夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

イタリア旅行記 IN チヴィタ・ディ・バニョーレージョ

2020年02月20日 22時24分31秒 | イタリア🇮🇹旅行

・・・・・・・・・5日目・・・・・・・・

唯一バスタブ🛀の無かったホテル
ウォールアートを後にして
さあ
今日はこのイタリア旅行で一番
行きたかった所です。
この未だに名前を最後まで言えない
チヴィタ・ディ・バニョーレージョに行きます。

バスで約3時間・・・・・
そろそろかな・・・・・・と思っていると
あっ!あれかな?

何か天空の城のようですね。ワクワクです。

このチヴィタの歴史は、ローマより古く
2,500年以上前にエトルニア人によって
作られたそうです。

手前の町で私達はバスを降りて
シャトルバスに乗ってここまできます。


そこから坂を下って橋の入り口まで行きます。

橋の入り口まで着きました。
入場料を払って、いざっ!

15分ほどこの坂道の橋を渡っていきます。
長さは300mほど

このチヴィタは火山噴火によってできた凝灰岩で
できておりもろく、雨などの侵食を受け
またイタリア中部という
地震の多い土地柄もあり、これまでに
何度も地震にあい、
1764年の大地震においては、隣町に通じる
道が崩壊し、多くの住民が町を離れることになり
チヴィタは廃墟の町となりました。

やっとサンタ・マリア門に到着です。
きつかった!


現在のチヴィタの住民は10~15人程です。
ニャンコも含まれているの?
(ヤマト君を思い出しちゃった。どうしているかな)



本当に古い町です。


唯一の教会がありました。

古い質素な内部




大地震の後には、老人と崩壊した町が
取り残されて「死にゆく町」となりました。

有料のおトイレ。
女子トイレの前で待っていたら
管理しているおじさんが、男子トイレが空いたから
こっちに入ったらと勧めてくれたので
男子トイレで用を足しました。


「死にゆく町」はインターネットが発達した
今日、ここ20年程で世界の人達に
知られるようになりました。
そして年間30万人が訪れる
大観光地となりました。


廃墟と化したチヴィタ

現在のチヴィタ・ディ・バニョーレージョ


夕食時
同席した若い女性に
「モンサンミッシェルとチヴィタ・ディ・バニョーレージョと
どっちが良かった?」と聞いたところ
「断然モンサンミッシェルの方が良かった」
とのこと・・・・・・・・・・

あっそうなの・・・・・・・・


今日も来てくださってありがとうございます。


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