ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

田並から野凪へ

2013-04-02 05:00:00 | 田舎

避難場所から戻りあちらこちらと歩きますが、なかなか突破口が開けません。細い路地をここか、あそこかと曲がるのですが、山へ登って行きそうな道は無いのです。途方に暮れて誰かに尋ねてみることにしましたが、人が歩いているような様子はありません。目立たないのですが本屋か文房具店のようなお店があったので、入って聞いてみると女性が出てきて、よく分からないと言いながら、「○×ちゃんなら知ってるかも」とか言いながら、先に立って歩いてくれます。路地をいくつか曲って「先に先生に聞いてみるわ」と言いながら玄関で喋っていた年老いた女性に尋ねますが、詳しいことは知らないと言います。そこで次の家に連れて行ってくれ、○×ちゃんという若い感じの男の人を紹介してくれて、山道の登り口を教えてくれるよう口添えしてくれました。

             

その方は5年ぐらい前にこの山の大辺路を整地した人だそうで、「もう長いこと誰も歩いてないから、道分からんかも」と言いながら、有田への道を勧めようとするのですが、私は野凪に車を置いているので絶対に野凪に戻らなければならないのです。野凪からは『あらなみ渡船』のところに案内札があるからと二人とも言うのですが、私は見つけていません。ただその『あらなみ渡船』の横に山へと入って行く道があったのは知っていました。

             

何ゴローとかいう人の名前みたいなところを上がると言いますが、そんなことを言われても私に解るわけがありません。きっとその人の家が登り口にあるのだろうと思ったのですが、案内されたのは先に登った避難階段、「ええっ?」思いながら、「あの壁の裏を通って上がる」と言われ、ここで丁寧にお礼を言って別れました。そして登る前に注視してみると左側に案内札があるのが見えていたのです。

             

先にこの案内札を見つけられていたら、田並の方々に迷惑をかけることもなく、私としても無駄足を運ぶこともなく、時間もかけることもなく大辺路を辿ることが出来たのでした。

             

しか、しここからがまたまた大変だったのです。円光寺を出て最初に避難路まで来た時間が10分、そこから再び避難路まで戻ってくるまでに20分近くかかっています。

             

すぐに登って行くのですが、男の方が言っていた通り殆ど道が分かりません。でも時々案内札が立っています。中には折れてしまって放置されているものもありました。

             

折れた竹や枝が積み重なって道らしき道はありません。未だ案内札を見ながら歩いているうちは良かったのですが・・・

             

急に広いところに出ますが、道はありません。人が歩いたらしきところを探しながら歩きますが、合っているのか間違っているのかさえ分かりません。

             

山の中に入ると人が積んだと思われる石垣が所々に見られます。ところが地図にある宝篋印塔が見つからないのです。山の中に入っているのでどちらの方向に歩いているのかも分からないのですが、かなり歩いたと思っていたのに田並の湾の消波ブロックが見えていました。ということは北へ歩かなければならないのに、西に向かって歩いていたということになりますが、歩いているとどちらが北でどちらが西なのか、目印が無いので分からないのです。

             

このような赤いプラスチックの杭が所々に打ってあったので、それを目印に歩いていたのですが・・・ここで終点、先には歩けないのでここから降りるのかとも思ったのです。

             

でも下を見るととても降りていけるような道ではありません。仕方がないのでここから北の方へ行ける道は無いか、案内札は無いかとと探しながら、戻ったのでした。

             

案内札は見つかりませんし、北方面にも行けそうになかったので、元の避難所まで戻りました。そこから帰って途中文房具店で仔細報告ともどもお礼を言おうと思いましたが、工事が始まって道が塞がれてしまっていたので、海の方に帰ることにしました。この自動販売機の向こう側、道の入り口のところに大辺路の標識が有ります。これは駅から来れば気をつけていれば分かりますが、野凪の方から来たのでは全く分かりません。

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4 コメント

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探検隊 ()
2013-04-02 05:34:25
未知の密林を歩く探検隊みたいですね。
それにしても、大辺路といいながら 荒れようはたまりませんね。中辺路ルートは有名なので整備され、王子と呼ばれるポイントもあるけど大辺路ルートは、これではまた埋没していくのでしょうね。

田並の皆さんは、親切にぼんくらさんを案内してくれたというあたりは、まだ古の旅ゆく人に優しい気持ちがあるんでしょうね。

それにしても 赤い杭のところから下りようとする・・・なんか 一枚岩の上?嶽の森山でもそんな無謀なことを考えませんでした?赤い杭は 山主の栽面(境界)杭かもしれません。「大辺路刈り開き隊」という有志のグループがありましたが、そのメンバーのかたでしょうね。すさみの方から 整備していたと思います
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この日は (ぼんくら)
2013-04-02 14:13:00
10時半ごろから歩き始め、結局3時ごろに野凪に着いたので、かなり歩きました。探検隊なら複数で行くけど、私一人の単独行動なのに(一人だったからか)、意外に時間がかかりました。

田並の文房具屋さんには感謝しています。

来週載せるけど、田並から有田への大辺路はきれいに整備されていましたよ。
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大辺路 田並 (暖流)
2013-04-13 22:11:59
田並の事を取り上げて戴き有り難うございます。このぼんくらさんが探検された山道を登ると頂上付近に「堤の宝篋印塔」が有り、串本町の文化財に指定されています。この丘を昔の人は「堤の丘」と呼びました。そこから西へ降りると、野凪の国道です。ぼんくらさんが野ナギから、登り口を探しても見つからなかった地点です。実は、この山道は、地元の村人が利用した農道で、所謂大辺路街道ではないのです。何年か前、熱心な中学校の校長先生が在任されていた時、大辺路街道として、生徒たちと共に整備した道です。大辺路街道は、今国道になっているもっと南側の切り通し(地蔵坂)を通るのが、本来の古道でした。勿論切り通しは無く、人が歩いて登り降りする山道でした。私が当時生きていたわけではありませんので、証明するものは有りませんが。大辺路刈り開き隊が整備してないのは、そう言う事だと思っています。(説明不足?)
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暖流さん、お久しぶりです (ぼんくら)
2013-04-16 22:28:13
和深から安指、田子、江田、野凪と大辺路を辿り、田並を経て有田まで歩きました。順番通りではありませんが、ちょっとづつ歩いています。その『堤の丘』では宝篋印塔を見つけることが出来ず、残念でした。野凪の登り口が分かったので、今度歩いてみようかと思っています。

以前に袋から橋杭までと古座川から田原への道を歩いているので、今月は田原から浦神へ歩いてみようと思っています。

また何か判らないことがあったら、教えてください。
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