奈良から東へ30kmくらい、伊勢湾岸から30kmくらいか、紀伊半島の付け根の中央付近に、山に囲まれた伊賀上野の街が広がる。高原に出来た盆地である。
ここには戦国時代織田信長の徹底した焼き討ちに逢うまで、特定の領主が居なかった伊賀の里がある。
それまでは地元の多くの豪族が、勢力を拮抗させてバランスを保っていた。ここに忍者の発生のルーツがあるようである。
江戸時代には松尾芭蕉も生まれた里である。
忍者の資料博物館があり、横でショーがある。鎖鎌の技を披露している。この二人は兄弟だそうである。どちらが兄でしょうか。
居合い抜きの燕がえしも鮮やかに。
ここには戦国時代織田信長の徹底した焼き討ちに逢うまで、特定の領主が居なかった伊賀の里がある。
それまでは地元の多くの豪族が、勢力を拮抗させてバランスを保っていた。ここに忍者の発生のルーツがあるようである。
江戸時代には松尾芭蕉も生まれた里である。
忍者の資料博物館があり、横でショーがある。鎖鎌の技を披露している。この二人は兄弟だそうである。どちらが兄でしょうか。
居合い抜きの燕がえしも鮮やかに。
その名前を聞くとなんだかワクワクします
時代劇やアニメの見過ぎかな(笑)
そういえば松尾芭蕉は忍者だったという説を聞いた事ありますよ
私は昔日光江戸村でこういうのを見たことがあります。
すごいですよね、「体どうなってるの?」って感じ。
自分にも息子にも(当然主人にも)絶対にマネできません~
ちょんまげにしている方がお兄さん??
(なんとなーくそんな感じ)
現代の子どもが、ロボットの戦士で遊ぶように、忍者ごっこだったですね。口に巻物を咥え、両手を組んで、指を立てて、十字を切り、姿を消したなどなど・・。
芭蕉は諸国の情報収集だったかもしれませんね。
ちょんまげの方が弟と聞きました。兄はやられ役でした。
居合いの術で、真剣の刀で巻き藁を切った早業は迫力がありましたよ。
祭日はもっと登場人物が多いのでしょうね。この日は伊賀上野の秋祭りで、皆さん街中のだんじり見物だったのでしょうか、割合ひっそりとしていました。