ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

黄梅庵と伸庵

2013-04-17 05:00:00 | 田舎

堺市博物館を出ると(入る前でもいいのですが)公園までのプロムナードと言うべき道が30mほど続いており、ゆるやかな階段が付いた坂道を登ることになります。左側に端正な門があり、何だろうと気を惹きつけるものがあるので入ってみることにしました。もちろん、受付など無いので入場料は要らないと思っての入門、お金が要るとあっては苦慮の末に入らなかったかも知れません。

             

門を入るとすぐ右手に竹林があり、若葉の季節と相俟って清々しい気持ちになりました。庭園はきちんと整備されており、お金を払わなければ見せてくれない所などより、きれいに清掃が行き届いており、ゴミ一つ落ちていません。

             

右手の竹林に誘われず、左手の小道を選んで歩くと、小さなサクラの木と共に九重塔が佇んでいます。案内の碑を読むと嘉元4年(1306年)の刻銘があるようで、全面には阿弥陀如来が浮彫にされ、他の三面には梵字が刻まれてると書かれています。千早赤阪村小吹の浄土寺にあったものとか、浄土寺は明治の廃仏毀釈で廃寺になったとか、今地図上を探しても浄土寺は見当たりません。芝生の中に立入禁止とは書かれていませんが、近くまで寄って丹念に見ることはしませんでした。

             

庭園の中に有る二つの建物のうちの一つがこの『黄梅庵』、茶道のことなど全く無知の私ですが、この庵は江戸時代に奈良の高市郡の豪商・豊田家で使われていたものを昭和23年になって松永耳庵という数寄者が小田原に移築したとか、堺市が千利休のふるさとなので寄贈を受け昭和55年に再移築したのだそうです。

               

茶室などと言うと頭を低く垂れ腰を屈めて入ることを連想しますが、玄関は「広いやないか」と思ったりもしていたら、横に回ると小さな入り口がありましたが、入ってはいけませんと書かれていました。

             

『黄梅庵』を玄関から横、裏へ回る道を進むとこの『伸庵』の横に出ます。全体を撮るのに少し下がっていますが、ここは裏や横が見れるわけではありません。その代り中に入ってお茶を嗜むことが出来ますが、300円も取られます。私は無料で結構な数寄屋造りの建物を観るだけで満足です。どうも私は食堂で水臭いコーヒーを40円で飲んでいた頃に入社したので、その頃の価値観が抜けていないのかも知れません。

『伸庵』は数寄屋造りの名匠と言われた仰木魯堂という人が建てたもので、芝公園にあったものを福助株式会社が寄贈したと書かれていました。“お茶事にご利用下さい”との案内がありましたが、酒席にはダメなのでしょうね。

             

公園から博物館へのプロムナードは幅10mもあろうかというもので、左右を見ながら歩いていたわけではありません。こちらは入館前に左側にあった千利休の像、2年ぐらい前に読んだ本の中に『利休にたずねよ』というのがありました。もう内容は忘れてしまっていますが、今度映画化されるようです。長男に誘われて観に行った映画『相棒』(杉下警部は1シーンしか出てこなかった)の予告編で知りました。

             

その対面、つまり帰り道の左側にあった武野紹鴎の像、紹鴎は千利休の師匠ですが、大和出身の人で後に堺に移り住んだようです。天下茶屋にその像があり、都島の太閤園にも紹鴎の塔というのがありました。

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