Toshizoh's Bar

大阪を愛する編集者トシゾーのほろ酔いメッセージ。

和漢朗詠集 酒の23

2006-06-26 22:47:23 | Weblog
邑(ゆふ)は建徳に隣うして行歩にあらず
境は無何に接してすなはち座亡す  後中書王

酔郷という土地は建徳という国の隣で、歩いて行くには及ばない。
無何有の郷に接しているので、ここに入れば全てをたちまち忘れてしまう。
酒に酔えばそこが、酔郷なんですよ。

まあ、なんてことない内容の詩なんですが、根底には『荘子』の考えがあるんですな。
う~む、ワシの酔い方もまだまだ幼いわい。

和漢朗詠集 酒の22

2006-06-25 23:22:03 | Weblog
先づ阮籍に逢うて郷導と為す
漸くに劉伶に就いて土風を問ふ   酔郷に入る  橘相公

阮籍という人は、竹林の七賢の一人で、酒好きで琴の名手。劉伶も七賢の一人で、もちろん酒好きで酒徳頌をつくった。
酔郷に入るのは、粋人に会いに行くためさ、なんてうそぶきながら酒を飲む心地でしょうか。
飲まないやつにはわかるめえ、ってとこですな。

和漢朗詠集 酒の21

2006-06-22 22:34:47 | Weblog
菓(くだもの)はすなわち上林苑の献るところ 含めば自ら消えぬべし
酒は下若村の伝ふるところ 傾くれば甚だ美なり  江

下若村とは江南道の酒の名所だそうな。美味しい酒を、とくに贈り物だったりする酒を飲んだとき、こう歌って喜んだのかも知れませんな。
酒のありがたみや、飲む喜びが伝わってくるでしょ。

ワールドカップに思う

2006-06-21 14:02:33 | Weblog
いつもながらの決定力のなさだが、とりわけ目につくというか目にもつかないほど影の薄いのが高原だろう。なぜさっさと代えないのか腹立たしいくらいだが、思えば直前のドイツ戦での活躍が不幸な幸運だったか? あの活躍がなければさっさと代えていたかもしれない。うまいだけじゃダメなんだろうね。肉食獣のような攻撃性が必要なんだ。

和漢朗詠集 酒の20

2006-06-20 22:16:20 | Weblog
酔郷氏の国には 四時ひとり温和の天に誇る
酒泉郡の民 一頃だにもいまだ沍陰の地を知らず   匡衡

酔っぱらいの天国ではいつものどか。いやはやまったくたいしたもんだ。
酒の泉のある国に、暮らす人は寒さに凍った土を見たこともないんだよ。

つまり、いつものどかな土地がないいじょう、人は酒を飲むんだよ。
何処かで土地が凍るかぎり、酒の泉がいるんだね。

和漢朗詠集 酒の19

2006-06-19 21:45:34 | Weblog
もし栄期をして兼ねて酔ひを解らしめしかば
四楽とぞ言つつべからまし三とは言はざらまし  白

栄啓期が酔う楽しみを知っていたら、三楽といったように楽しみを三にとどまらせることなく、酒の楽しみを入れて「四楽」といったことだろうね。

和漢朗詠集 酒の18

2006-06-15 22:27:53 | Weblog
茶はよく 悶(いきどおり)を散ずれども功をなすこと浅し
萱(わすれなぐさ)は憂へを忘るといへども力を得ること微なり  白

お茶もわすれな草も酒にはかなわん、という詩なんですが、一言も「酒」とは書いていない。でも、酒なんだよね。いわずもがな! 

和漢朗詠集 酒の17

2006-06-14 22:16:51 | Weblog
生計抛ち来つて詩これ業なり
家園忘却して酒を郷となす   白

なりわいをうちすてて、詩人となった。
家のことなど忘れ果て、酒がいまや私のふるさとだ。

今でこそ、こんな人いますわな。そりゃ酒が安くてそこかしこにあるからで、この漢詩が作られたころ、和漢朗詠集が読まれた頃、この詩が愛唱された、ということをどう考えたらいいのか、考えれば楽しい悩み。
詩人(当時なら和歌の作家であろうか)になろうものなら、家畑を失ってしまうで、という警句なんでしょうか。それとも、詩で一山当てれば、田舎から脱出して都で酒浸りの生活が送れまっせ、という詩か? ストレートにしんき臭い意味で読むことを楽しんでたとは思えないんだけどなあ。

能勢まで朗読会に行ってきた

2006-06-14 12:36:22 | Weblog
11日の日曜に能勢の浄瑠璃シアターに「美しい日本語の泉」というイベントがあるというので行ってきた。内容がよくわからんかったが、ダメもとでツーリングがてらでかけたのだった。ホールに遅れて入ると人の多さにびっくり! 朗読会の独特なムードにどっきり! しかし、聞いているうちに引き込まれてしまいました。
心の荒廃が悲惨な事件の数々を引き起こしている昨今だが、その原因の一つに言葉の荒廃もあるにちがいない。
言葉の大切さ。可能性を確信できたイベントだったのだ。