避難場所から戻りあちらこちらと歩きますが、なかなか突破口が開けません。細い路地をここか、あそこかと曲がるのですが、山へ登って行きそうな道は無いのです。途方に暮れて誰かに尋ねてみることにしましたが、人が歩いているような様子はありません。目立たないのですが本屋か文房具店のようなお店があったので、入って聞いてみると女性が出てきて、よく分からないと言いながら、「○×ちゃんなら知ってるかも」とか言いながら、先に立って歩いてくれます。路地をいくつか曲って「先に先生に聞いてみるわ」と言いながら玄関で喋っていた年老いた女性に尋ねますが、詳しいことは知らないと言います。そこで次の家に連れて行ってくれ、○×ちゃんという若い感じの男の人を紹介してくれて、山道の登り口を教えてくれるよう口添えしてくれました。
その方は5年ぐらい前にこの山の大辺路を整地した人だそうで、「もう長いこと誰も歩いてないから、道分からんかも」と言いながら、有田への道を勧めようとするのですが、私は野凪に車を置いているので絶対に野凪に戻らなければならないのです。野凪からは『あらなみ渡船』のところに案内札があるからと二人とも言うのですが、私は見つけていません。ただその『あらなみ渡船』の横に山へと入って行く道があったのは知っていました。
何ゴローとかいう人の名前みたいなところを上がると言いますが、そんなことを言われても私に解るわけがありません。きっとその人の家が登り口にあるのだろうと思ったのですが、案内されたのは先に登った避難階段、「ええっ?」思いながら、「あの壁の裏を通って上がる」と言われ、ここで丁寧にお礼を言って別れました。そして登る前に注視してみると左側に案内札があるのが見えていたのです。
先にこの案内札を見つけられていたら、田並の方々に迷惑をかけることもなく、私としても無駄足を運ぶこともなく、時間もかけることもなく大辺路を辿ることが出来たのでした。
しか、しここからがまたまた大変だったのです。円光寺を出て最初に避難路まで来た時間が10分、そこから再び避難路まで戻ってくるまでに20分近くかかっています。
すぐに登って行くのですが、男の方が言っていた通り殆ど道が分かりません。でも時々案内札が立っています。中には折れてしまって放置されているものもありました。
折れた竹や枝が積み重なって道らしき道はありません。未だ案内札を見ながら歩いているうちは良かったのですが・・・
急に広いところに出ますが、道はありません。人が歩いたらしきところを探しながら歩きますが、合っているのか間違っているのかさえ分かりません。
山の中に入ると人が積んだと思われる石垣が所々に見られます。ところが地図にある宝篋印塔が見つからないのです。山の中に入っているのでどちらの方向に歩いているのかも分からないのですが、かなり歩いたと思っていたのに田並の湾の消波ブロックが見えていました。ということは北へ歩かなければならないのに、西に向かって歩いていたということになりますが、歩いているとどちらが北でどちらが西なのか、目印が無いので分からないのです。
このような赤いプラスチックの杭が所々に打ってあったので、それを目印に歩いていたのですが・・・ここで終点、先には歩けないのでここから降りるのかとも思ったのです。
でも下を見るととても降りていけるような道ではありません。仕方がないのでここから北の方へ行ける道は無いか、案内札は無いかとと探しながら、戻ったのでした。
案内札は見つかりませんし、北方面にも行けそうになかったので、元の避難所まで戻りました。そこから帰って途中文房具店で仔細報告ともどもお礼を言おうと思いましたが、工事が始まって道が塞がれてしまっていたので、海の方に帰ることにしました。この自動販売機の向こう側、道の入り口のところに大辺路の標識が有ります。これは駅から来れば気をつけていれば分かりますが、野凪の方から来たのでは全く分かりません。