23日付の朝日歌壇から。
「日本海」最終列車の最後尾吹雪に押されついに消え行く
(秋田市)二牟礼 勉
横書きだと、いかんなぁ…。
またしても。
鉄コレです。
やはり、いつ買ったんだっけなというモノ。
段ボール箱の肥やしになり掛けていた上田交通モハ4257です。
実車は、富士急の前身である富士山麓電鉄のモハ1形の車体を活かしたもの。
1983(昭和58)年に廃車となったところを、生まれ故郷の富士急に引き取られ、
登場時の姿に復元され、いま河口湖駅前に展示されています。
おへそライトですね。
ついでに、室内。
覗き込んだだけですが。
上田時代の座席は、何色だったのでしょう?
参考資料にはこの本を。
上田丸子電鉄から上田交通に改称したのは1969(昭和44)年だそうです。
上田駅停車中のモハ4257。
混合列車でしょうか?
車体中央に、円い社紋が見えますね。
この製品にはありません。
あれ?
と思ったら…、片隅にロゴがありました。
調べていくと、1982~83年ごろに書き換えられたようです。
では、この車輌の最末期にはどうだったのでしょう?
屋上機器の塗り分けがアクセントとして効いている製品です。
上田交通独特の色合いを、よく再現していますよ。
そのままでもいいかな…と思ってしまいます。
が、よく見るとベンチレーターの塗り分けは上面だけです。
印刷の都合でしょうね。
コストの面で仕方ないとは思いますが、気になります。
自家調合で似た色を作り、塗り足しました。
これで、ベンチレーターに厚みが出ます。
パンタグラフの台座も、塗っておきました。
いつものお約束ですね。
パンタグラフはTOMIX製PS-14です。
実車は横碍子の大型のモノで、ウェスチングハウスタイプに見えます。
こちらは、富士急の復元車。
上田時代と同じかどうかは、判りませんが。
大柄ですから、まあまあの感じは出ているかと。
動力装置は…入っていません。
ディスプレイモデルです。
←動かない…。
「日本海」最終列車の最後尾吹雪に押されついに消え行く
(秋田市)二牟礼 勉
横書きだと、いかんなぁ…。
またしても。
鉄コレです。
やはり、いつ買ったんだっけなというモノ。
段ボール箱の肥やしになり掛けていた上田交通モハ4257です。
実車は、富士急の前身である富士山麓電鉄のモハ1形の車体を活かしたもの。
1983(昭和58)年に廃車となったところを、生まれ故郷の富士急に引き取られ、
登場時の姿に復元され、いま河口湖駅前に展示されています。
おへそライトですね。
ついでに、室内。
覗き込んだだけですが。
上田時代の座席は、何色だったのでしょう?
参考資料にはこの本を。
上田丸子電鉄から上田交通に改称したのは1969(昭和44)年だそうです。
上田駅停車中のモハ4257。
混合列車でしょうか?
車体中央に、円い社紋が見えますね。
この製品にはありません。
あれ?
と思ったら…、片隅にロゴがありました。
調べていくと、1982~83年ごろに書き換えられたようです。
では、この車輌の最末期にはどうだったのでしょう?
屋上機器の塗り分けがアクセントとして効いている製品です。
上田交通独特の色合いを、よく再現していますよ。
そのままでもいいかな…と思ってしまいます。
が、よく見るとベンチレーターの塗り分けは上面だけです。
印刷の都合でしょうね。
コストの面で仕方ないとは思いますが、気になります。
自家調合で似た色を作り、塗り足しました。
これで、ベンチレーターに厚みが出ます。
パンタグラフの台座も、塗っておきました。
いつものお約束ですね。
パンタグラフはTOMIX製PS-14です。
実車は横碍子の大型のモノで、ウェスチングハウスタイプに見えます。
こちらは、富士急の復元車。
上田時代と同じかどうかは、判りませんが。
大柄ですから、まあまあの感じは出ているかと。
動力装置は…入っていません。
ディスプレイモデルです。
←動かない…。
造形は文句なしなので、これをどのように塗装するか?やはりプラ車輪は走行抵抗が大きいので、この問題をどう解決するか?車軸もプラ製なので曲がりやすく、せめて車軸だけでも金属製にしたいです。
プラで安っぽいのがなぁ…などと思いますが、捨てるのは惜しいのでうちでも溜まりつつあります。あとで考えてみましょうか。
走行抵抗は、油を差せば解決すると思います。