Toshizoh's Bar

大阪を愛する編集者トシゾーのほろ酔いメッセージ。

この秋は考古学がやばい!

2015-09-23 22:41:43 | Weblog
毎度毎度の関西を中心とした、秋の考古学関連の博物館の特別展一覧。遠くでやるのもいいのがいっぱい。

9/17~12/6 東大阪の寺跡と信仰 東大阪市立郷土博物館
9/19~11/8 よみがえる邪馬台国 テクノポリス国家「奴国」 吉野ヶ里歴史公園
9/19~11/16 祈りの仏像 島根県立石見美術館
10/3~11/29 ワカタケル大王の時代 ~ヤマト王権の成熟と革新~ 近つ飛鳥博物館
10/3~12/6 大阪の修験と西方浄土 高槻市しろあと歴史館
10/3~12/6 律令時代の摂津 嶋上郡 高槻市立今城塚古代歴史館
10/9~11/29 キトラ 古墳と天の科学 飛鳥資料館
10/10~12/6 海をみつめた縄文人 放生津潟とヒスイ海岸 大阪府立弥生文化博物館
10/13~12/6 王墓の埴輪 池田古墳のすべて 兵庫県立考古博物館
10/25 講演会 猪名川流域の古代を考える ~古墳から古代寺院へ~ 要申し込み
10/31 大阪の縄文時代をさぐる 大阪歴史博物館 4階講堂

室生寺考

2015-09-22 20:35:09 | Weblog
女人高野と呼ばれる室生寺。学生のころに来たが、バイクの駐車でもめて、拝観していなかった…。アホでした。まあ、入る資格がなかったんでしょう。

今日は、発見の連続でした。

一つは、天神社があって、じつにきちんと祀られていたこと。

一つは、巨岩の下に賽の河原と呼ばれるところがあり、こここそが、室生寺の始まりであろうこと。

室生口大野から歩いてくると、ここに出たら本当に、ほっとした。

母親と会えたような安らぎがあった。

変な夢

2015-09-21 11:31:39 | Weblog
昼前になって夢を思い出した。変な夢だった。幅が50センチほどしかないのに20メートルくらいも高さのある堤防の上から釣りをしていたのであった。
でかい魚釣れて引っ張られたら、落ちてまうで、と思いながら投げて引いていくと、でっかいイシダイを釣っていた。

場面が変わる。変なムードの部屋の中で数人のおばさんと痩せた初老の男。オレはヘッドギアを付けさせられ、何かに協力していた。どうやらオレの交遊関係を探っているようだった。

それに時間がかかり、イシダイはダメになっていた。

おばさんは、ここにいない別のおばさんについて憤っていた。

朝、起きて、すごくしんどかった。

住吉大社考

2015-09-20 15:36:49 | Weblog
住吉大社は摂津一宮である。祭神は住吉三柱。神功皇后がゆかりと伝わる。
住吉大社は元は北九州である。
田植え神事は無形文化財である。
海に近いし、住吉三柱は海の神なので、なんかつじつまが合わないのだ。
で、神域のすぐ近くに大歳社とイチキシマヒメを祭るちいさな祠がある。
大歳さんは素戔嗚尊の息子とまでは書いてあった。正体はニギハヤヒさんだ。国土開発王で稲作もこの神が広めたのだろう。

そして、住吉大社は元は応神・仁徳天皇時代の首都で、自分たちの流れのニギハヤヒを祭っていたのではないか。

となると、4世紀中頃まで出雲は力があったことになるが…

葛城考

2015-09-15 13:03:48 | Weblog
記紀を読むと神武天皇がたどり着いたのは葛城で、秋津島、と褒め称えたながめは、葛城・金剛の山並み。その後、崇神天皇の頃、中心地は三輪山の麓あたりに移り、敷島と呼ぶ。

天智天皇は葛城皇子と言われたくらいだから、葛城本流だ。

ちなみに葛城の考古学的発掘調査からでは、4世紀ころの製鉄民としての集団より前のものはまだなく、新しい。

箸墓は3世紀半ばだから、神武天皇到着が本当なら、もっと古くないと話が合わない。

神武天皇に先行してニギハヤヒがヤマトにきていた、とされ、神武とニギハヤヒは同じ天孫族ともされる。

葛城という場所もいまいち訳がわからない。三輪山とは奈良盆地を挟んだ向かい側で、吉野とはだいぶ離れている。大阪平野から隠れるように住む場所を選んだように思うのだが…

ぶれる倭人のイメージ

2015-09-14 12:27:31 | Weblog
日本は日本と名乗る前は倭国と呼ばれる連合国家で、倭人によって構成されていた、と中国の史書は残す。
そこで描かれる倭人は全身に入れ墨をして、海に潜って魚を捕る海人だ。

倭の五王の一人、武によると、自ら甲冑に袖を通し覇権を拡大したとある。その姿と前方後円墳の普及にシンクロした国土開発は違和感はない。

違和感があるのは、海人がそれを出来るか? ってことだ。

失礼な先入観かもしれないが、現代の漁師で船に乗らない時に農業に精を出す漁師を見たことない。それは昔も変わらんだろう。

じゃ、前方後円墳を作って国土開発をしたのは誰?

鳴かない蝉

2015-09-14 11:55:18 | Weblog
TOSIZOさんが3冊目の本を出しました。『鳴かない蝉』 アマゾンにて販売中です。夏といえば蝉たちの大合唱。しかし、たった一匹、鳴かない蝉がおりました。なぜその蝉は 鳴くことをやめたのでしょうか。そして、その蝉は何を決断したのでしょうか。 http://goo.gl/zMWyP2


継体天皇の墓

2015-09-13 21:17:07 | Weblog
継体天皇の墓は今城塚古墳ということになっている。立派な博物館もある。これはとてもいいことだ。内容も充実している。しかし、ここが墓とは、思えない。仁徳天皇が大阪の高津の宮にいた、というのと同じくらい、胡散臭いと思う。

流行りで言うなら対案をだせ、ってとこだろうが、たぶん天皇ではないだろう。この一帯を開拓した倭人で、JR高槻駅北の天満宮とかかわりがあるだろう。

継体天皇の書紀での記述は嘘ばかりだが、倭国宗主の磐井を殺した人間であることは濃厚で、倭国の人間を殺した人間が倭国の墓の形式である前方後円墳を採用するとは、思えない。倭国が許さないだろう。

神社考

2015-09-07 22:43:59 | Weblog
古くて大きい神社、大社ともよばれるものとなると、かつて都がおかれていた名残ではないかと考えてしまう。

古い神社をめぐっておもうのは、場所を移された神社はパワーがなくなる、ってことだ。

大阪でパワーを感じるのは、住吉大社と天満宮。難波神社、ざま神社、いくたまさん、みんな移転組だ。

ざま神社といくたまさんを移したのは秀吉。豊の臣下を自称する男だが。その真意はどこに?