ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

HONDA クロスロード

2007-07-17 05:00:00 | 大阪にて
車を買い換えました。

未だ山道や川原、海辺を走るのでオフ・ロード仕様、今年2月発売になったクロスロードです。

     

メーカーもTOYOTAからHONDAに変えました。

     

前の車がTOYOTAで、10年前に買ってからすぐマイナーチェンジしよった。それってちゃんと説明しておけよなと、トヨタのセールスマンに思ったのでした。

TOYOTAは自社の車の売れ行きに胡坐をかいてると思う。
そんな会社は嫌いだ。

買った10年前は丁度消費税が3%から5%に跳ね上がった4月当初、物を買う時期なんて相当ずれてない限り、売る側の気持ち一つで日付はいつにでも変更出来るのにねぇ。

古い型を新しい制度で売る・・・そんなセールスマンの拙さ、会社の姑息さが気に入らなかったんです。

  

この車種を決める前にいろいろな人から意見をもらい、本を読み、セレナ・カローラフィルダー・ウィングロード・エクストレイアル・ノア・ステップワゴン・・・いろいろ検討しましたが、巡り巡って買い換えると決めたときに思っていたこの車になったのでした。
決め手は姫の家に楽に出し入れ出来るのかどうか。なんせ道幅が狭いですから。

     

私的にはこのパールホワイトは個性的でなく否だったのですが、こともあろうに一銭の金も払わない・そしておそらく乗る時間の大部分を占めるあろう三男がこれっ!と譲らないのでした。

     

未だ乗ってみてほんの僅かな時間なので一概には言えないのですが、スタートダッシュが前のカリブに比べると弱い、そしてアクセルを踏み続けていると急にドッと出るんですよね。スタート時の滑らかな加速が無いという感じを受けました。
前の車の感覚で交差点の右折を行うと危ないかも・・・

カリブより車幅も車長もありますが、回転は前車よりスムーズな感じを受けます。

後はHDDナビをどう使いこなせるか・・・又あと10年この車に乗るのかなぁ?

どこかで見かけたら「オイ、ぼんくら」と、声をかけて下さいネ。

東福寺の蓮の花

2007-07-13 06:30:00 | 
三門の南にあった池に蓮の花が咲きかけていました。
もっと一面に広がっていれば、名物になるのでしょうがね。

     

水面に蓮の葉っぱが写り込んで情緒豊かに見えます。
こちら側には甲羅干しする亀の姿もありました。

     

よく見るとピンクの方は蕾ですが、白い方は花びらが落ちてしまっているようです。それにもう散ってしまって芯だけのものもチラホラ見えます。

  

こちらは廊下の傍らに植えられていた蓮。
こちらも白い花は満開ですが、ピンクの花は蕾でした。

  

桃の実を連想させますね。

ところで、蓮の花というと芥川龍之介の『蜘蛛の糸』が想起されるのですが、どんな話だったのか誰でも知ってますよね。

ある朝、極楽でお釈迦様が真っ白な蓮の花を眺めておられました。
この蓮池の真下は地獄になっているのでしたが、お釈迦様がその水晶のように透き通った水を透して針の山や三途の川をご覧になると、健陀多(かんだたと読むが、原本では牛偏に建)という悪人がもがいているのが見えました。
健陀多は極悪人でしたが、ある時踏み潰そうとした蜘蛛を思い直って助けてやったことがあり、お釈迦様はその善行に免じて地獄から救い出してやろうと考えたのでした。
ある時健陀多がふと頭上を見ると、1本の銀色をした蜘蛛の糸がするすると降りてくるのに気付き、これで地獄から逃れられると一心に蜘蛛の糸にすがって上り続けます。
どれだけ上っても上までには辿り着けないので一休みした健陀多が下を見ると、他の罪人どもが連なって着いて来るのです。
これを見て驚いた健陀多は「この蜘蛛の糸は俺のものだ。誰に聞いて上ってきた。下りろ!下りろ!」と叫んだ瞬間、健陀多の手の上から糸はぷつんと切れてしまいました。
一部始終をご覧になっていたお釈迦様は、自分ばかりが地獄から抜け出せればいいと考えた無慈悲な健陀多を浅ましいと思召されたのでした。
それでも極楽の蓮の花はそんなことに頓着せず、白い花を咲かせ、金色の芯からはなんとも言えない良い香りを溢れさせていたのでした。

芥川龍之介は、自分だけが助かったらいいのだという心を無慈悲という表現を使って批判しています。

現在日本の企業を取り巻く情勢として『成果業績主義賃金』の横行が上がっていますが、これは労働者同士を競争させ当に「自分だけが良ければよい」という考えを蔓延らせてしまっていると言って過言ではないでしょう。
労働者は団結が命、自分だけが・・・を求めると資本家の思惑通り、思う壺です。

この東福寺の蓮を見て、ふとそんな思いがよぎり『蜘蛛の糸』を再読してみた私でした。

     

ところでこれは何だと思います?
誰かのオッパイではありません。

     

蓮の花の芯です。『蜘蛛の糸』の中では蕊という字が使われ、心が三つもあるのでした。

何事も無かったように咲く蓮の花、同じ花ですが再掲します。

 

     

参議院選挙公示

2007-07-12 05:00:00 | 社会問題
花火みたいな、鮮やかなオレンジの花です。

   

見たこともなかったので、傍に寄って撮ってみました。
トリトマというユリ科の植物。

     

秋まで咲くそうですから、まだまだ楽しめそうです。


さて、今日からいよいよ参議院選挙、外販に出かける頃にはこの掲示板も候補者の顔でいっぱいになっていることでしょう。

     

12名分の枠がありますが、3つを選管が占拠しています。これ以上立候補者はいないという予想でしょうか?
もし9人以上立候補者が出たらどうするつもりでしょう?
尼崎市の選管は高を括っていると言われても仕方がありません。
確か、投票するのは比例代表の候補者と選挙区の候補者の2人(比例代表は政党名でもよい)のはず、自由民主党・民社党・公明党・日本共産党・社民党・新社会党・・・これだけでも2人づつ貼るのは無理です。

     

参院選・比例代表は名簿搭載順じゃなくて得票順に変わったはず、いくらタレント候補を擁立したら得みたいに姑息な政党が横行しようと、選挙管理委員会は厳正な立場であるべきで、比例代表の候補者を掲示板に貼らせないのは筋が通らないと思うのですが、いかがなものでしょう。

   

10番の区画を占領しておいて、『その一票に夢のせて!』ですと?
この低所得者層が悲惨な目にあってる今日この頃、どこに夢をのせれる一票があるというのでしょう。
夢をのせてるのは、投票する人じゃなく、被選挙人=立候補者ばかりではありませんか!?

どこの自治体も財政難で困ってる時代に、ムダな税金を使ってまでこんなことするなんて、白井市長も案外革新的ではないのかも知れません。

さて、あなたは誰に・何党に投票しますか?

戦争出来る国造りを推進する勢力にですか?それとも憲法9条を守る勢力にですか?

財政難を乗り切る策として税金を低所得者層から搾り取る勢力にですか?大企業や金持ちに施している減税分を払ってもらおうという勢力にですか?

それでも未だ足らんということで消費税を10%まで引き上げようと考えている勢力にですか?それとも消費税を3%に引き下げようと訴えてる勢力にですか?

自殺者まで出した続出する事務所費問題、頬被りする勢力にですか?追求する勢力にですか?

ここまで読んで下さった方々、今回の選挙の争点は以上のような点だと思うのですが、よ~くお考えになって必ず投票には行きましょうね。

東福寺 Ⅲ

2007-07-11 05:10:00 | 
東福寺にある建物で今回時間の関係で見なかった龍吟庵という方丈と並ぶ国宝、『三門』です。



足が長いというか、日本の建築物にしてはどっしり感がないようですが、室町様式なのでしょうか。

     

三門は『空門』『無相門』『無作門』の三解脱門の略らしいのですが、何を言ってるのか解りません。

     

これは門の西側から眺めた写真です。
中に入るとすごいらしい。

   

この案内図も何を描いてあるのか解りにくい・・・と言うか字自体が欠落しています。

真ん中に道があって本堂へと延びています。
左に川が流れていて下から『臥雲橋』『通天橋』と続きます。
本堂のすぐ右に描かれているのが三門です。

     

このちょっと小さめの建物は東司、禅宗式のトイレ・通称雪隠というそうです。
禅宗はトイレに行くのも修行だったそうな。

 

室町時代の東司としては唯一の遺構とかで、国の重要文化財指定になっています。

 

5時を少し回った頃でしょうか、いよいよ閉門の時間が来て、車座になって何か喋っておった外人さん一行も立ち上がり、帰る準備です。

急いで京都に戻ったのですが、乾杯の時間には間に合いませんでした。




東福寺 Ⅱ

2007-07-10 05:00:00 | 
臥雲橋から左手に通天橋が見えると記しましたが、境内に入ってその通天橋への廊下です。
拝観は4時で終わってましたから、どの施設も中には入れません。その分お金もかかりませんでした。

     

廊下の対極に本堂があります。

     

廊下はこんなもの。

     

東側に少し離れて方丈があります。時間が無いので近くに行かず、望遠で撮っています。

   

これは本堂、記憶が曖昧ですが・・・本堂は重文にも国宝にも指定されていません。明治時代の再建だからでしょうか。

  

東福寺は奈良の東大寺と興福寺から2文字をとって、その名前を付けたといわれています。

     

こちらは禅堂、そう東福寺は臨済宗のお寺でした。
写真が暗い、私が京都に行くと天気が悪いのです。

     

これは南側から見た禅堂。禅堂は国の重要文化財に指定されています。

     

いい字やなぁ。こんな字が好きです。

   

ここの案内板は字が小さい。読み辛いですよね。
1347年の建立とあります。こちらは焼けなかったんですね。
     

東福寺

2007-07-09 05:40:00 | 
先日、名古屋の中村ビルで共に働いていた仲間との『暑気払い』と称する飲み会が京都で開かれました。
5時半スタートということなので2時間年休で3時半に尼崎ビルを出て、急いで定期券でJRに乗り、大阪駅で降りて京都までの切符を買い、再び京都で降りてJR奈良線の東福寺までの切符を買い、ついでに東福寺を見物に行ったのでした。
こういう買い方をしないとJRに高い運賃を払わなければなりません。JRはこの行程で言うと神戸線・京都線・奈良線を利用するので目的地までの切符を買ったり、定期券で入って目的地で精算すると高くつくのです。

     

どこからが東福寺の境内なのかよく判らなかったのですが、ここは臥雲橋と名付けられた所。

     

左を眺めると通天橋があり、紅葉の季節にはさぞ美しい眺めになるだろうと感じました。

     

臥雲<がうん>と書かれていると思うのですが、雲が横たわっている様子のイメージなのでしょうか。

     

後で調べたことなのですが、ここが東福寺への入口、北門です。

     

そしてすぐに仁王さんの入ってない仁王門がありました。
ここから臥雲橋まで結構距離があり、途中にいくつものお寺がありました。

最初の写真は臥雲橋を渡って左に見えた東福寺の建物です。
正面が本堂、右が禅堂です。

御願塚古墳

2007-07-06 05:00:00 | 大阪にて
現在仕事に出かけている武庫之荘本町から東へ歩いていくと、車塚とか近畿中央病院とか、伊丹市へ入ったり尼崎市へ戻ったり複雑な地域を通ります。

なお東へと歩くと食満まで辿り着くのですが、そこまではチョット歩こうとは思いません。

実はこの辺り、神戸で働いていた頃お客さんが出来て、来た事があります。
で、思い出したように御願塚古墳を観に行きました。

     

古墳の上に社が建っていました。
こんなことをしても埋葬者は怒らないのでしょうか?

     

神社なのですが、何を祀ってあるのかよく判りません。
古墳自体がその埋葬者を祀っているのですから、八幡であろうが稲荷であろうが愛宕であろうが・・・祀れる筈もありません。

     

埋葬されているのは天皇級の大豪族だそうな。
この地に大きな勢力を持った豪族が昔からおったと言うことですね。

     

この付近に塚が五つあったと記されていますが、この近くにはJR・阪急共に塚口の駅があります。
JRではその南の尼崎を経て塚本という駅があるのですが、その『塚』の関連は不明です。

読みづらいのですが、この地方に温塚・掛塚・破塚・満塚とこの塚の5つの塚の名前があったそうですが、この塚の名前=御願塚は読み方が『ごがつか』ですから、この説明がちょっと納得できません。

     

魚の形をした前方後円墳ですね。

     

これは古墳の中を一周する道です。

     

こちらは堀の外を一周する道です。





春風ぞ吹く

2007-07-05 05:10:00 | 読書
少し前から気になり出していた作家・宇佐江真理氏の小説、『春風ぞ吹く』を読んでみた。

主人公は村椿五郎太、勘定奉行の役人をしていた何代か前の先祖が料理茶屋に刀を忘れたことが基で小普請組に格下げされた。

五郎太の父親が死ぬ間際に残した言葉が『高を括るな』、しかし父親も祖父もいずれは召抱えられるだろうと高を括っていた節があると、2ページ読んだところで、浅田次郎の女性版かと察しがついた。



五郎太は役が無いので、昼は代書屋の内職をし、朝からは『学問吟味』を受かるために精を出している。
代書屋とは字が書けない、文章がうまく書けない人の代わりに手紙を書いてやる仕事である。



五郎太と幼馴染の女性・俵紀乃が婚約相手の宗像何某と歩いていると、幾人かの旗本連中に因縁をつけられ、宗像はさっさと逃げ去ったところを五郎太が助けに入る。そのことで縁談は当然破談になるのだが、五郎太と紀乃は惹かれあっていった。



しかし紀乃の父親・平太夫と五郎太の母親・里江は実に仲が悪い。
平太夫は五郎太が『学問吟味』に受かり、役を得なければ紀乃を嫁がせないと言い張る。

五郎太の幼い頃からの手習いの師匠・橘何某の恋、昌平坂学問所の教授・大沢紫舟の名前の由来、紀乃の兄・内記の悩み事の相談、学問吟味のあれこれを記した大田直次郎との邂逅・・・等の話が構成され、果たして五郎太は学問吟味を突破し、紀乃を嫁に出来るのか。

最後はどうぞお読みになってのお楽しみにってことで。

ところで、実質上最初の学問吟味甲科の及第者主席は、お目見以上が遠山金四郎景晋=北町奉行・遠山の金さんの父親、お目見以下が大田直次郎だった。

大田直次郎は大田南畝として有名で、寛政の改革を『白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき』と揶揄した狂歌を習ったような記憶がある。

尾浜八幡神社 Ⅱ

2007-07-04 05:00:00 | 大阪にて
庄下川沿いに尾浜八幡神社を眺めた写真です。

     

こちらは庄下川対岸からの尾浜八幡です。

川に釣り糸を垂れている方がいます。鯉でも釣っているのでしょうか。
左端に小さな祠があるのが判りますか。

     

小さな石像が無造作に並べられています。

     

五輪塔は見当たりませんが・・・?
でも何故この地域の川底に地蔵さん達が沈んでいたのか、それを知りたい。

きれいな川が甦り、子供達が川に入って遊べるようにと願うのはいいのですが、そんな時代が果たして来るのか?一度汚染されたものはなかなか元には戻りません。

     

きれいな前垂れを着せてもらっていますね。
陽に焼けていませんので、きっと何方かがせっせと作って、着せているのでしょう。謝々。





尾浜八幡神社

2007-07-03 05:00:00 | 大阪にて
プレスリーの居た尾浜町を西へ行くと庄下川を越えた所に尾浜八幡神社があります。

     

田園風景が広がっていた明治時代以前の尼崎もここ尾浜には集落があったようだ。
荒木村重が織田勢に攻められた時戦火にあったとありますが、村重だけは逃げ延びたものの、関係の無い尾浜の集落は織田勢により焼き尽くされたのですね。

織田信長は無慈悲の人間であったような気がします。

     

神社には珍しくお寺のような説教が掲示されていました。
抽象的ですが、それだけ読めば納得です。

     

八幡宮ですが、あまり戦と関係のあるものは見受けられません。

以前尾浜町を回っていた頃、尾浜町なのに名月町会と書かれていて、不思議に思い老齢の方に何故なのか尋ねたことがあるのですが、「そこに名月公園があるやろ、そやからや」って答えでした。
それは違うやろと思いましたが、「そうでっか」と相槌を打っておきましたが、名月の由来を聞いてるのに名月公園があるからでは答えになっていません。

     

でもこれで謎が解けました。
案外、『灯台下暗し』なのかも知れません。

   

でも名月姫って誰なのか、詳しくは述べられていません。

     

主施が尾濱村民になっています。これはエライことです。
普通何某何兵衛とか個人名を入れたがるものです。