夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

イタリア旅行記 ㏌ ポンペイ

2020年02月22日 21時57分46秒 | イタリア🇮🇹旅行

・・・・・・・6日目・・・・・・・

イタリアに来て初めて、
空模様が怪しい朝です。


オッサン2のリュックサックに、傘を2本入れての、
イタリア最後の観光はオプショナルツアーで
ナポリとポンペイ遺跡に行きます。

ミモザの花が咲いていました。

ローマから250㎞南下して
途中休憩を挟んで約3時間でポンペイ遺跡に
到着ですが、その前にお約束の

カメオ工房に立ち寄ります。
でもカメオは既にヴェネツィアで購入済みです。
同じ様なお花のカメオを探しますが
見つけることはできませんでした。
妖精の顔が多いようです。


貝を彫っているところです。


カメオ工房を出ていよいよ
ポンペイ遺跡です。


ポンペイ遺跡はナポリの南東22㎞の所にあり


都市の8割が発掘され、60以上の遺構を
見学できますが、あまりにも広大なため
ガイドさんが見どころを押さえて
案内してくれます。

この植物は遺跡の壁画にも
描かれているとか・・・・・



当時は海に面した活気ある港町でしたが
西暦79年8月24日に起きたヴェスヴィオ火山の
噴火により火山灰、火砕流、土石流に襲われ
僅か2日間で跡形もなく埋もれてしまいました。


約5,000人を収容できた大劇場。
悲劇や喜劇を主に上演したとか・・・・・


両側が歩道で中央が車道です。
車道には今も荷車のわだちが残っています。


飛び石の横断歩道。



共同浴場(テルマエ)は社交場としての
機能も果たし、男女別に分かれ脱衣所も
ありました。

ポンペイには約25軒もの買春宿「ルパナル」
があり、

外国人にも分かるように
サービスの内容を表すフレスコ画が
鮮明に残っています。



この様なベッドも残されています。

街の目抜き通りのアッポンダンツァ通り

一般市民は各所に配置された泉に
水を汲みに来ましたが

富裕層の家には水道が引かれていましたし
この様なモザイクタイルが敷かれて
玄関にはアトリウムと呼ばれる水盤を置いた
スペースがあり、雨水を溜めていました。

また発掘により
豪商の家では堅固な金庫が見つかり、
そのそばで主人が、財宝をかき集めたままの姿で、
息絶えていたそうです。


アポロ神殿


当時のポンペイの人口は、
15,000~20,000人でしたが
町の北西10㎞にあるヴェスヴィオ火山の
噴火により、押し寄せた火砕流や有毒ガスにより
一瞬にして、約2,000人の人が犠牲となり
5mの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が
当時の人々の生活をそのままの状態で
保存しました。


生き埋めになった人達が、後に発掘された時には
遺体部分だけが腐敗消失し、
火山灰の中に空洞ができていました。
考古学者達はここに石膏を流し込み、
逃げ惑う市民の最後の瞬間を再現しました。


母親が子供を襲い来る火砕流から守ろうと
した様子や、飼い犬が悶え苦しむ様子などが
生々しく再現されました。


たくさんの出土品。

1748年に本格的に発掘が始まり
多くのワインを運ぶためのつぼが出土し
主な産業はワイン醸造だったことが伺えました。



また「ポンペイレッド」という

壁画の鮮烈な色合いや、地中から次々と
現れるローマ時代の遺品の美しさの秘密は
火山灰を主体とする火砕流堆積物の成分には
乾燥剤として用いられるシリカゲルのような物が
含まれていて、湿気を吸収しました。
この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため
壁画や美術品の劣化が最小限に
食い止められたといいます。

ポンペイの悲劇が皮肉にも
古代ローマの栄華を今に伝えることに
なったのです。



遺跡の出口で

猫のキャットフードを横取りして
食べるワンちゃん。


ポンペイ遺跡を後にして
ナポリへ

交通規制により
添乗員さんから街に入れないかもしれないと
言われていました。が
大丈夫でした。

車窓観光のみです。

ヌオーヴォ城

凱旋門のレリーフが見どころらしいのですが・・・・・



プレビシート広場かな?

ウンベルト1世のガッレリア


洗濯物を干しているのが
いかにもナポリっぽい。


ナポリのプレビシート広場辺りを
バスは1周して、再びローマを目指します。
イタリア最後の観光が終わりました。

(ほぼここまで書き終えていたブログを
不注意で消してしまいました。2度同じことを書きました。
ふぅ疲れました。寝ます。)


今日も来てくださってありがとうございます。




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