相変わらずの粗食です。

お粥、豆腐、味噌汁、青菜、果物
今日は、焼きそばではなくビャンビャン麵
すべて少しずつですが、少しだけ食欲も出てきて
ビュッフェ全体の写真を撮る気持ちも
出てきました。



ここでは温かい麵類を出していました。
明日はこれに挑戦しょうと思ったら
明朝は朝5時出発なので、こちらで
朝食は取れません。残念だ!

さて今日も8時出発のバスで
秦王朝時代の首都だった咸陽(かんよう)へ

阿房宮遺跡(あぼうきゅう)公園では
市民が太極拳やダンスを演じている。

これはムチのような物で回す駒。

咸陽は風水によって造られた都市で
山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの
水辺の北側を陽という。
この都市は九嵕山(きゅうそうざん)の南、
渭水の北にあたり「咸(みな)陽」なために
この名前がつきました。

今はなんにもないこんな所です。
かっての栄華の跡は見られません。

紀元前352年に秦の孝公が咸陽城を造り
都をここに移した。その後始皇帝により
阿房宮造営の大規模な工事が行われ
巨大都市になっていった。
紀元前206年に阿房宮は項羽により焼き払われ
その時の炎は3か月も消えなかったと言われている。
ガイドの単さんが項羽嫌いの史実が
ここにもありました。

中国人が思う中国の英雄は二人。
一人は毛沢東、もう一人は始皇帝。
死して2000年後に年間1000万人もの
観光客が訪れる兵馬俑坑。
その経済効果は、計り知れない。
不老不死の薬を求めて
巡遊に出た始皇帝は、宮殿の学者や医師らが
処方した不死の効果を期待する水銀入りの
薬を服用していたという。
紀元前210年、始皇帝は50歳で
河北省邢台市にて崩御する。
どんな偉い人間でも
免れることができない死。
だが死して尚、2000年後の世界に
経済効果を生み、名声を轟かせた人間は稀有
ではないでしょうか。
次に行った所は・・・

立派に見える看板だけど
近くで見ると紙を貼っていた。

こんな感じの建物が建っていたらしい。

両側の大きい物は、下水道管。

外に出ます。

秦の咸陽宮はこんな所に建っていた。


秦咸陽宮遺跡博物館を出て

13年前とは大違い
道にはチリ一つ落ちていません。
「街をキレイにしよう。チリを落とすな」
という看板は至る所にありましたが・・

明時代(1371年)に建てられた
孔子廟の敷地内にある咸陽博物館へ


木蓮はまだ蕾
咲いている所もありましたが


ヒヨドリに似ているけれど・・・
インドハッカかなぁ

これは下水道管のろ過装置。


中国古典庭園のおなじみ月洞門(げつどうもん)


思わず「可愛い!」と歓声が上がった
漢代のミニ兵馬俑。

これらは鋳型に粘土を詰めて
大量生産したもので、兵馬俑と違い
同じ顔をしています。


これはガイドさんが馬を繋いでいたものだ
と言っていたような・・・・


桃の花

中国古典庭園には桃の花が似合う!
さあランチです!
少しだけ食欲も出てきました!



ガラスポットには熱いお茶が

黒いのはキクラゲ、そんなに辛くなくて
どれも美味しかった。
ここでも少しずつ頂きました。

バスの中では、ガイドの単さんが
お土産のお菓子の試食のサービスです。
このツアーはお土産物屋さんに寄ることもなく
北京に行った時は、ラテックスとかシルク寝具とか
民芸品のお店に行くことが多くて、店員さんの
接客がしつこ過ぎて閉口したけれど・・・・
この度のコロナで多くのお土産物屋さんが
倒産したらしい。

中はドライナツメが入っていて
思いがけなく美味しかった。

クミン味のスナック菓子。

今回これだけ買いました。
何種類かを組み合わせて6袋で
200元(4400円)

今回、成田空港で10,008円を
元に両替して450元を持って行きましたが
おっさん2はアルコールがダメで
ばあさんは体調不良でアルコール類が飲めず
だから元が全然減らないの
あっ青龍寺で御朱印帳を買いましたね。
それとこのお菓子の200元。
それだけでした~
明日は西安最終日です。
今日も来てくださってありがとうございます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます