時間あいたら寄って下さいね〓
【BAR DIVA】
8日(月)10日(水)
15日(月)17日(水)
北区曽根崎新地
1-5-20大川ビル3F
06-6344-0115
2号線沿いです。
四つ橋筋よりにファミリーマートが二件あり、その間に酒屋、2つに分かれる道
一階は外国人バー、二階はメキシコ料理
20:00~23:00
男性¥3.000_
女性¥2.000_
2時間(カラオケ)
飲み放題、歌い放題
【JAZZ BAR 96】
8日(火)15日(火)
20:00~23:00
大阪市北区曽根崎新地1-2-29日宝ノースビル3F
06-6341-0096
(JAZZ生演奏)
TC¥8.000~
【BAR IT IS】
☆12月18日(木)☆
20:30~23:00
大阪市中央区心斎橋
2-3-2クイーンズコートビル1F
06-6213-0600
(JAZZ生演奏)
charge¥1.000_
【RUG TIME OSAKA】
☆12月26日 (金)☆
19:30/21:00/22:15
大阪市中央区心斎橋
2-6-14アクロスビル4F
06-6214-2306
charge¥2.500_
今年最後のスペシャルライブ〓
黒人のドラマー、ラリーと共演〓バイオリニストのグッチも登場〓盛大なライブになりそう〓
是非是非いらして下さ~い〓
ヨロシクお願いしま~す。
【BAR DIVA】
8日(月)10日(水)
15日(月)17日(水)
北区曽根崎新地
1-5-20大川ビル3F
06-6344-0115
2号線沿いです。
四つ橋筋よりにファミリーマートが二件あり、その間に酒屋、2つに分かれる道
一階は外国人バー、二階はメキシコ料理
20:00~23:00
男性¥3.000_
女性¥2.000_
2時間(カラオケ)
飲み放題、歌い放題
【JAZZ BAR 96】
8日(火)15日(火)
20:00~23:00
大阪市北区曽根崎新地1-2-29日宝ノースビル3F
06-6341-0096
(JAZZ生演奏)
TC¥8.000~
【BAR IT IS】
☆12月18日(木)☆
20:30~23:00
大阪市中央区心斎橋
2-3-2クイーンズコートビル1F
06-6213-0600
(JAZZ生演奏)
charge¥1.000_
【RUG TIME OSAKA】
☆12月26日 (金)☆
19:30/21:00/22:15
大阪市中央区心斎橋
2-6-14アクロスビル4F
06-6214-2306
charge¥2.500_
今年最後のスペシャルライブ〓
黒人のドラマー、ラリーと共演〓バイオリニストのグッチも登場〓盛大なライブになりそう〓
是非是非いらして下さ~い〓
ヨロシクお願いしま~す。
八切止夫著 朝日新聞社 昭和47年
なかなか笑えるおもろい本だった。示唆に富み、正直にものいえばニヒリストに映る、というわが身を直せ的な本なんだがやっぱり面白い。
木枯紋次郎が「上州新田郡の貧しい農家の生まれだったという」というナレーションを思い出し、それがあながちええかげんな事でないことがわかり、慄然ともする。
アイヌと縄文人は違う。沖縄人とも違う。
現在まで差別が残っているのは、征服した原住民を根絶やしにしなかったから。大陸と違って。
源氏物語に関しては爆笑もの。だけどきっとそんなもんだよ。「源氏物語1200年」とかいってイベントをやってるが、それに加担にしてなくてほんとによかった。
藤原と書いて「トウゲン」とよむ。トウゲンは「桃源」である。「百済や高句麗の兵を追って日本にきた唐の兵に踏み込まれ…」その兵から見たら日本は桃源郷だったのかも、という推論は結構面白い。予想もしない発想であった。
仏教の受容ならびに漢字の受け入れというのも、「はいそうですか」てきなものではなかったはずである。
ただ、ここで忘れてならないことは、縄文日本人がただの野蛮人ではなかったということである。三内丸山にしろ、1300年都市を維持していた民族なんである。現在よりよほど精神的には高い文明をもっていたと考えても誤りにはなるまい。
こんな本と出合えるから、古本屋通いはやめられない、んだな。
なかなか笑えるおもろい本だった。示唆に富み、正直にものいえばニヒリストに映る、というわが身を直せ的な本なんだがやっぱり面白い。
木枯紋次郎が「上州新田郡の貧しい農家の生まれだったという」というナレーションを思い出し、それがあながちええかげんな事でないことがわかり、慄然ともする。
アイヌと縄文人は違う。沖縄人とも違う。
現在まで差別が残っているのは、征服した原住民を根絶やしにしなかったから。大陸と違って。
源氏物語に関しては爆笑もの。だけどきっとそんなもんだよ。「源氏物語1200年」とかいってイベントをやってるが、それに加担にしてなくてほんとによかった。
藤原と書いて「トウゲン」とよむ。トウゲンは「桃源」である。「百済や高句麗の兵を追って日本にきた唐の兵に踏み込まれ…」その兵から見たら日本は桃源郷だったのかも、という推論は結構面白い。予想もしない発想であった。
仏教の受容ならびに漢字の受け入れというのも、「はいそうですか」てきなものではなかったはずである。
ただ、ここで忘れてならないことは、縄文日本人がただの野蛮人ではなかったということである。三内丸山にしろ、1300年都市を維持していた民族なんである。現在よりよほど精神的には高い文明をもっていたと考えても誤りにはなるまい。
こんな本と出合えるから、古本屋通いはやめられない、んだな。
正岡子規だった。なーるほど。その猛々しさにみんな腰がひけて右にならえしたってわけだったのだ。だが当の子規の方も忘れ去られ、その功よりも破壊の罪の方が大きいのは、定家を葬った茂吉と同じだ。だがなんという不幸、日本語の被ったのは。
紀貫之、藤原定家ともに日本が世界に誇る文学者であるのに、明治のごいっしんで現れた文化的跳ねっ返りにやられたきりというのはお寒い限りだ。
僕らは教科書で習う。紀貫之は古今集の選者の中心となり、初めて男が大和ことばで詩文を発表せしめた革新者であり、定家は日本語自体の革新者であったと。だが物心ついてからふれることはなく、忘れ去ってしまう。なんでかなーと思ってたらこんな業界事情があっんだ。
ほんの少し勉強すればわかることだが、この二人、かなりとんでもない。貫之に対してあらためて確信させてくれたのが大岡信「紀貫之」だった。日本人が誇りを取り戻すのは、日本語に対する誇りを自覚することが第一だ。
ちなみにフランス語を日本の公用語にせよとほざいた西周はフリーメーソンだったのだ。
紀貫之、藤原定家ともに日本が世界に誇る文学者であるのに、明治のごいっしんで現れた文化的跳ねっ返りにやられたきりというのはお寒い限りだ。
僕らは教科書で習う。紀貫之は古今集の選者の中心となり、初めて男が大和ことばで詩文を発表せしめた革新者であり、定家は日本語自体の革新者であったと。だが物心ついてからふれることはなく、忘れ去ってしまう。なんでかなーと思ってたらこんな業界事情があっんだ。
ほんの少し勉強すればわかることだが、この二人、かなりとんでもない。貫之に対してあらためて確信させてくれたのが大岡信「紀貫之」だった。日本人が誇りを取り戻すのは、日本語に対する誇りを自覚することが第一だ。
ちなみにフランス語を日本の公用語にせよとほざいた西周はフリーメーソンだったのだ。
先週、大阪第1ビルの地下で佐賀県物産展をしていたので、日本酒を買った。鳴滝酒造の純米酒「太閤」と、天吹(あまぶき)酒造の純米酒「天吹」である。どちらもしっかり純米酒で満足のいく味。太閤はどっしり、天吹はちょっと華やか。
ああ、佐賀に行きたくなってきた。佐賀といえば吉野ヶ里。一度は行かねば!
ああ、佐賀に行きたくなってきた。佐賀といえば吉野ヶ里。一度は行かねば!
目的は県立万葉文化館に「田中一村展」を見ることでした。で、ふだんより早く起き、天王寺から吉野行きの近鉄に乗るんだが、本数が少ない。急行より先に特急が来たので、時間がもったいないので乗ることにした。500円だしね、時は金なりぢゃよ。で、座席に着くと関取以上にふとったおっさんが。やれやれである。で、うとうとしているまに飛鳥駅に。値打ちあるなあ。
駅を出て、レンタサイクルでも借りるかな、と思って金額を覗くと900円。ええわ、と歩き出す。天気もいいしね。高松塚古墳には寄らず、最短コースで万葉記念館へ。途中、橘寺があり、聖徳太子誕生所らしいので、信じるわけじゃないがやっぱりいっとかなあかんかと思い350円払って拝観する。期待はしてなかったけれど、なかなか良かったです。本堂は東を向いているのだが、北にはかつての都が開けていたであろう場所で、見晴らしの良さがしのばれました。
で、万葉記念館についていざ田中一村とご対面。なんですが、いわゆる奄美の熱帯の原色あふれる生命力そのものといった「日本のゴーギャン」といわれる田中一村調の絵は少なかったのですが、そこに至るまでの、孤独感がひりひりと伝わってくる風景画に触れることができたので、まあ良しとする。奄美でみなあかんわな。
帰りには飛鳥寺に寄ろうと思ったのだが、万葉館からバス通りを歩いて出ると、遠回りしすぎ、飛鳥寺に行けず。なぜか、今回もつけんかった。まるで蘇我氏に近づくなと言わんばかりに。途中虫が目に入って痛い思いもしたしなあ。あとは淡々と橿原神宮前駅まで歩いた。
万葉館で買った古代米おにぎりとカップ酒も飲み損ねたし、なんだか疲れて大阪へ。でも、いい気分転換にはなったよ。
写真は甘樫の丘とその向こうに見える二上山。
駅を出て、レンタサイクルでも借りるかな、と思って金額を覗くと900円。ええわ、と歩き出す。天気もいいしね。高松塚古墳には寄らず、最短コースで万葉記念館へ。途中、橘寺があり、聖徳太子誕生所らしいので、信じるわけじゃないがやっぱりいっとかなあかんかと思い350円払って拝観する。期待はしてなかったけれど、なかなか良かったです。本堂は東を向いているのだが、北にはかつての都が開けていたであろう場所で、見晴らしの良さがしのばれました。
で、万葉記念館についていざ田中一村とご対面。なんですが、いわゆる奄美の熱帯の原色あふれる生命力そのものといった「日本のゴーギャン」といわれる田中一村調の絵は少なかったのですが、そこに至るまでの、孤独感がひりひりと伝わってくる風景画に触れることができたので、まあ良しとする。奄美でみなあかんわな。
帰りには飛鳥寺に寄ろうと思ったのだが、万葉館からバス通りを歩いて出ると、遠回りしすぎ、飛鳥寺に行けず。なぜか、今回もつけんかった。まるで蘇我氏に近づくなと言わんばかりに。途中虫が目に入って痛い思いもしたしなあ。あとは淡々と橿原神宮前駅まで歩いた。
万葉館で買った古代米おにぎりとカップ酒も飲み損ねたし、なんだか疲れて大阪へ。でも、いい気分転換にはなったよ。
写真は甘樫の丘とその向こうに見える二上山。
大阪市内としてはなかなか由緒のある数少ない祭りの一つ。大阪には製薬というバイオ産業のDNAが受け継がれていることを思い出させてくれるのだ。そして大阪に冬が来たと感じさせてもくれるんだな。
がいた。あたしゃ閉店間際にいつもの立ち飲みにやっとすべりこんだんだが、そこでは客はおっさんただ一人。一見普通の50がらみのはげ親父なんだが、飲み方が半端じゃないばかりか、しゃべり方が半端じゃない。おれは、あっけにとられてかるくハイボールをひっかけて帰ったのだった。人間とはしょせん「洞」なんかいな。
伊丹市立博物館と県立考古学博物館の共催で伊丹のもと酒蔵の家屋で行われたのでした。講演は国立民俗学博物館名誉教授の石毛先生。相変わらずのほんわかしたムードで心地よく話を聞けました。今カンパイをしますが、明治の軍隊から始まったんだと。そういやなんだかドイツ的。それまでは「バンザイ」と言ってたそうな。そして宴会での正しい飲み方は大きな平たい盃に酒をくみ、回し飲みするんだと。その一回りを「献」といい、献ごとに出す料理のメニューを「献立て」というそうな。ほほー。ちょっと使える豆知識ですな。ともかく回し飲みすることで連帯感を高めたんだね。