昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

古墳時代の丹波・但馬地方2

2014-11-14 | 歴史・文化遺産
舞鶴道の春日ICから西へ和田山方面までの道路が、無料の専用道路になった。

下の概念図で、青い丸の付いているのが、道の駅「但馬のまほろば」が現在地です。
左下に、字が薄いのですが、売出し中の「竹田城跡」があり、中央に「茶すり山古墳」が見えるでしょうか。





自動車専用道路が、この古墳の直下を通過して、今はトンネルになっている。




左:道の駅の休憩所   右:発掘された円筒型埴輪。
 



鉄の刀も発掘された。刀身の写真は横になっています。AD4-500年とされる。






茶スリ山古墳から出土した勾玉など。





鎧も発見されている。鉄の鎧でなくて皮のようである。
 


銅鏡も発掘されている。



勾玉など。翡翠は立派な緑色である。



古墳時代の丹波・但馬地方

2014-11-13 | 歴史・文化遺産
やっと、朝から秋晴れと言える青空が見えた。
それが理由で午後から丹波路へと向かった。舞鶴自動車道は快適に走る。

丹波の国の野山はすこし色付いている。



春日ICから青垣町に回り、トンネルを抜けると、日本海までが近くなった気がする。
和田山までが無料区間で車は少ない。途中に道の駅がある。

左:富有柿が瑞々しい。
右:その横には、この地方の古代を再現するパノラマなどがある展示館がある。
 


高速道路が、野山を駆け抜けて多くの文化財となる古代遺跡が犠牲になっている事が判る。。

古墳時代から、古代の近畿圏の豪族の支配権が届いていたことが分かる。



工事で発掘された石棺、奈良の明日香でもよく似たものを見たことがある。
 



兵庫県の南半分の地図に各地の代表的な古墳の配置図がある。
この地図では、丹波から但馬への国境付近に、ここの道の駅が出来ています。




古墳時代の、人々の生活のイラストが並んでいる。
 



左:集落がそれぞれ覇を唱えることで、戦いが起こります。右:ついに「但馬王」が統一します。
 




やがて、武器は埋められ、銅鐸などを使用する平和な時代が訪れます。



「但馬王」が時代を謳歌しています。




「倭の王」との軋轢を避けるためにも、「但馬王」には多くの贈り物が送られたそうです。


いろいろな説があると思いますが、ここの展示の展開も一つの説でしょう。古墳からの出土品は次回です。


長岳寺(秋)03

2014-11-11 | 歴史・文化遺産
早春ならず早秋でしたね。

天理市の石上(いそのかみ)神宮から南へ、桜井市のつばいち観音までの中間あたりの長岳寺。



本堂の奥に、大師堂がある。



その前庭では、いろいろな塼仏(せんぶつ)などが並び、あっち向きこっち向き、リズムがある。



本堂の正面の池を廻ってきた。紅葉は10日も早いか。



少し池の西に廻ると、ハウチワカエデが色付いていた。



鐘楼門の横に咲いていたトリカブト。毒のある花は美しい。



切株にできたサルノコシカケ(地衣類)



後方に枝垂れ桜の骨組が見えている。



寺の庫裡の中庭で、猫の集会をやっている。



この大きなリンゴのような柿はやや扁平になる品種。
瑞々しくて美味しいが、今日は販売していなかった。




寺を出て西を見ると奈良盆地が広がる。ここは古代文化の発祥地。遠望は生駒山。

倭建命(やまとたけるのみこと)の辞世
「やまとは国のまほろば たたなづく青垣 山隠(やまごも)れる 倭(やまと)し 美(うるは)し」
                         

長岳寺(秋)02

2014-11-10 | 歴史・文化遺産
境内の池の紅葉は盛りには少し早いようです。



本堂では「地獄絵図」が公開されている。




横に、かなり古く見える石塔が見える。




アジサイの葉が少し色付いて、黄葉のモミジが映える。





本堂の軒にある天井には、足跡の形が残り、「血天井」と言われる。





当寺の熱心な和尚の話が楽しい。11月の土・日に絵解きがあります。

釜の口大師長岳寺に残る地獄絵図110面の掛け軸がある。
死後四十九日間の審判の後、満中陰志を迎えるまでの絵解きの図がある。
2007.06.06と2008.11.08に、一部ですがアップしています。


長岳寺(秋)01

2014-11-09 | 歴史・文化遺産
秋のモミジには少し早いが、山の辺の道沿いの長岳寺を訪ねる。
総門の門標には、「釜の口山長岳寺」とある。

ここに大きな柿を地元の人が無人販売をしているのを購入しようと思ったのでした。
今回は見なかった。



駐車場の横で、親子の猫が寛いでいる。4匹のDNAの異なる子猫が生まれたものです。




参道沿いの柿は実っているが、今は販売していない。





300mほどの参道。5月のサツキもよく知られている。
  



蔦が鮮やかに発色している。





戦後になって、国宝の指定について見直されたことがある。
当時、多くの古刹で、国宝と呼ばれていたのが、国重文に変わったことがある。ここもそう。




境内の入口にある楼門は軽快な感じであるが、楼上に釣鐘があるので、鐘楼門とも言われる



横にある解説板。824年創建とある。

2007.11/16,
2006.11/30,
2006.11/08,
2006.11/07,
2006.01/07,
でもアップ


神池寺(丹波の古刹3)

2014-11-08 | 歴史・文化遺産
濡れたカエデが光ってる。



不動明王も濡れている。



天下を争う都の戦いで、この村の衆は出陣して戦い全滅したという史実の記録がある。
 「丹波の国神池の衆徒80余騎が、京都五条の洞院まで攻め入ったけれども、味方が引いたのも知らずに戦い、備中国の住人庄三郎・真壁四郎三百余騎に、取り込められ、一人も余さずに撃たれてしまった。(太平記巻第八より)」





少し隣りの丘の方へ進むと、紅葉が美しい。

秋の色のコラボが綺麗。



ヤマハゼの秋。





紅葉は四分くらいの赤か。




山の崖沿いの池はまだ緑、この池は、樹上で産卵するモリアオガエルを初めて見た記憶がある。




カエデの巨木。




丹波比叡とも呼ばれる妙高山でした。




総門を出てから少し行くと、この谷だけが紅葉している。植林かも知れない。



神池寺(丹波の古刹2)

2014-11-07 | 歴史・文化遺産
参道の途中にあった平重盛の宝篋印塔などまでがあるのも、善男善女の参詣を慰める。




頂上近くの広場に本堂などの伽藍が並ぶ。紅葉に染まり行くカエデが見られる。




和尚が庭の植木の剪定をしていたりする。




この池は瓢箪池と言うのでしょうか。スイレンと共に良い風景です。




塔頭の一つ常行堂の前にも古色の中を華やかに見せます。





更に奥の広場にもお堂がある。




山頂ほどには寒くないのは、お参りする人たちの熱気だろうか。




お堂の裏が、ちょうど光の届かない空間です。赤が一層元気な色であると判る。



枝の先端だけ赤くなっている。境内の草引きをしている人はここの檀家衆だろうか。



神池寺(丹波の古刹)

2014-11-06 | 歴史・文化遺産
まだ紅葉は足並みが遅い。けれども、少し北へ行けば、少し里山まで標高を上げればと、北に向かって再びドライブ。紅葉はどうだったのでしょうか。

昨夜の雨がまだ残っている空を見ながら走ります。
 




舞鶴道春日ICを下りて丹波路を北へ向かう。市島町で東へ折れ、妙高山に向かう。




数分で、妙高山の入口になる。総門の標石もある。
 




寺の門標が建っている。「妙高山神池寺総門」とある。




山中の谷間に入った所で、見事な紅葉を見せる林を見つけた。




平重盛は父清盛の嫡男であったが、父が政治で暴走する時に、諌めるなどしていた、正二位内大臣を勤めた武将である。
彼の人徳は、この地方にまで良く知られ、この地にまでも足跡があったと言う伝説のような気もする。 



歴史が残る柏原藩城下町end

2014-11-05 | 歴史・文化遺産
 兵庫県、丹波の国、篠山の北3-4里ほどにある柏原(かいばら)の街は城下町です。
戦国時代が終わり徳川の時代は、護りこそ固めたが、戦いとは縁がなくなり明治を迎える。
 三階建ての太鼓櫓が見える。事あるときはここから村中に合図をする。
現代の火の見櫓らしい骨組みも背後に見える。




さて、城下町の道をたどると、初代当首の織田信包(のぶかね)の石像がある。
彼は織田信長の弟だと言う。


お殿様の系図




その横に、下駄を履いた女の子の「見返り娘?」の石像が建っている。
彼女こそは「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」と言う名句をつくった娘である。
 


田ステ(でん すて)女性を表すために「女」を付けて(すてじょ)

二の字二の字は、1年生の頃だったか、初めて親から聞いた俳句でしたね。




柏原藩の藩主(お殿様)の初代織田信包(のぶかね)の陣屋が復元されている。



織田信包の住まいした屋敷。
 
門長屋の奥に見える玄関と道路の標識。
 


歴史が残る柏原藩城下町2

2014-11-04 | 歴史・文化遺産
木の根橋の袂には、明治の雰囲気の、元役場の建物が保存されている。
今も役所の建物として活用されている。




故郷まち興しで、観光にも力を入れている。まだまだ見るところがありそう。




城址の長屋門の近くに「建勳神社」がある。言わずと知れる織田信長をお祀りしている。
 
織田信長の家紋に相似している。




丹波市の山間部から、恐竜の化石が出てきて話題になったことがある。曰く「丹波竜」。
 




城下町の武家屋敷が並んでいたらしい場所の街並み。




検察庁の支部があり、良く手入れされている日本庭園である。




柏原藩の大手門通り、鄙びた農家の藁屋根ですね。



昭和11年に、野口雨情がここを訪れ、柏原小唄の作詩をしている。今でも盆踊りで歌われていると言う。