ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

岸和田城

2013-04-19 05:00:00 | 大阪にて

岸和田に3年ぐらいの間住んでいたと書きましたが、おそらく岸和田城には一度も登ったことはなく、当時から岸和田城があったのかどうかも詳しくは知りません。50年近く昔のことですから、10年一昔とすればもう五昔も前のこと、私の住んでいた頃の岸和田は未だ田んぼの続く平地であり、理科の実験用のカエルを捕まえに行ったりもしたようなのんびりした時代でした。その後革新府政により春木競馬も廃止されていますが、昨今、カジノなる公営ギャンブルを誘致しようなどというけしからん計画を橋下市長率いる政党が提起したりして、世の中を不穏な方向へ導こうとしています。この人たちの真の考えは多くの人が泣こうが喚こうが、一部の人が儲かればそれでいいのです。儲かった方を勝ち組、泣いた方を負け組と称して分別し、さもそれが当たり前かのような枠組みを突き進めようというもの、決して安定した世の中を築こうというものではありません。

             

岸和田城の門を潜り天守閣に入る前に、庭の一種異様な雰囲気に圧倒された気持ちになります。それがこの庭、天守閣の上から見ると三層になっているのがよく分かります。『八陣の庭』と名付けられたこの庭は重森三玲氏によって設計監督されたものだそうで、室町以前の城郭平面図をもとに地取りし、所々に諸葛孔明の八陣法をテーマに大将を中心として天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇の各陣を配しているといいます。

             

天守からの眺め、西の方つまり大阪湾の方です。こう見ると阪神高速湾岸線で地と天が分かれているようですが、湾岸線以西にはいくつかの高いビルが建っています。逆にこちら側には高いビルが無く、如何にも庶民の街という感じがします。

             

こちらは東側、晴れていれば二上山や金剛山、葛城山が見られます。手前の建物は府立岸和田高校。

             

こちらは南側、和歌山方面です。手前の大きな邸宅は岸和田の財閥・寺田氏のもののようで五風荘と呼ばれていますが、何故か『がんこ』が使っていました。

ここで長男から電話、「2~3日前から頭が痛く、今日職場で倒れて病院に運ばれた」とか、血圧でも高いのかと思いきや「ただの偏頭痛」だとか、しかし「足が無いから迎えに来て」と言うので、手術でもして足を切ったのかとビックリです。考えてみれば足を切るような手術をして、すぐに迎えに来いはないでしょうし、車が無いと言うことかと思い直しましたが、長男は私が車で岸和田まで来ていると思っていたらしく、電車だと答えると「ホンナラもうエエわ」と言って切ってしまいました。

             

長男のことも気になりますが、「もうエエ」と言われたのですからもう少し見学を続けます。庭園に降りてきて八陣の庭の傍です。ここは所謂八陣のうちの雲の位置にあたりますが、そのような気配は感じません。

             

ずっと回って天守閣の対面、こちらは風の位置にあたります。

             

城郭を出るとお祭りの出店のテントがいっぱい、ここが陶器市かと思ったのですが、翌日から『お城まつり』なるイベントがあったようで、前日の賑わいだったようです。でもあの風雨の中で開催されたのでしょうか。それがこの堀の正面に見える白いテント群。堀に沿って右側に並んでいるのが陶器祭りの出店者たちでした。

             

もうつつじが咲こうとしています。陶器祭りは思ったより規模が小さく、個性的と言えば聞こえはいいのですが、私の感性と料金感覚が合わないので結局何も買えません。チラシまで作って人を呼ぶのですから、もう少し工夫をして欲しい、やはり信楽などで催されるものとは規模が違いますね。

             

ずっと堀を回って裏(東側)からの眺め、岸和田高校の前から撮っています。岸和田高校が岸和田城のすぐ裏にあるなんて、今の今まで知りませんでした。

             

平日の割には人通りも多く、ここは車も通行が出来るので、人は車を、車は人を「邪魔やなぁ」と思いながら譲り合っているのでしょう。人が写り込まないように撮るのも一苦労です。

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