おはようございます。
コンピュータサロンの社会と学校の視点の記事、バランス型人間を目指そう!!を紹介します。鈴木さんと一緒に仕事をしていた時、彼が私にインタビューし、前後に加筆し、5000字以上になりました。私の話は3タイプの話だけ、それに今の私が添削し、下記に掲載します。
①仕事人間はワークホリック
普通は4割程度でも、新人時代、システム開発はワークホリック、仕事人間ばかり。夜遅くまで仕事して、残業代を貰い、自慢。開発をミスし、納期に遅れ、お客様に謝らず、大声。代わりに何度も謝罪に行ったと中村洋四郎師匠が嘆いていました。
日本型システムで出世し易いタイプです。変化に対応しない古いこのタイプのトップは今もあちこちにいます。このタイプの部門は立ち上がりに強く、墜落は突然。このタイプを変えられた確率は1割以下と中村師匠が嘆きました。私も同感です。
②ファミリー人間は困ったちゃん
ファミリー人間のタイプは少数派でしたが、シャープの営業や工場にはいました。新興の大企業の重役にもいます。このタイプは慣習に縛られ、前例の無い発想を嫌い、革新的な人を潰し、義理と人情で組織を運営する、保守的な日本的な人です。
親分子分の関係を重視します。下は影でぼやきます。ボヤキ人間を減らすのは難問ですが大切です。このタイプは2割以下か。でも私も若い部長だった時、泣かされました。ファミリー人間を仕事人間にできません。逆も真。個の人間性がタイプの根幹です。
③バランス人間は極少数
④鬱タイプが大集団
バランスは大事ですが、上手いバランスは大変です。バランス志向の8割以上、全体の4割以上が鬱状態。ヘリコプターなら空中静止状態。性能機能と運転技量が必要です。エネルギー消費も大。人も同じ、オスプレイも同じ。風などの外乱に影響され、墜落しかねない。
今日はここまでにします。
この会社は毎年1000人の理系大学生を採用していました。3割しか1年持たなかったように聞いています。競争させてふるい落とし、優秀な人材を長期間こき使うつもりだったよう。
これは酷い例ですが、私がシステム企画をしていた時は、受託サービス会社はどこも似たような話がありました。
競争に負けて鬱になるのです。ブラック企業と言われた広告代理店も似たような話がありました。
負けたくない人が鬱になると私は思っています。私は野球部を辞めてから、負け続きでしたので、負けることに慣れていました。要するに競争させようと上役がすると、逃げたのです。三十六計逃げるに如かずが私の生き方でもあります。
逃げるところは、随時随所楽しまざる無しなのです。
ebisu先生はバランス人間の最たる人でしょう。仕事が趣味。お金ではなく、出世も関係なく、面白いからやったように思えます。要するに仕事も趣味にできる人。私の会社人間の定義がいい加減ですが、出征やお金で転ぶのが仕事人間だと思います。
玉突き、自転車、剣道、経済論、塾などすべて自己の欲求でやったように思えるから、時々の趣味だと言えるのでは。今は全部趣味が並列で成り立っている、素晴らしいバランス人間タイプだと思っていますよ。
私も野球、勉強、システム開発、企画、市場予測、創造性など出世に関係なく好きだからやったこと。今はブログと市民クラブが趣味。全くお金にはなりませんし、持ち出しだけです。
私はバランス人間だと思っています。若い時は悩みが多かった。次第に悩みの重さは減ってきて、今は体力だけが悩みです。動けなくなったらそのままあの世へ行きたいのですが、これだけは分かりません。
ebisu先生の足元にも及びませんが、生き方を参考にして、バランス人間で逝くつもりです。何時もご指導を頂きありがとうございます。
追記です。大阪選手は、自分をどう思いますかとの記者の質問に、自分は自分と答えたよう。テニスは楽しみ、趣味なのでしょう。お金のためや有名になりたいから小さい時から努力したのでなく、優勝は結果だったのでしょう。ラケットが市販品とはまさに趣味の人です。桁違いですが。
責任が重くなるほど鬱の社員が増えるように感じます。SEのなかには自死されるかたもいます。半端なスキルで大きなシステムを任されると危ない。
幸い、私と一緒に仕事をした外部SEはそれぞれの会社でトップレベルの技術者でしたから、そういうことがありませんでした。
大学を卒業して3年間紳士服の製造卸業で経理と生産企画をやりましたが、この時期はバランス型でした。残業はほぼゼロでした。大学に戻り修士課程が終わってから1978年に中途入社した産業用エレクトロニクス輸入商社では6年間ワークホリック型でした。いきなり5つの経営改革プロジェクトを背負わされたのと、システム開発に興味がいったからです。プロジェクトメンバーはほとんどが役員と部長職でしたから、実務部隊はわたしのみ。5つのプロジェクトを同時進行させながら、システム開発技術を磨くのですから、自然にワークホリック状態になりました。でも楽しいからストレスにはなりません、快適なのです。どんどん専門知識が増え、スキルが上がっていくのが実感できるので楽しい。
プログラミングから初めて、片っ端からシステム開発に関する専門書を読む、そして実際にシステム開発をやってみる、独学でした。オービックやNECの担当SEから技術を盗みました。
会計学や管理会計学、原価計算は専門家でしたから経営分析や外国為替管理、そして統計学やシステム開発に関するさまざまな技術はあらたに専門書で勉強しなければいけなかったからです。五年間で専門家になっていました。
管理会計学は日本の学者のレベルが低すぎて、米国で出版された本から学ぶしかありませんでした。システムと管理会計の複合分野をこなせる日本人の学者がいませんでした。
臨床検査大手のSRLに1984年2月に転職してから、最初の1年間だけワークホリックでした。経営統合システムの一部。会計および支払い管理システム開発と投資・固定資産管理システム開発を8か月でやったからです。36歳までワークホリック、その後は、バランス型でした。50%の出力で仕事してました。自分でやるのではなくて、マネジメントが仕事の中心になったからです。ビジョンつくりや、戦略目標設定と戦略策定、長期経営計画などに仕事がシフトしていきました。
本欄の記事を読み、コンピュータメーカではシステム開発を担当している社員に鬱状態の人がほかの業種よりも多いことにびっくりしてます。数千万円あるいは億円単位を投資したシステム開発がうまくいかなければ責任重大ですから、鬱が増えるのはうまくいかない案件が多い証拠でしょう。ユーザ側に実務設計ができるレベルの人がいればほとんど失敗がなくなるのでしょうが、滅多にいませんね。
そのあたりは、いまはどうなっているのか知りませんが、わたしの住んでいる極東の町の市立病院の電子カルテシステム導入の経緯を見る限りではそれほど状況が変わったとは思えません。パッケージを導入するだけでもたいへんなようです。
35年たってもユーザ部門のシステム理解レベルが上がっていないというのが実態のようです。