくしも決して例外ではございません。喜怒哀楽、感情のままに行動することもあります。それを防ぐのはただひたすら理性あるのみ。
・そういう意味では、まだまだ発展途上の無知蒙昧なる存在のわたくしであります。勉強の価値はここにもあると考えるのであります。
・勉強なさいませ!