ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

松尾神社

2008-09-12 04:30:00 | 大阪にて
巡礼街道を山本西から山本東へと担当の街が東へと変わっていきます。
この山本東には松尾神社が鎮座していました。

       

この注連縄、鳥居に渡されたものではありません。
変ってるから、注連縄とは言わないのかも知れません。

       

天満神社と同じようにあまり広い境内ではありません。

       

この狛犬の顔は随分個性的です。新しい感覚で彫られたものですね。

       

これから先、こういう狛犬が流行っていくのか、そこまでは私には判りませんが、新しい思想、感覚で創られていくのは時代の流れだと思います。

       

ここの祭神は、坂上田村麻呂ですよ。
この人に関する小説は見たことも読んだこともありませんが、聖武天皇の頃に生まれ、桓武天皇の頃に活躍した人ではないかと思うので、興味はあります。

       

右手に猿田彦宮がありました。

            

ここにも一位樫が植えられていました。天満神社と同じ考えなのでしょうか。立て札には同じような文言が書かれています。

       

この神社の外、右側に小さな薬師堂が建っていました。疲れたので縁側にでも座ろうと思ったのですが、汚れてもたいして気にならないようなズボンの私でも、遠慮してしまうほどきれいさを保っていませんでした。

            gooリサーチモニターに登録!


巡礼街道

2008-09-11 05:00:00 | 大阪にて
巡礼街道と呼ばれているこの道、西は清荒神から始まっているようです。
次に売布神社と続いて、中山寺に繋いでいくのですが、途中いくらか古墳もあるようです。

       

天満神社の手前・山本西1丁目に入る前ににポツンとこのような碑がありました。
南無妙法蓮華経は解りますが、その下の法界とは何でしょう?

左の石碑は、『すぐ中山寺道』とでも書かれているのでしょうか。

            

街道上の民家にあったこの樹、実は宝塚チェリーと書かれていて、冬に咲く桜らしいです。
原産地はチベットとか、南紀でも咲くなら買って帰りたいものです。 

       

ここは山本の駅近く、木接太夫顕徳碑とありますが、この地域は植木屋さんがひしめいています。その先駆を顕彰しているのでしょう。

       

ここは巡礼街道上ではありませんが、民家の一角にあった石碑です。
民家にあるということが、しびれますネ。

            

『人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である』カッコいいですネ。
中国4千年の歴史をこの言葉で現しているのでしょうか。

ともすれば、中国の歴史は王朝の変遷、戦争の歴史のように見られがちですが、一つの王朝が滅びていく過程には、王朝貴族の横専・農民や商人の困窮が原因となっていることが多いのです。

毛沢東さんはあまり好きではありませんし、この言葉の中の『世界』というところが、誤解を招く語彙なのかも知れません。

しかし、人民が歴史を創造するというマルクス主義の考え方は間違ってないと思っています。

       

ここは最初の案内板にあった最終点の阪急山本駅です。
駅の造りが腹立ちます。駅は道路の右にあるのですが、入口は道路の左にあり、駅から街に出るには道路の下をくぐって階段を上がり下がりしなければいけない・・・この車優先の考え方が私はとんでもないと思うのです。

             gooリサーチモニターに登録!
     

天満神社

2008-09-10 04:00:00 | 大阪にて
中山寺を後に阪急の軌道沿いに東へ歩いていくと、山本西1丁目という街に辿り着きます。この道は巡礼街道という名前が付いています。

山本西1丁目に入るとすぐに天満神社があります。
姫にも同じ名前の神社がありましたが、こちらの方が鳥居からして立派です。

       

でもお堂は一つだけ、背後にある森林が巨大なようです。

       

露天神にもあった牛の像、天神さんにつきものなのでしょうか。

       

天満神社の向かって右端にこの稲荷神社があり、『正一位 稲荷大明神』と掲げられています。

       

突き当たりに祠がありました。

       

行基の投げ石とあります。
この辺りには沢山の溜池がありますが、伊丹の昆陽池や端ヶ池より規模は小さいようです。

       

行基は伊丹で灌漑用の池を掘ったりしたのですから、この辺りに行基が来たことは考えられますが、この大石を杖で投げ飛ばすなどと言うことは、納得できるものではありません。

       

一位樫とあります。この神社に正一位が与えられてるので、そのような名前を付けたのかと思いきや、一位樫という樹名はあるようです。


            gooリサーチモニターに登録!


中山寺 Ⅳ

2008-09-09 05:10:00 | 大阪にて
本堂に上がってみました。

安産祈祷7000円、安産特別祈祷20000円、チョイト仏教らしからぬ行為です。お金を持ってる人とそうでない人を差別しています。

       

どこかで見たような坐像です。賓頭盧尊ですね。
神呪寺で見たのとは随分違う印象です。神呪寺のはみんなが手で触っていくので、剥げてましたが、こちらはきれいなものでピカピカです。

       

中山寺から見える甲山です。あの頂上付近向こう側に神呪寺があるのでした。

       

山門を改修するらしく、瓦の寄進を受け付けていました。1枚1000円ならお安いご用です。私も1枚だけ寄進させていただきました。

どうやら瓦に願い事を書いて奉納するようですが、願い事と言う程のものも持ち合わせていないので、『空』という一字を書いておきました。

       

そしたら記念にこんなものをくれました。散華と言うそうです。

       

読んでください。説明が自分には出来そうにもありません。

       

ついでにこんな出版物も貰いました。『紫雲』と書いてあるようです。
表紙の写真は花山法王、1000年の御遠忌だそうです。

花山法王は潮岬にも寄って、歌を詠んでいたのでした。

       

さてこの中山寺の山門に私寄進の瓦も2~30年ぐらいは屋根に乗っかてるやろうし、もう思い残すこともありません。

            gooリサーチモニターに登録!

中山寺 Ⅲ

2008-09-08 05:00:00 | 大阪にて
中山寺は棚田のように、1段上がってはお堂を造り、また1段重ねてお堂を造っているので、1段上からはお堂の屋根が見え易くなっています。

       

これは本堂の裏側、子授け地蔵のあった処から撮ったもの。

       

鬼瓦を近くからも眺めることが出来ます。これで見ると何を現しているのかよく判りません。

       

こちらは違う角のもの、上に魚のようなもの、真ん中が鬼で、下に龍がいます。

       

これも上部は判りにくいですが、蓮の花が模られています。

       

こちらは本堂右奥からの撮影です。

       

こちらは羅漢堂の屋根です。

            gooリサーチモニターに登録!

中山寺 Ⅱ

2008-09-05 05:20:00 | 大阪にて
中山寺は真言宗のお寺です。

本堂に至るまでに、いろんなお堂があります。

       

案内図もカラフルで洒落ています。参拝客も多いのでしょう。いかにも財力があるなという感じです。

       

これは阿弥陀堂、昔『阿弥陀堂だより』という映画を観たことがありましたが、内容は忘れてしまいました。でもこんなに朱色が鮮やかなお堂ではなく、苔生したような寂れたお堂だったのは覚えています。

       

これは大願塔、多宝塔かと思いました。

            

角度を変えて、もう1枚。

       

これは子授け地蔵堂、屋根がやたらと大きく、微妙なバランスです。

       
地蔵さんも頭が大きくて、お堂に比したのでしょうか。

       

これは本堂より一段下にある羅漢堂、中にいくつの羅漢がいるのかは判りませんでした。

       

手前が寿老神堂、奥が大黒堂ですが、大黒堂はバーゲンセールでもあるかのような貼り紙でいっぱいです。

       

境内には記念撮影用のこんなツールもありましたよ。

            gooリサーチモニターに登録!

中山寺

2008-09-04 05:30:00 | 大阪にて
伊孑志の街での仕事を終えて夏休みに入り、少し山手の宝塚は山本という地域に行くようになりました。

阪急電車で山本や中山で降りることになります。

ここまで来れば、安産祈願のお寺『中山寺』に赴かなければなりません。

       

山門の前の道路が狭いので、山門はこういう感じで捉えるしかありません。
門前町という感じでもありませんが、安産の祈願寺らしく、訪れる人が多いのでしょう、腹帯を売る店や食堂があるので道が狭いのです。

            

今まで訪れたお寺で、この仁王さんが金網で囲まれていない所はありませんでしたが、ここは囲まれていません。金網があると、その網にピントが合ってしまうので仁王さんを撮ったことがあまりありません。

こちらは向かって左側の阿形の仁王さんです。

            

こちらは右の吽形ですが、どちらも安産祈願所らしくて恐くない、踊ってるみたいなマンガみたいな顔をしています。

       

こちらは山門の裏側、狛犬が置かれていました。

       

こちらは向かって右側になります。阿形の狛は確実に角があります。
寺に対しては置かれている位置は同じですが、向いている人には阿吽は左右反対になっています。

       

仁王さんも狛犬も同じ人の作品なのでしょうか、とてもマンガチックです。

       

本堂までの長い参道、ここの左右にいろんな仏様がいます。

       

本堂への階段ですが、何とこの中山寺にはエスカレーターやエレベーターがあるようです。妊婦さんが来るのですからそれ位の配慮は必要なのかも知れません。  

            gooリサーチモニターに登録!

    

昭和侠盗伝

2008-09-03 05:30:00 | 読書
ここのところ、梅原猛等の論文などを読んでいて、なかなか読む速度が遅く、本も分厚いのですが、1冊読むのに1ヶ月以上かかっていました。

久々に小説『絶海にあらず』を読み、続いて久々に浅田次郎の小説です。
通勤時間に読むのですが、1冊読むのに1週間かかりません。

天切り松 闇語り』の続編、第4巻にあたる『昭和侠盗伝』です。

       

今回は当選4回のベテラン議員が賄賂を貰った過度で捕まり、「なんと運が悪いんだ」と嘆く拘置所の中から話が始まります。

天切り松はこの議員に話を聞かせにやってきたのでした。

逮捕された議員は、みんながやってることだから、捕まった自分は運が悪かったと思っているのですが、松蔵は「物事の善し悪しは、数の多寡で決まるもんじゃあねえ。衆を恃んだ悪党が大手を振って罷り通るこの世じゃあ、ひとつまみの善人のするこたァ、みんな変わったことだ」と説教をたれます。その通りだと思います。

ここでこの小説の舞台となっている昭和初期から70年前、上海事変で廟行鎮の敵陣に爆弾抱いて突っ込んだ三勇士が出てくるのですが、その三勇士も死にたくて死んだんじゃない、「泣く泣く死んだにちげえねぇ若者を、やれ軍神の英雄のと祀り上げる世の中に、俺っちがどんな屁をひってみせたか・・・」

5編あるうちの最初だけ、目細一家がどんな屁をひったのか、かい摘んで紹介しますが、寅弥が大切に可愛がっていたイサという子に召集令状が来たのです。

それに対して屁をひろうと考えたのが今回のストーリー、まずおこん姉御が陸軍大将・鬼頭孝義の胸に輝く功一級金鵄勲章を、常兄ぃが陸軍参謀総長・洞院宮寿彦王殿下の大勲位菊花大綬章を、そして松蔵が東郷平八郎元帥の大勲位菊花章頸飾をかっぱらうのです。松蔵は東郷家に天切りし、盗み出そうとするのですが、その際に東郷元帥に『天切り松』という二つ名を付けてもらっています。

かっぱらうだけなら屁をひったことにはならないと、その三つの勲章を前述肉弾三勇士の像の除幕式に合わせて、三勇士の首にぶら下げておいたのでした。

イサの出征の日、寅弥とイサが別れる段がありますが、寅弥はイサに「死んで軍神になるくれえなら、生きて卑怯者になれ」「悪いのは大日本帝国だ」その時です。

本の帯に書かれている「どんなやぶれかぶれの世の中だって、人は畳の上で死ぬもんだ」という台詞が登場するのです。

浅田二郎氏がどんだけ戦争に対して、嫌悪を抱いているのかがよく解かるストーリーだったと思います。

後、相沢三郎中佐が軍務局長・永田鉄山少将を斬った『日輪の刺客』、相沢の妻との別れを描いた『惜別の譜』、満州国皇帝の弟・愛親覚羅溥傑の嫁にされる嵯峨侯爵家のお姫様が、黄不動の来邸を待ち侘びていたという『王妃のワルツ』、おこんが掏摸の手ほどきをした銀子に再会、別れた亭主の津村とはおこんも付き合っていたことがあった・・・『尾張町暮色』4篇が収録されています。

解説を担当した俳優のすまけい氏は、この『天切り松 闇語り』の朗読劇を演じています。天切り松は『やせ我慢の世界だ』とすま氏は言うけれど、それも間違いじゃないだろうけど、私はちょっと違う。

善人面している奴ほど、どれだけ悪いか醜いかを、盗人一家の目から見た感覚で告発しているのだ、だから読んでいて心地良いのだと思うのです。

           gooリサーチモニターに登録!

串本駅

2008-09-02 05:30:00 | 田舎
本州最南端の駅、串本駅です。
この駅の向かって右側にお土産屋があります。

       

ここで素敵な花が咲いているのを見つけました。
手前の左下、ハイビスカスではありません。白いベンチの向こう側のマゼンタ色の花です。

       

柵の向こうは駅の自転車置き場、ですからこの植物を植えたのは、お土産屋ではなくて、駅だと思います。

       

花の名前は、丁度串本駅のこの花を紹介しているBlogがあり、そこで知りました。ブーゲンビリアというそうです。
この赤が印象的ですが、花も沢山ついているように見えます。

      

見えますと言うのは、実はこの赤いのは花ではなくて、葉っぱだそうです。
緑の葉っぱも付いているので、赤いのは花びらに見えますよね。

       

この赤い葉は包と呼ばれるもの、すると真ん中にある白いのが花なのかなと思ったら、これも花びらではないらしい。

調べてみると、このブーゲンビリアという花は科目で言えばオシロイバナ科だそうで、そのオシロイバナにも花びらは無いんだって、あのラッパのような・アサガオを小さくしたような花はいったい何なんだ?

今回の夏休みの田舎の記事はこれで最後です。次回は年休消化の9月20日頃から一週間程度・・・秋休みになります。       

           gooリサーチモニターに登録!

鳶と鷺

2008-09-01 05:00:00 | 田舎
姫の漁港(?)にある役に立ちそうも無い波止です。
よく見ると何か鳥が佇んでいます。

       

鶴ではありません、鷺です。川ではよく見かけますが、海の魚も狙っているのでしょうか。
橋杭岩をバックに・・・なかなかの出来映えです。

       

今度は大島の鉛山灯台の方をバックに撮ってみました。

       

こちらは国道から降りるスロープの手すりにとまっている鳶、少し痩せているような気がしますが、野生の鳥はこんなものでしょうか。

鳶はこちらではよく見かけますが、人が近づくと必ず飛んでいってしまいます。
鷺もカメラを向けると飛んでいってしまいますが、この2羽は私のBlogのモデルになってくれました。

           gooリサーチモニターに登録!