今度の演劇に中に出てくる台詞。
「あれがなければ私たち全員、生涯が変わってたと思う」
あれというのは、人間の狂気がもたらした悲惨なある殺人事件のことをいっている。
そのことのために関係者が後悔に苛まれながら不幸な人生を送ったという設定になっている。
ある程度不可抗力の事件ではあるのだが、良心の呵責という感情は尾を引くかもしれない。
その光景に何十年も引きずられて苦しむ。
ただ何となく違和感を感じるものがあって納得できない台詞だ。
私自の人生については、あれがなければ人生が変わっていただろう、というような事件はなかったし、そういう捉え方もしたくない。
良いことにしろ悪いことにしろ、そのことで人生が変わったとは思いたくない。
逆にそんなことで人生変えられてたまるか、という気持ちになる。
現実には日々の出来事がその後の人生に影響を及ぼさないはずがない。
就職した会社、結婚した女房、親しくした友人、いろいろの失敗と成功、誹謗中傷、人との別れ、全てその後の人生を変えているはずだが、もっと別の人生を歩めたはずだったという後悔には結びつけたくない。
全て自分が選択した人生と考えて生きていくべきだ。
今日のテレビである老齢の女性歌手が「何があっても、めげない生き方」を心情にしているという意味のことを言っていた。
小さいころから世の辛酸を舐めてきて、病気と闘い生きてきた人が言うと、思わず納得してしまう。
人生を生き抜くための悟りの境地に達しているような言葉だ。
「あれがなければ私たち全員、生涯が変わってたと思う」
あれというのは、人間の狂気がもたらした悲惨なある殺人事件のことをいっている。
そのことのために関係者が後悔に苛まれながら不幸な人生を送ったという設定になっている。
ある程度不可抗力の事件ではあるのだが、良心の呵責という感情は尾を引くかもしれない。
その光景に何十年も引きずられて苦しむ。
ただ何となく違和感を感じるものがあって納得できない台詞だ。
私自の人生については、あれがなければ人生が変わっていただろう、というような事件はなかったし、そういう捉え方もしたくない。
良いことにしろ悪いことにしろ、そのことで人生が変わったとは思いたくない。
逆にそんなことで人生変えられてたまるか、という気持ちになる。
現実には日々の出来事がその後の人生に影響を及ぼさないはずがない。
就職した会社、結婚した女房、親しくした友人、いろいろの失敗と成功、誹謗中傷、人との別れ、全てその後の人生を変えているはずだが、もっと別の人生を歩めたはずだったという後悔には結びつけたくない。
全て自分が選択した人生と考えて生きていくべきだ。
今日のテレビである老齢の女性歌手が「何があっても、めげない生き方」を心情にしているという意味のことを言っていた。
小さいころから世の辛酸を舐めてきて、病気と闘い生きてきた人が言うと、思わず納得してしまう。
人生を生き抜くための悟りの境地に達しているような言葉だ。