ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

清水峠

2013-04-26 05:00:00 | 田舎

12時を回っていたのに神社とお寺を巡ったので12時半になりました。急いで昼食、浦神の集落の最も西側にある喫茶店『はまゆう』に入りました。ボリュームがあると近所では評判の定食を頂きましたが、私でも食べれるくらいの量、無理矢理コーヒーが付いていて850円ですから、決して安い昼食ではありませんが、42号線沿いを田原の方へ戻り、清水峠への道を分け入るには近いはずなので、この店に入ったのでした。

             

1時に店を出て、42号線を西へと向かいます。途中で那智勝浦町と串本町の境界の標識が現れますが、6~7年くらい前までは串本町ではなく古座町との境界でした。

             

その標識の手前に四角い石碑が建ててあり、少し読み難いですが、『口熊野奥熊野境界跡』と彫られています。口熊野は富田辺りで目にする字ですが、この浦神の手前までを言うものだったのでしょうか、何とはなく口熊野の領域が広過ぎるような気がします。那智勝浦に至って急に奥熊野というのも妙な言い回しではありませんか。口と奥の間に中があっても良さそうなものです。

熊野とはいったい何処までを指すのか、熊野詣の最終地は熊野三山(本宮・新宮・那智)ですが、伊勢方面からの参詣は伊勢道と呼ばれ、42号線にほぼ沿って伊勢方面から南下する道なのですが、尾鷲辺りから熊野街道と呼ぶようになると思うので、その辺りまでを熊野地方と呼ぶのかも知れません。でも伊勢方面からすれば尾鷲だって口熊野であることには違いありません。

             

地図にある車止めと道標を探しながら(車止めはいくつもあった)20分ほど歩くと目的の清水峠への入口がありました。

                 

この道標は東向きに立っているので、田原方面からの車では気付かず走り過ぎてしまいます。かと言ってこの前を新宮からの帰りに何度も通っているのに、この道標には一度も気が付いていませんでした。鎖には“清水峠へ行くにはこの鎖の横を通って下さい”と書かれたプラスチックの板が括りつけられていますが、別段横を通らなくても跨いで通れますが、私は足が引っ掛かってこけたら笑い者になるので、指示通り横を通りました。すぐ先、左側に道標が立っています。

             

ここにこの道標が立ってないとまっすぐ行ってしまいそうな雰囲気です。矢印の方向には普通なら行き難いと思います。

             

道幅は広くて歩き易いのですが、伐採された枝がいっぱい落ちているので足に絡んで歩き難いのです。

             

苔生した岩も熊野古道と言う名を偲ばせます。

        

ここはもう那智勝浦町の管轄なので、串本町の道標とは違った形(私は案内札という言葉を使っていた)をしているし、至る所に設置されているので数も多く、所々に休憩用のベンチも設置されており、那智勝浦町が大辺路に対して寄せている思いの大きさが感じられます。

             

清水峠を越えるとすぐに下り(峠ですから当たり前ですが)、良く陽が差す割には苔生した石が多いのが不思議です。

      

坂道を下ってから振り返って撮った写真です。降りる時に見る坂より、登る時の坂の方が感じが良いので、海蔵禅寺の方から登った方が良かったのかも知れません。

             

竹林と言えるほどのものでもない竹林を通ると、タケノコがニョキッと生え出しています。道の真ん中ですから掘っても怒られはしないでしょうが、掘る道具を持ってないので持ち帰ることが出来ませんでした。ここまで15分ぐらいかかっています。入口から浦神駅まで40分と書いてありましたから、未だ半分も来ていません。

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